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ドラマや絵ではよく、伊達政宗や柳生十兵衛は、眼帯として刀の鍔を使用していますが、何かそういった記録があるのでしょうか。

それとも昔から刀の鍔を眼帯として用いる習慣があったのですか?

どなたか教えて下さい。

A 回答 (3件)

伊達政宗の片目には謎が残っています。

   片目失明の確証は見つかっていません。   伊達家で作らせた、木像や画では両眼が普通ですが、これは政宗が指示したと伝わっています。   伊達家の文書では政宗の片目について、言及したものはないようです。   1974年仙台の瑞鳳寺再建時、政宗の遺骨を調査しましたが、片目失明の証拠は得られませんでした。
これで、片目失明は否定かというと、そうでもなく幼時、天然痘にかかり片目失明(瘡のためか)の伝承は否定できません。  骨には残らないから。   
私の個人的想像的意見では、片目は完全失明では、なかったのではないかと思います。   ただ見苦しいので正式な席では眼帯をつけて出たものと思います。   それも伊達者の武士らしく、鍔を形どったものでしょう。   諸大名がさすが独眼流政宗公とほめたと思います。
政宗は老年まで、鉄砲、弓の鍛錬をしており、命中率もよかったそうで、片目完全失明ではむずかしいでしょう。 
柳生十兵衛は片目失明は確かです。  眼帯については伝わっていません。   政宗のまねをしたか、後世の画家が政宗を参考にしたか、など考えられます。
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この回答へのお礼

完全失明ではなかった可能性があるのですか。それは存じませんでした。

傷や変質等の外見的異常が無かった場合、外見からは視力の有無が判断できないとして、眼帯をする必要が無かった可能性も考えられますね。

>後世の画家が政宗を参考にしたか

そうとも考えられますね。もしくは眼帯で鍔を象る事は、案外ポピュラーな事だったのかもしれませんね。

色々な情報をどうもありがとうございました。

お礼日時:2006/06/02 14:40

まず、あれは鍔風の眼帯ですね。



もともと鍔は鉄の塊ですから・・・つけるというのは土台無理かと。厚さも1ミリ2ミリの世界ではないのですから、持ってみればかなりずしりとくるかと思いますし、大きさも直径8cmとかありますから。
そして厚さが7mmとしても(これは江戸期だともっと薄いのですが、あの時代のものは透かし彫りがすさまじく、実戦とはかけ離れているため、戦国期なら1cmはあっても不思議ではありません)・・・
そうなると軽く200g越えるのですよね。重量が。
こんなものをつけてまともに何かできますでしょうか?

江戸期のものだと100g以下もあるのですが、もし本当に目隠しとして使うならば透かしは入れられませんから(伊達者が目立つためとかならともかくとして、普通の目隠しにはなりません)これらの重量は参考にはなりません(参考にするならば透かしの入っていない重厚なものではないと)。
また、戦国期にも趣向重視の代物はあり、それらが130g程度ですね(実際には透かしが入っているため参考にはなりません)。でも、これでようやく「大き目の卵2つ分」なんです。

やはり重すぎなのですね。

なので直接的な回答としては「そもそもあれは鍔ではなく、鍔風の眼帯」ということでしょうかね。
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この回答へのお礼

知人から「重い鉄の塊を顔につけるはずが無い」と言われて質問に参上したのですが、やはりあれらは鍔風の眼帯ですか。
大きさや重さを具体的に教えていただくと、確かに無理があるように感じます。

ためしに150gのものを目にあててみたのですが(笑)、重くて何も出来ない、というほどではないにしろ、あの重さを皮ひも等で頭に固定しようとするとかなりきつく締めなくてはならず、実用的でないなと感じました。

鍔の重さという観点からの回答、大変参考になりました。どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/06/02 14:47

刀の鍔というのは金属製ですから、眼帯にしたら痛くてつけていられません。

時代劇やイラストで「眼帯」として目にするのは、黒い革で作ったと思われるもののようですが。

伊達政宗の場合、肖像画や木像は全て「両目がある」ように作らせたそうです。例えば、「馬上青年過」の誌が書かれている有名な肖像画では両目が描かれています。なお、政宗が「義眼」を入れていたという話は聞きませんので、片目は閉じていたはずです。

政宗の在世当時の画像資料が残っていませんし、「政宗の眼帯」というものが現存または記録されているとも聞きませんので、
「政宗が眼帯をしていたのか、どのようなものだったのか」

「不明」
としか言えないでしょう。柳生十兵衛については分かりません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

やはり鍔は使いませんか。鍔の形を模した革なのかもしれないのですね。

>肖像画や木像は全て「両目がある」ように作らせたそうです。

私もそう聞いておりますし、私が見た絵や像も全て両目がありました。
そのため眼帯については確認できず、こうして質問させて頂いたのですが、なるほど、眼帯自体をしていなかった、という可能性もあるのですね。

知人から質問されて答えられなかったのですが、では「不明」と答えておくことにします。

丁寧なお答え、どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/06/01 10:14

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