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時代劇にでてくる大岡越前守のような○○守は何か意味があるのでしょうか?
本当に越前まで赴任したのでしょうか?官位なのでしょうか?また摂津守や武蔵守というような人もいたのでしょうか?越前守より摂津守の法が位が上、というようなランク付けかあったのでしょうか?

A 回答 (6件)

平安時代までの国司(○○守)は、実際その国の支配権を持ち、下級貴族の場合は本人または皇族や高級貴族の場合は代理人が任地に行き、支配しました。


鎌倉時代になり各国に武士である守護が置かれると次第に国司の実権が無くなっていきます。源氏系武士(武田氏とか足利氏とか)やその他有力御家人(北条氏等)は国司にも任命されるケースがありましたが、守護がその国の支配者という位置づけです。
戦国時代になり室町幕府の権威が低下すると、守護でない大名は朝廷に金品を送って国司の地位をもらい、それを根拠に周囲の大名と戦争します。つまり、A国守護とA守がそれぞれの権威をバックにA国の支配権を争うわけです。

本題の江戸時代になると、公家の官位官職と武家官位が分離します。本来、各官職には定員があるわけですが、それは朝廷が公家に任命し、その定員と無関係に幕府が武士の官位・官職を決め、朝廷に任命させます。この時点で武家官位は単なる称号に過ぎなくなります。大石内蔵助が朝廷の倉庫(蔵)を管理していたわけではありません。

越前守は従五位の上ですが、公家の五位は殿上人で高位ですが、町奉行時代の大岡忠相は大名ですらありません(晩年に1万石の大名)。越前国(福井県)を支配していたのは徳川分家の越前松平家です。
同時期に別の人が同じ国司の官職を持っていることもあった(武家だけでもxx守が複数居る)ようです(定員と無関係に任じるので)。

参考URL:http://www.f.waseda.jp/fky0/tenno.html
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つけたしのまめ知識ですが..


江戸時代ともなると先の回答者さんのにもあるように、みんな好き勝手に「○○守」とか「××介」とか名乗るようになります。
で、好き勝手だけに人気・不人気が出るようで、例えば越中守なんかは「越中ふんどし」の連想からか、あまり人気が無かったそうです。
ランク付けと言えばランク付けでしょうか?
確か細川家(肥後熊本の殿様で、細川護煕元首相のご先祖様)が「越中守」を名乗っていたようですが
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摂津守はいたようです。


武蔵守は親王の任官なので、武家は任官できません。同じように上野守、上総守もそうです。それぞれ、吉良上野介(忠臣蔵)、織田上総介(信長)で有名ですよね。
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○○の守とは朝廷から与えられた官職です。

官職と位階の違いは官職が太政大臣とか大納言とかいった、役職を指すのに対し、位階は、正一位、とか従一位とかいったくらいを指します。守は基本的にその地方の長官を指しますが、江戸時代領国と地名は対応していなかったようです。尚、ランク的には大国の方が小国よりうえで京都に近いほどランクが上だったと記憶しています。
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● 国司職員構成 が参考になると思います。



参考URL:http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/o_gekan_ …
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○○守は武家に与えられた官位です。


もっとも朝廷での官位は正一位から始まる官位のほうが権威があるわけで○○守は単なる名誉的な称号です。名称にもランクがあり同時に複数の○○守が存在したこともありました。
老中が名乗っていたような伊豆守や豊前守などは権威のある称号だと思ってよいでしょう。
なお、遠山左衛門尉(さえもんのじょう)など○○守以外の呼称もありますね。
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