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はじめまして。
江戸初期には田畑勝手作の禁で農民は穀物以外の栽培を禁じられましたよね。
しかし江戸中期には商品作物が栽培されるようになりました、そして各地の特産品へと変貌していきます。
しかしこの頃はまだ田畑勝手作の禁は廃止されていなかったはずです。

どのような背景から、法令を破ってまで特産品が生まれるようになったのでしょう?

A 回答 (2件)

江戸時代に各地の特産物が生まれた背景



平和が続いたために農業生産・商品生産の技術が向上した。また、都市を中心に生活が向上し、ようような商品の需要が高まった。
米の生産力が向上し、商品作物を生産し、販売する余裕が生まれた。
より収益を上げるために農民の零細な農村家内工業の発達。
農業技術の発達により風土に適した特産物の生産。
大名財政の行き詰まりから商業作物・特産品栽培の奨励、保護、専売化。
当然のことですが、もともと畑作地はあり、年貢も現物と金納の両方であったこと。
年貢の金納化が進んだことにより、商品作物を作りやすくなった。
大坂を中心とする商品の全国流通網の整備により全国市場が成立し、商品化が進んだ。
米作より商品作物を作った方が収益が大きい例が多かったこと。綿などは金肥を使っても米の3倍以上の収益があがったといわれています。
農村の有力農民が土地を兼併し、商品作物の生産・流通及び金融の中心となり資本を蓄積し、豪農に成長する。
都市の問屋が豪農と提携し、商品作物の生産・流通を主導。また産地の農民に資金を出して、農村家内工業から問屋制家内工業に組織化し、特産化。

以上、分かる範囲で。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E7%95%91% …

手短にまとまっている。
要は、儲かればやります。
幕府の法は基本的には各大名家には及ばない。
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