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江戸時代の農民の食生活についてお聞きします。
動物性蛋白質の不足は筋力などの衰えに繋がります。
穀物中心の農民が困らなかったのか。

それに対してウサギや猪、鹿などの獣の肉を食べていたので
意外と取れていたのではないかとの意見もあります。
歴史のカテでご意見を聞いてみたいと思います。

A 回答 (7件)

笑止千万、無知蒙昧の極み。


そもそも動物性たんぱく質という概念は幻想の産物です。動物性たんぱく質だの植物性たんぱく質だのと2種類のたんぱく質があるわけではない。人間の体にとって重要なのは9種類の必須アミノ酸がそれぞれ必要な量を摂取しているかどうかだけです。動物性たんぱく質も植物性たんぱく質もどちらも最終的にアミノ酸に分解されてしまうのです。9種類の必須アミノ酸が摂れていれば、動物性でも植物性でも何でもいいのです。
ただし動物性食材と植物性食材はたんぱく質に関して品質の傾向が異なります。動物性食材は概して、アミノ酸のバランスがよく一品目でも9種類の必須アミノ酸が揃っているのに対し、植物性食材のたんぱく質はアミノ酸のバランスが悪いということです。植物性食材には、一品目で9種類の必須アミノ酸が揃う食材はひとつもない。しかし複数の植物性食材を組み合わせて食べることで9種類全て充足させることが可能です。
例えば米と納豆を食べれば、OKです。それで肉など食べなくてもまったく困らない。

「動物性蛋白質の不足は筋力などの衰えに繋がります。」というのは間違い。神話の類。
9種類の必須アミノ酸が全て充足されていれば筋肉は衰えません。ただし、それは植物性食材だけを食べるよりは、動物性食材も食べた方が容易に達成しやすいということなのです。
またアミノ酸の過剰摂取は別な健康被害を招く要因になります。


専門知識[アミノ酸スコア]
http://www.spitz8823.com/diet/senmontisiki6.htm
腎臓病:タンパク制限のある人の食事 - 栄養 - 教えて!goo
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7657521.html
肉って毎日食べると健康上いいんですか?悪いんですか - 素材・食材 - 教えて!goo
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7657147.html

ここまでは栄養の話。ここからは江戸時代の話。

江戸時代には食品の流通機構も冷蔵庫も何もありません。だから保存加工技術が発達したわけです。流通機構が無いだけに全国同じものを食べていたわけではありません。地域によって極端に食文化が異なるのです。まず、そういう基礎知識を確認しておきたい。比較的新鮮なものを食べることができたのは江戸だけでした。だから江戸前寿司が開発可能だった訳です。寿司だけでも地域の食文化の違いが想像できると思います。

猟師は食べる為に猟をしていたわけではありません。村の田畑を獣の被害から守る為に猟をしていたのです。もちろん獲物は食べますよ、そりゃ。飢饉の時は犬だって食べるぐらいですから。たんぱく質とか関係なく腹が空くから食べるのです。動物性たんぱく質というならスズメの唐揚げ、バッタ、イナゴ、タニシ、ドジョウの佃煮だって動物性ですわな。江戸時代の農業は農薬を使ってないから、何でも食べられる訳です。要は食べられるものは食べられる時に食べておかないと生きていけないってだけです。不作だろうと凶作だろうと関係なく、毎年同じ量の年貢を納めにゃならんのですから。
農民が穀物中心という味方が偏見なのです。じゃ将軍は米を食べなかったのか。とんでもない。将軍だって穀物中心です。武士が米を食べている時、農民は玄米、雑穀、大根飯を食べていたってだけの違いです。カロリーが足りないから何でも食べる。肉体労働なんだから消費カロリーが多い。
穀類、豆類、魚類、魚介類、海藻類、木の実類、キノコ類、芋類、野菜類、果物類。とにかく、その地域で入手できる食物はなんでも食べるというだけのことなんです。

日本人は天武天皇の肉食禁止令以来1000年間肉は食べられなかった。それは建前に過ぎなかったけど、すくなくとも牧畜はしていないし、肉の加工食品も無かった。

西洋ではビーフジャーキー、コンビーフ、ハム、ソーセージなどの保存性加工食品が開発されたけど、日本には何もない。要するに日本では肉は日常的な食べ物では無かったということです。たまに食べられるチャンスが生まれると、わーと群がってみんなで食べきってしまったということになります。ぼやぼやしていたら腐って食べられなくなってしまう。有ったとしたら鯨の燻製ぐらいでしょうが、これは日本人は魚だと思っていたので、おおっぴらに食べることができたわけです。

繰り返しますが、江戸時代は地域によって大きな食文化の違いがありました。ある地域で食べられていたとしても、それが全国的に普通だったわけじゃないことだけは理解してください。(了)
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この回答へのお礼

ひえー、私の聞いた回答が木っ端微塵ですorz_
栄養学のところからそのURLを持ってくるってことは
その1個下に私の同じ質問があることも知っていますすよね。
歴史のところで整合性とってみて良かったです。

将棋のところでも強い人みたいですし、
本当に物知りですね。尊敬してしまいます。
肉食禁止令なんて、そんなものあったのですか。
歴史さぼり過ぎかな?どうもご回答有り難うございました。

お礼日時:2012/08/23 01:52

私は動物性たんぱく質など存在しない、デマだ、捏造だ、デッチあげだと繰り返し主張してきました。

しかし私は同時に食材によってたんぱく質のアミノ酸組成傾向は異なるとも訴えてきました。

江戸時代にタブー視されていたのは肉食、卵、牛乳です。それは天武天皇による肉食禁止令に基づくもので生物学・栄養学的議論を経たものではありません。天武天皇は奈良時代に神道と仏教を国家基盤として確立することに勤められた天皇といえると思います。宗教的にその道を究められたという意味ではなくて、あくまで国家基盤に位置づけるという意味で保護・推進されたという意味です。だから肉食禁止は仏教に由来する価値観だといえます。

だから公然と肉を食べるのは憚られました。店を出したり、肉食を公言することも遠慮されました。内緒で食べる時でも、これは肉食禁止令には違反していませんよと表向き取り繕う必要があったわけです。猪肉を食べる時は、ぼたん鍋ですけど、何か?と言い張る訳です。生物学的に豚肉と猪肉にどれほどの違いがあろうかという議論は野暮です。法令違反ではありませんよと名目が立てばなんでもありです。

といって西洋と違って常食していた訳ではない。西洋では三圃制農業といって農地を三分して、その内の一つを放牧地に使うというローテーションで牧畜をしていました。それは連作障害を回避する為の知恵でもあった。

キリシタンが弾圧されたのは、彼らが公然と肉食を推進したからでもある。キリスト教を最優先の判断基準に置けば、肉食をタブー視する理由はないからです。しかし、それは日本のルールを踏みにじることになった。天皇の権威を侵すことになった。ゆえに幕府はキリシタンを弾圧した。現代感覚で見ると人権侵害以外の何者でもない。

というわけで日本では肉食は限定的なものでした。ただし、肉食の議論と動物性食材の議論を混同してはならない。魚類、魚介類、爬虫類、昆虫類、鯨肉は当然のように肉食禁止令には反しないとされました。鳥類は、家畜食としては許されなかったが肉食自体は問題視されなかった。農家は「食べる為に飼っているのではない。目覚まし時計代わりに飼っているのです。」と言い張って鶏を飼っていた。鶏肉を食べる機会はあったということです。「キジも鳴かずば撃たれまい。」

食肉禁止令の主眼は、食べることそのものを禁止するという意味より、食べることを目的として家畜にすることが禁止されたのだと思うのです。

以上論じたように肉に関して西洋と日本では際立った食文化の違いがある。そういう認識から生まれたのが動物性蛋白質の不足という認識なのだろうと思われる。

私が着目している西洋と日本の違いは、グリシン摂取量の違いである。グリシンはアミノ酸の一種だが、これが食材によって含有量がかなり異なる。以下の記述は食材100gに含まれるそれぞれのグリシンの含有量だ。

1.日本選抜チーム:精白米280mg、納豆680mg、どじょう1200mg、はまぐり300mg、日本ぐり120mg
2.西洋選抜チーム:スパゲティ(乾)440mg、アーモンド1300mg、ゼラチン24000mg、豚ひき肉1500mg、牛ひき肉1500mg、鶏卵410mg、牛乳59mg

日本人は伝統的に穀類・豆類・魚類・魚介類・木の実類を主要なたんぱく質源としてきたが、ごらんのように、グリシンに限れば西洋選抜チームに完敗なのだ。特筆されるのはゼラチンの含有量だ。また優等生という印象の強い鶏卵・牛乳は、ことグリシンに限れば案外頼りないのである。

ゼラチンは、動物の皮膚や骨、腱などの結合組織の主成分であるコラーゲンから抽出した物質で、主成分はたんぱく質だ。西洋では、古くから西洋菓子、ハム、ソーセージなどの加工に用いられていたのに対し、日本では江戸時代には全く知られていなかった。グリシンはコラーゲンの1/3をなす主要な構成要素である。

謎はすべて解けた!

江戸時代までの日本はグリシン不足だった。それがコラーゲン不足につながり身長の違いになったのではなかろうか。

西洋では動物性のゼラチンが用いられたのに対し、日本では植物性の寒天が使われた。

これが「動物性蛋白質の不足は筋力などの衰えに繋がります。」といった認識が生まれた背景なのだ。
戦後の食生活の西洋化によってグリシン摂取量が増え、それによってコラーゲンも十分体内で製造できるようになったのだ。(了)
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この回答へのお礼

二度も詳しく有り難うございます。
動物性蛋白質がデマだという方は初めてみました。
ひょっとしてこの方面の専門家さんでしょうか?

歴史的背景から私の文章の誤りまで論破されて
唖然としているというか、
本に書いてあった内容は何だったんだろうって感じです。
謎解きは興味深かったですが、ちょっと私ではついていけません。
こちらの文章は保管して、後日参考にさせてもらいます。

お礼日時:2012/08/23 17:35

まう肉食禁止は天領中心で、基本他藩は関係ないです。


そもそもの起こりは牛馬の不足で軍事輸送能力の低下がみられたため獣食禁止したのがきっかけです。
彦根藩は将軍への献上品に肉の味噌漬けがあったくらいで、江戸の文化において獣食が忌み嫌われていたかどうかは、多分に地方色次第と言えます。

では動物性たんぱくをどこから摂取していたかと言うと、やはり不足していたと言うのが答えになるかと思います。
基本的に海沿いの地域は魚を食べています。
内陸部では、鯖街道や甲府ではマグロの輸送など魚を運ぶ努力は行われますが、やはり駆け足で運んできた魚を食べられるのは裕福な人間だけです。

もちろん鳥、川魚など手に入るものは積極的に食べますが、これらも皆が十分食べられるほど取れるものではありません。
信州などの山国で蝗や蜂の子などの虫を食べる文化が進んだのも、動物性たんぱく不足の裏返しだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございます。
私も今では肉食の習慣が少ないとの見方に傾いてます。
歴史の方が色々と詳しいお話が聞けて驚いてます。

お礼日時:2012/08/23 17:28

明治時代になると、脚気が国民病として一気に広がるんですね。

脚気ってのはビタミンB2が不足する病気です。で、脚気ってのは江戸時代には全国にまではあまり広まっていなかったのです。でも江戸に住んでいる人に割と多く見られたので「江戸患い」と呼んでいました。

でも当時は脚気の原因は分からなかったのです、西洋ではほとんど見られなかったから、日本の風土病じゃないかとも思われていたのですね。
で、実は脚気は今の日本ではよっぽどおかしな偏食でもしない限りなることはありません。ところが明治時代の日本人には非常に多かった。なぜかって話です。

理由は割とシンプルで、明治時代になると精米技術が全国に広まって、白米が主食になるのです。玄米にはビタミンB2が含まれるから玄米を食べているなら脚気にはなりません。ところが白米ばかりを食べていると脚気になっちゃうのです。明治時代の人は、一日に5合の米を食べていたらしいです。
・・・5合!?毎日そんなにご飯を食べていたら、おかずを食べる余地はあまりありませんよね。つまり昔の日本人はご飯ばっか食べていたってことです。ちなみに現代人はだいたい一日1合くらいみたいです。そりゃ偏食だわ。
江戸ではソバを食べると脚気が治るので、ソバが脚気の薬だといわれていました。明治時代にそれが広まらなかったのは、脚気の原因が細菌だと思われていたからです。

ちなみにそんな食生活だったので、昔の日本人はとても背が低かったのです。江戸時代の平均身長が男性でも150センチくらいだったといわれていますね。戦前までも、あまり日本人の身長は伸びていません。
日本人の体格が劇的なまでに変わったのは戦後で、理由はもういうまでもなく食生活が急速に西洋化したからです。
私の父親は戦争中は子供だったのですが、父によると戦後しばらく「コメ害悪論」というのがあったそうです。「日本がアメリカとの戦争に負けたのは、コメを食べていたからだ。アメリカ人は小麦を食べている。コメを食べずに小麦(パン)を食べよう」といわれていたそうです。ただし、アメリカの小麦粉を消費させるためのアメリカの陰謀だったらしいですが(この陰謀の話は本当です。アメリカは日本人に肉の味と小麦粉の味を覚えさせようとしました)。

今のおじいちゃんおばあちゃんは大正末期から昭和初期くらいの世代ですからそういう意味では思考回路が西洋の影響がありますが、私の世代のおじいちゃんやおばあちゃんは明治の世代だったので、あの世代のおじいちゃんやおばあちゃんは「とにかくコメを食え。おかずよりコメを食え」といっていましたよ。

ちなみに肉ってのは独特の臭みがあります。肉にコショウを使うのは、臭みを消すためです。魚を煮るときもお酒やみりんを入れないと臭みが残りますよね。コショウや調理用酒がなかなか手に入らなかった江戸時代には肉類は「臭いから嫌い」って人も多かったんじゃないかと思いますよ。

ついでについでに、欧米人に比べると日本人は小腸が長いそうです。それはつまり草食(穀物食)向きの体だということで、そのせいもあり日本人のウンコの量は欧米人の倍くらい出すそうです。太平洋戦争中にアメリカ軍スパイが日本軍のトイレのウンコの量から兵士の数を推測したのですが、アメリカ人を基準にしたら倍の兵力といつも間違えていたそうです。
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この回答へのお礼

うんこから兵員を数えるんですか。
目が点になりました。
というかそれを調べる兵士も大変そう・・・

かっけも子供の頃はひざを叩くとかマンガに
ありましたけど、最近では全くみなくなりましたね。
戦時中の話だとは聞いていたんですけど、
明治の頃からそうだったとは知りませんでした。

色々と興味深い話を有り難うございます。

お礼日時:2012/08/23 13:30

そもそも仏教で肉食は制限されていましたから


全体的に、動物性タンパク質の摂取は不十分だ
ったと思われます。

魚、イノシシ、鳥などがメインですが、庶民や
貧乏武士の食卓には滅多に出ませんでした。
犬の肉も食べられていましたが、これも
生類憐れみの令により、食べなくなりました。
ちなみに、イノシシの肉を食べるのは仏教と
抵触しますので、山鯨と称して食べていました。
鯨も少し食べられていたようです。

だから、日本人は小柄になったのです。
肉食に禁忌が無かった中国人などは、日本人よりも
体が大きかったといいます。
現代でも、2cmほど背が高いという話があります。
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございます。
あまり食べられてないと考える方が良さそうですね。
仏教とも関係があったんですか。
色んな意味で肉食っていうのは習慣になかったんですね。

背が低かったのは分かります。
それも原因なのかなあと思いました。

お礼日時:2012/08/23 13:27

江戸前期の武蔵の国の貧しい農民は、正月とか祭りの米飯


を除き普段は日に一度の稗、粟、麦の雑穀飯、他は野菜に
これらをまぜた雑炊だったと言われます。
時代差、地域差はあるでしょうが粗末な食事と推定されます。
蛋白質は植物性の大豆が主でしょう。
動物性蛋白質は鳥、兎、猪、鹿などたまにしか採れません。
魚が主でしょう。
「干しか」という鰯をほしたものは、肥料として大量に使われて
おり、当時鰯は豊漁でこれと川魚(鯉、鮒)が主な動物性蛋白源
と考えられます。
鰤街道、鯖街道などの言葉はありますが、これらは富裕層の
食品で一般農民の口にはごくたまに入ったもの。
地域により虫食(専門書あり)も盛んで有力な蛋白源でした。
蝗、蜂の子など多種。
総じて有る程度は取れていましたが不充分であったことは
確かです。
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございます。
実像としてはたまにしか取れないのですね。

栄養素のところで質問した時は結構取れていると聞いて、
No1の方の資料も鉄砲が増えてるとあったので
そこそこ捕獲できていたのかと思いました。

案外と穀物中心でもいけてしまうんですね。
力仕事出来るのかなあと疑問に思ってたんですが。

お礼日時:2012/08/23 01:56

https://docs.google.com/viewer?url=http%3A%2F%2F …

意外と在村の鉄砲はあったみたい。
1829年に あんまりなくて
1863年に 農民兵前提に、持ってもいいよとか言ったら
1864年に 10軒に一丁以上あったという

歴史家は、慎重な判断をなんて書いてあるが、素人が見れば「もう、かくさんでもいいのね?じゃぁ正直ベースに」という感じです。

結構 愛用していたのではないかと思う次第です。

ちなみに伯父(昭和一桁生まれの農家)いわく
「ヘビは結構うまい」
と、曰わっていました。

気絶させたら、釜に頭だけだしてツッコミ、米と一緒に炊く。
炊き上がったら、頭を引っ張ると、するするっと骨が抜けるので、骨をとってから、食べるそうだ。
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この回答へのお礼

回答だけだと何か分かりませんでしたが、
農具としての鉄砲が1600年代に結構普及していたんですね。

日常的とまではいわなくても10日に1回とか
取れていたかもしれないですね。
どうも有り難うございました。

お礼日時:2012/08/23 01:42

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