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以前から疑問に思っていたので教えて下さい。

戦国時代以降、大名が「○○筑前の守」と呼ばれてますよね。もともと「△△の守」とは、国主として任免された場合の呼称ですよね。

織田信長が桶狭間で義元を破ったとき、桶狭間での休憩を上申したのが「○○出羽の守」とあります。当時の信長は当然朝廷から部下に守の名前をもらえるわけもなく、とすると、大名が勝手に部下に守の名を名乗らせていたのでしょうかね?

教えて下さい。

A 回答 (3件)

室町時代以降、国司の職はほとんど名誉職となり、戦国時代には○○の守を自称する武将が多数いたことから、おそらく朝廷から正式に任官されたものではないと考えられます。


ただ羽柴筑前守や明智日向守など後に信長によって朝廷から正式に○○の守に任官された武将もいますから、一概には言えませんが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

以前の回答を見て、大体理解できました。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/01/04 23:34

前にも同じような質問と回答が多々あるのでご参考に。


http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2280400.html
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

同じような疑問を持っている人が沢山いたのですね。大変参考になりました。

そういえば、織田信長も上総介を名乗っていましたね。

お礼日時:2008/01/04 23:32

 室町時代.戦国時代、朝廷はとても疲弊して無力、そのため金で官位を売る売官が行われていた。


 そして、下克上の世の中、力で成り上がった者は、権威づけのため朝廷に献金などをして都合のよい官位を買っていました。

信長の時代、天皇は正親町天皇です、信長と正親町天皇の関係も調べてみてください
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

守護大名が権威付けのために官位を買う、というのは分かるのですが、
桶狭間の時代に(弱小大名の)織田信長が自分の部下に「簗田出羽守」を名乗らせていつのはどういう意味ですかね?この時期、信長が部下のために官位を買っていたとは思えないのですが・・・

時代は下って、秀吉に「羽柴筑前の守」を名乗らせておいて、信長は「守」を名乗っていないですよね?信長は部下(秀吉)には官位を買ってやり、自分はもっと「上(右大臣すら返上)」を目指すから官位はいらない?って事ですかね?

上記は信長の時代ですが、江戸時代の大岡忠相も越前の守を名乗っていますよね。これは「叙任」されたことになっているようですが、そうすると幕府が官位を買ってやっていたということですかね?

もう少し教えて下さい。

お礼日時:2008/01/04 23:19

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