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【日本史・室町時代】紫式部のNHK大河ドラマを見ましたが、天皇の受胎が頻繁に登場し、紫式部も天皇の子供を受胎、ライバルの清少納言も天皇の子供を受胎して、平安京の天皇の住まいの周りの藤原家の殆どの女子が天皇の子供を受胎しているのに、なぜ現在の令和の時代には天皇家の子供はこんなに少ないのですか?

室町時代の天皇の子供たちはどこに消えたのですか?

出家が多かったみたいですが、日本全国の神社の神主たちは天皇の家系の天皇の子供たちなのですか?いまの令和の時代の神社の神主も元は天皇の子供たちの子孫ってことですか?

A 回答 (10件)

>【日本史・室町時代】紫式部のNHK大河ドラマを見ましたが、



紫式部は平安時代中期の人ですね。宮中に仕えた女官です。
生没年不詳。生年1070年代~没年1020年頃。

室町時代は1336年(or1338年)~1573年。足利幕府の時代。


>天皇の受胎が頻繁に登場し、

受胎(じゅたい=妊娠)ではなく、入内(じゅだい)です。
天皇はふつう男性なので受胎しません。

入内(じゅだい)
  内裏に入ること。皇后・中宮・女御になる人が正式に宮中に入ること。

内裏(だいり)
  天皇の居所である宮殿、皇居。大内裏の中にある。

宮中(きゅうちゅう)
  宮殿の中。皇居の中。

皇后(こうごう)
  天皇の后(きさき)。正室。

中宮(ちゅうぐう)
  皇后より後から入内した后(きさき)。身分は皇后と同じ。
  もともとは、皇后・皇太后・太皇太后の総称。

皇太后(こうたいごう)
  先代天皇の后。

太皇太后(たいこうたいごう)
  先々代天皇の后。

女御(にょうご)
  天皇の寝所に侍る女性。身分は皇后・中宮の下、更衣の上。

更衣(こうい)
  天皇の衣がえを司る女官。後年、寝所にも仕えた。

女房(にょうぼう)
  宮中に仕え、房(部屋)を与えられて住む女官の総称。


>紫式部も天皇の子供を受胎、

紫式部は宮中で第66代一条天皇の中宮・彰子に仕えた女房(女官)です。
夫は藤原宣孝。子は大弐三位(藤原賢子)。天皇の子は産んでいません。

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>室町時代の天皇の子供たちはどこに消えたのですか?

平安初期の嵯峨天皇(第52代)は50人の子だくさんで知られていますが、皇女は皇族の身分を離れて公家に嫁し(臣籍降嫁)、皇子の多くは皇族の身分を離れて臣籍に入っています(臣籍降下)。嵯峨源氏、清和源氏、宇田源氏などの流れです。奈良時代の桓武天皇(第50代)の皇子の流れは桓武平氏と呼ばれています。
もともと皇族(親王・内親王)の人数は無限に増えていくわけではありません。

>なぜ現在の令和の時代には天皇家の子供はこんなに少ないのですか?

天皇家が側室を廃して皇子が少なくなったのが大きな要因でしょう。
明治天皇の生母:孝明天皇の側室・中山慶子(まかやま よしこ)
大正天皇の生母:明治天皇の側室・柳原愛子(やなぎわら なるこ)
昭和天皇の生母:大正天皇の正室・貞明皇后(ていめいこうごう)
大正天皇以降は側室を置いていません。

終戦までの皇室は、天皇家のほかに多くの宮家があり皇位継承候補が多数いましたが、戦後に11宮家が皇室を離脱して民間人になっています。

伏見宮、閑院宮、山階宮、北白川宮、梨本宮、久邇宮、賀陽宮、東伏見宮、朝香宮、東久邇宮、竹田宮

戦後の皇室(*:皇位継承候補となる親王が既にいない)
大正天皇の皇子:昭和天皇、秩父宮(*)、高松宮(*)、三笠宮(*)
昭和天皇の皇子:明仁上皇、常陸宮
明仁上皇の皇子:今上天皇、秋篠宮

現在の皇位継承順位
1 常陸宮 正仁親王(88歳)
2 秋篠宮 文仁皇嗣(58歳)
3 秋篠宮家 悠仁親王(17歳)
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この回答へのお礼

みんなありがとうございました
受胎ではなく入内のじゅたいだったんですね

お礼日時:2024/01/08 20:40

質問文ですが、大幅勘違いですね。


紫式部・清少納言は女官で入内はしましたが、受胎はありません。
二人とも夫は持ちましたが、その夫は天皇陛下ではありません。
子供も皇室にはつながりませんよ。
それから、紫式部は藤原氏ですが、清少納言は藤原氏ではありません。
皇族に先祖を結びますが、清原氏の出です。


なお、令和の皇室に皇子が少ないのは
戦争に負け、GHQが宮家の数を制限したせいですね。

宮家が秋篠宮家だけになって、未来が心配ですね。
国が何とかして旧宮家復活に重い腰を上げないと
やがて亡国の危機が来るかもね。
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天皇の受胎ってなんでしょうか・・・・・



まぁアカウント名を見て納得しましたけど
また変えたんですかね
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受胎じゃなくて、入内(じゅだい)ですよ。


天皇の私的な居住地の内裏に、中宮や女御として入居する事を
言います。

清少納言は中宮 定子の女房で家庭教師をしてました、女房が
天皇と関わり合う事は無いです。
中宮 彰子の女房なのが紫式部です。

平安時代の天皇は早世する人が多かったのです、近親婚の為
ではないかと言われてます。

天皇家が関わるのは伊勢神宮の様に神宮と名称が付加される処です。
神社は庶民の信仰から生まれた物なので、天皇家とは関わりは有り
ません。
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もう理解がおかしいとしか思えない. そもそも「受胎」=「妊娠」ってことを理解できていないのかな?

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なお、今年の大河ドラマは室町時代ではなく平安時代が舞台です。


紫式部も清少納言も平安時代の人物です。
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入内とは天皇の妃になる事です。


皇族を養うのにはそれなりの経済力を与えないといけません。今回のドラマの少し前ぐらいに、増えすぎた皇族を整理して普通の貴族にする臣籍降下というのが盛んに行われました。これにより、皇族として朝廷が養う必要がなくなり、それぞれが源氏や平氏といった貴族として自活させたのです。
また、このドラマの後の時代になると、皇族や摂関家の子弟が出家して有力寺院の住職にする門跡制度というのも確立します。院政期になると、貴族の家格が固定化し、摂関職は摂関家で世襲されるようになり、もう少し下の家格の貴族の家から妃を出すのが習慣化されます。さらに、室町時代ぐらいになると、朝廷の経済状況が悪化したので、天皇が多数の妃を抱えることもなくなり、数人の妃に数名の子を産ませるようになります。
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そんな話でしたっけ。


それはさておき、戦前の側室が認められていた時代でも大正天皇と昭和天皇以降は生涯を通して皇后のみで側室を置かない一夫一婦でしたし、戦後は皇族も一夫一婦制になりましたから、男子が途絶える確率は非常に高いですね。現在の天皇皇族に男の子が少ないのはそのためです。

それまでの天皇は、可能な限り直系男子を産もうと必死でしたし、貴族たちも娘を天皇の室に送り込んで男子を産ませ、姻戚として権力を握ろうと必死でしたから、天皇の側室は非常に多かったわけです。

天皇の子供でも数少ない次期天皇候補以外は、皇族から外されて臣籍降下や出家させられます。ただ、次期天皇候補が病死等でいなくなると、出家した元皇子を還俗させて天皇にしたことはあります。

室町時代の頃に皇族から外れた天皇の子孫は、血縁が非常に薄いので今では赤の他人です。

それから、出家とは仏僧になることです。神社は関係ありません。
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天皇の受胎が頻繁に登場し、紫式部も天皇の子供を受胎(していません)、ライバルの清少納言も天皇の子供を受胎(していません)


平安京の天皇の住まいの周りには藤原家の住まいはありません
平安京の町の中には武士は入れません
殆どの女子が天皇の子供を受胎していません。
事実誤認です。
出家とはお寺に入ってこの世のことに口を出さないという事
死んだ人間として扱われています。
神社には関係ありません
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>紫式部も天皇の子供を受胎、ライバルの清少納言も天皇の子供を受胎して、平安京の天皇の住まいの周りの藤原家の殆どの女子が天皇の子供を受胎しているのに



そんな事実はないと思うのですが、最近その手の内容が書かれた文献が発見されたのですか?
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