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フジテレビのバラエティー番組で、天草四郎についてやっていたのですが、再現ドラマで、天草四郎に、年上の武士を演じていた俳優さんが「天草四郎君に大将になってもらいたい」と言ってました。
子供の時から大河ドラマを見ていた私は、その台詞に違和感を持ちました。

天草四郎が主君の子なら「ご子息の益田四郎時貞様に大将になっていただきたく存ずる」と言うはずだし、親族なら「四郎、大将になって皆を指揮して欲しい」と言うと思います。
たかがバラエティー番組で、そんなことで悩むことはないですが、相手に「天草四郎君」と呼ぶのは江戸時代末期と言われてますが、平安時代から「君」と呼んでいたそうですが、この場合は「君(くん)」ではなく「君(きみ)」で、天皇やそれに近い皇族や貴族に対してだそうです。
島原の乱があった江戸時代初期でも「天草四郎君(くん、きみ)」と呼んでいたのでしょうか。
詳しく知っている人がいたら教えてください。

A 回答 (6件)

君が様とか殿とかなら違和感がなかった、というなら、あなたの感性が現代のものであるからでしょうw



君子のクンなので昔っからそのようにも使われていたようです。今の君の使われ方は吉田松陰が皆が平等に議論できるようにと始めたものらしく、つまり幕末由来のようですね。国会とかで君付けなのは、この流れらしい。少し納得w
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
勉強になりました。

お礼日時:2023/05/25 20:44

その俳優は、【君】を「きみ」か「くん」のどちらで言っていましたか?


あの頃の時代であれば「君=きみ(ぎみ)」が正解ですし、「長七郎江戸日記」なんかでは「長七郎君(ちょうしちろう・ぎみ)」となるところですがね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
「天草四郎くん」でした。天草四郎は通称で、本当の名前は「益田四郎時貞」だそうです。

お礼日時:2023/05/26 16:43

僕、君(きみ)が流行したのは、幕末、吉田松陰門下あたりから。


それ以前にあったかどうかは不明。
農民たちの話だし、四郎の立ち位置も微妙なので、当時の表現をリアルに再現より、判りやすい現代の言葉使いを優先でしょう。
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この回答へのお礼

キリシタン大名の有馬、小西氏に仕えた元家臣と島原藩主の松倉氏の重税にくるしんだ領民とキリシタンと、「天草四郎の正体」今だに謎が残る島原の乱を取り上げたのは評価できますね。
ただ、明智光秀役の俳優さんが、幕府軍の大将になってましたが、明智光秀の時の甲冑だったので、映像の使いまわしと分かりました。レギュラーレポーターの「あばれる君」が、今や「社会科教諭の資格を持つ賢い芸人」として好感度が上がっているのが、びっくりです。

お礼日時:2023/05/25 21:03

バラエティーですからね。


当時の島原弁で話されたら恐らく全く理解出来ないでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
大河ドラマでも、西郷隆盛が薩摩弁を話したら、視聴者はポカーン( ゚д゚)」でしょうね。

お礼日時:2023/05/25 21:06

君、と呼ぶのが一般的になり始めたのは江戸末期といいますね。

まあバラエティですし。
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この回答へのお礼

吉田松陰が使い始めたみたいですね。
まあ、バラエティーですが、映像の使いまわしは止めて欲しいですね。
幕府軍の大将が何故か明智光秀の甲冑着てたのには、びっくりでした。

お礼日時:2023/05/25 21:09

単に、バラエティーだからセリフの時代考証が大雑把だっただけでしょう。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
映像も幕府軍大将が、何故か明智光秀でした(笑)

お礼日時:2023/05/25 21:07

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