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はじめまして。

日本史を学習しているものです。
建武の新政で後醍醐天皇が諸国に設置された「国司」と「守護」とはどのような役割の違いがあったのでしょうか?
端的に教えていただけると嬉しいです。

A 回答 (1件)

 『国司』は、大宝律令(8世紀初頭に制定)において、地方の貴族が、


 地方の国単位の行政(今で言うと県知事)と
 司法(警察)・軍事(今で言うと県警の本部長)を
 統括する役職として就きました。


 平安時代では、『国司』は、律令制で目的とされていた地方の人民統治から
 租税納入が主要任務になります。
 そして、武士が荘園や国領の警備につきます。

 
 鎌倉幕府の設立により、武士が台頭してきました。
 これにより荘園や国領を管理する武士の役職に『地頭』が定められ、
 今まで、『国司(貴族)』がしていた国単位の行政と司法・軍事を
 『守護(武士)』がするようになりました。
  
 しかし、御成敗式目(1232年)の制定で、
 『守護』の職掌を司法(警察)と軍事に限定され、
 『国司』の職掌(行政)への関与を禁じられました。

 その後、北条氏の執権政治により『国司』の支配力が衰え、
 御成敗式目は有名無実になり、形骸化してしまいました。  
 

 さて、ご質問の【建武の新政】です。
  
 今まで、形骸化していた『国司』の支配力と権限を強化し、
 昔の職掌(律令制の時の役職)へと戻ります。 
 『守護』は、職掌を軍事指揮権のみとしました。
 (今で言うと地方の警察署長くらい)
 
 律令制の官である『国司』と武家の統治機構である『守護』の並立は、
 【建武の新政】における大いなる矛盾といえます。
 
 その後、室町幕府の設立とともに
 『国司』は名前だけの名誉職となり、
 かつての『国司』の役職は『守護』が継承していくこととなります。
  
  

 こんな感じで判りますか?
 
 
 詳しくは『国司』や『守護』などでググって見てください。
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この回答へのお礼

非常に分かりやすい解説で、助かりました。
国司・守護で検索をしたのですが、いまいちピンとこなくて、違ったくだけた説明で知りたかったのです・・・
回答いただき、納得できました!


ありがとうございます

お礼日時:2011/01/23 01:07

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