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最初にお断りいたしますが、これは煽りではありませんし、内田さんを中傷する目的では決してありません

質問したいのは内田裕也さんの過去の功績についてです。

内田さんといえば日本のロックンロールの代名詞のように言われることもあります

実際、矢沢永吉が所属していたキャロルのライブでもゲストとして彼が来た際、矢沢氏が「ロックンロール内田裕也」と紹介しているのを聞いたことがあります

しかし音楽に疎い私は、彼がなぜそこまで大物扱いされているのかを知らないのです。

特にヒット曲があるわけでもないし???

彼が日本のロック界で重鎮のように扱われる理由をお教えください

A 回答 (5件)

矢沢永吉氏などに比べると、内田裕也氏のコンサートは格段に規模が小さいと思いますし、今や、それほどメディアには登場しません。



ただ、本人に対する評価はさておき、日本の殆どのロック・アーティストらしいロック・アーティストは、有名・無名を問わず、辿っていくと内田裕也に行き当たるんですよね。裕也氏主催の恒例イベントに毎回出ているとか、事務所がつながっているとか、バンド・メンバーがどこかでダブっているとか。伝説的俳優の故・松田勇作氏も、裕也系のコンサートの常連出演者でした。そのトップに裕也が君臨しているのです。

特にロックは長いこと日の目を見ませんでしたから(というか、それがロックの魅力でもあるのですが)、そこに投資し、とりまとめていた、また投資でき、とりまとめられた、希少なロッカーでもあったのです。

お察しのようですが、裕也氏は本当に「ロック“界”の重鎮」なのだと思います。「一般人に大人気のアーティスト」というよりはね。ちなみに、あれほど偉いのに、あれほどワケわからん行動ばかりしている人も珍しいと思います。そういう意味では「重珍」なのかも。。。
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この回答へのお礼

な~るほど納得しました!

氏が成し遂げてきたロック界への功績が大きいのですね。
一回や二回ヒット曲を出したかどうかは大した問題では無い。言ってみればチャーが「気絶するほど悩ましい」をヒットさせたかどうかよりも、その後の活動に偉大さがあるようなものではないでしょうか(素人考えなのでヘンなこと言ってるかな?)

あなたの回答を拝読して空手の大山倍達師を連想しました
大山師がどんな試合試合をしたかなんてのよりも、現代の打撃系格闘技がみな師に行き当たるのに似てると思います

大変参考になりました

お礼日時:2006/08/01 17:16

1959年に日劇「ウェスタン・カーニバル」にてデビュー。

当時隆盛を誇っていたグループ・サウンズ・「内田裕也とタイガース」での活動などを経て、1970年代後半からは俳優としても活躍
内田裕也のヒット曲
ひとりぼっちのジョニー(1963年)
破れたハートを売り物に(1963年)
悲しき悪魔(1963年)
ブルージーンと皮ジャンパー(1964年)
ラスベガス万才(1964年)
スイムで行こう(1965年)
きめてやる今夜/GONNA MAKE IT TONIGHT(1977年)
いま、ボブ・ディランは何を考えているか/WHAT'S HAPPENING,MR.DYLAN?(1978年)
無礼講/SAKE,WOMEN & MY LIFE(1979年)
長いお別れ/THE LONG GOODBYE(1982年)
雨の殺人者/KILLER IN THE RAIN(1982年)
アニー FOR A CHEEK TIME/ANNIE FOR A CHEEK TIME(1985年)
最大のヒットはアダモ(訳詩:三田恭次)の「ブルージーンと皮ジャンパー」(♪スカしてみても だけどなんとなく 心はブルー・・・・)と思いますが実際のとこは、当時はオリコンのようなランキングが無いのでわかりませんが今でもメロディ歌詞が出てくるのでかなり流行したと思います。
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この回答へのお礼

う~ん、やっぱり大ヒットなどは無い気がします

やはり草創期から日本のロックに携わってきたというプロデューサー的手腕なのかな、と感じます

ありがとうございました

お礼日時:2006/07/31 14:06

と、追補です。

公式サイトにまとまってました、、あらためてぶれてないなぁと感心しましたw下記URLの裕也さんコメントには爆笑の渦です。。

参考URL:http://www.uchidayuya.com/biography/index.html
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この回答へのお礼

わざわざの再回答本当にありがとうございます

客観的な資料をお教えいただきまして恐縮です

これも煽りではなく純粋な疑問です、どうぞ気を悪くしないでください

裕也さんのファンから見ると、どのへんが「爆笑の渦」になるコメントなのでしょうか?

いえ、きっとそのあたりが「裕也さんらしさ」の一番現れているところなのだろうな、と思ったもんで

お礼日時:2006/07/31 14:04

ミュージシャンとしての仕事もさることながら、「コミック雑誌なんかいらない」「十階のモスキート」をはじめとして多数の映画出演もあり、そこでの圧倒的な存在感はロックそのものです。

流行や常識にとらわれない強烈な表現者として異彩を放つアーティストだと思います。
私自身、「餌食」(東映:1979)という作品の登場シーンがあまりにもかっこよく、主人公が吸っていたタバコのKOOLを今でも吸ってます。
でも、憎めないんですよね。いくら突っ張っても横柄に見えないし、ホント不思議な方です。

都知事選にでたこともあります。あの政見放送をまたみてみたいです、、

他にも、元妻である樹木希林さんとの不思議な関係や、本木雅弘さんの義理のお父さんでもあることで、いつになっても過去の人にならない、という面もあると思います。
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございます

映画についても格別の大作ってわけではなく、また都知事についてもその知名度から立候補しただけで、芸能面の実績とは言えない気がします

よろしければ、「あなたが氏をどう評価するか、どう思うか」ではなく、客観的な業績をお教えいただければ助かります

あなたが氏のファンであることはわかります。どうぞ気を悪くしないでください

わたしは氏の実績を誹謗してるのでなく、本当に知らないのです

お礼日時:2006/07/31 06:18

そう扱われるのは、確かに彼がロック界の重鎮だからでしょう



一番の功績は、日本のロック・シーンを
陰に日向に支え続けてきたことでしょう。

早くにロックに目覚め、
どんな流行の波にも流されずにロックをし続けた。

それだけでも、十分な功績だと思います。

タイガースなど、彼によって見出された才能もありますし
ビートルズと同じ舞台に立ったことも、
それに、カナダツアーを行って、カナダで8位にまで
ランクインしたことも、当時の日本人からは
考えられないくらいの功績だったと思います。

日本人が、海外で通用することを証明したわけですから。

それに、自身のことだけではなく、
“ロックン・ロール・カーニバル”や、
”ニューイヤー・ロック・フェスティバル”など
イベントをプロデュースし、
新人や インディーズの活躍の場を与えたことも
大きな功績なのでしょう。
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この回答へのお礼

早速の回答感謝します

おっしゃることからすると、もしかしたら氏の音楽的実績と言うより、プロデューサー的実績の方が多く感じます

お礼日時:2006/07/31 06:12

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