
ず~っと昔にも質問したんですが、
古墳とかで勾玉と金の耳飾とか、金属製のいろんな飾り物ってでてきてますよね?
けど、飛鳥とか奈良時代では指輪とかネックレスとかってつけてませんよね?
縄文時代のひとがつけていた原始的な土製のものとかなら、弥生人におされて
消えていった、っていうのもわかるんですが、渡来人の高度な技術でつくられた
金製とかのアクセサリーまでなぜなくなったのでしょう?
古墳時代だってたくさん大陸の影響を受けていて、そういう大陸風の時代が長く
続いていくのに、なぜアクセサリー関係だけなくなってしまうんでしょうか?
有名じゃないだけで実はのこっていたんでしょうか?
テレビでやっていた朝鮮の冠にも勾玉はついていたし、日本独自のものではないと
おもうんですが…。
大陸でもあんまりアクセサリーつけてるってイメージはないんですが、大陸でも
そういうものはきえていったんですか?
まえ博物館で昔の沖縄の女性の絵(きっと日本で言うと江戸時代の絵)があって説明にも「ちゃんと指輪をしていて…」ってかいてあったんで沖縄にはのこっていたと思います。
どうして消えていってしまったのかぜひ教えてください。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
悪霊から身を守る護身呪物が時代や地域、信仰によって異なるからでしょう。
勾玉や管玉をつなげた貴重なネックレスやブレスレット、指輪、数珠、刀、鏡、櫛、お守りなど身に付けて携帯する護身具。文身(いれずみ)による魔よけ。護符(お札)による魔よけ。
縄文・弥生といった八百万の神を信仰している時代には、勾玉などで護身したでしょう。その後、仏教が広く信仰されるようになった時代には、数珠や護符(お札)へと変わっていったと思われます。
平安時代の十二単のお姫様は、扇を携帯していますよね。この扇も護身具です。
また、南方の人やアイヌの人たちには、文身の習慣がつい最近まで残っていました。火消しの人も火難から身を守るため刺青をする習慣があったそうです。
「指輪や首飾りをする文化」が、なぜなくなったか。それは、指輪や首飾り以外の護身呪物に変化していったからだと思われます。
なるほど。
アクセサリーにはそういう意味もあったんですね。
いわれてみれば、数珠も綺麗でアクサセリーっぽいですね。
やっぱりもともとおしゃれは護身ってことなんでしょうね。
ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
なるほど、そういうわけでしたか(^^ゞ
文化にも盛衰があるから、勾玉とかいうのもすたれていったんでしょうね。だからつける人が少なくなったんでしょう。
言語についても同じような気がします。
二度もどうもありがとうございます。
勾玉ってすごく綺麗だとおもうんですが、観光地のお土産になりはてて
しまってちょっと残念。
ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
はじめまして
アクセサリー類がなくなったわけじゃないだろうと思いますよ。
たぶん発掘されていないだけじゃないでしょうか。原因としては盗掘が考えられますよね。お金になったでしょうから。だから発見されていないだけですね。
高度な技術でできたものだけに、もはや埋めなくなったとか(^^ゞ
もちろん卑弥呼とかみずらを結った王のような人が勾玉やきれいな冠等を
もっているのはわかるんですが、飛鳥時代以降の人々もイメージにないだけで
実はいろいろな飾りをつけていたんでしょうか?
もし飛鳥時代の人がつけていたとしても、その後の平安、江戸時代等の人はそのようなものをつけていませんよね?(これも実はイメージ?)
なのに沖縄では指輪をつける文化があったのはどういうわけなんでしょうか?
質問の仕方がわるくてすみませんでした。
回答ありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
一般的には盗掘です。
新聞紙上で古墳の発掘が賑わうこの頃ですが、大半は盗掘によってその様なものは発掘されません。銅鏡などは良く残っているようですが。藤ノ木古墳は未盗掘だったと言う例がありますね。壁画で有名な、高松塚、キトラ、ホケノ山等をみると盗掘ばかりです。すみません。
残っている残っていないっていうのは実物ではなくって、
「指輪や首飾りをする文化」のことです。
質問がわるかったみたいですみません。
なぜなんでも大陸のまねをしていたのにそういう文化だけはなくなってしまったか
ってことなんです。
回答ありがとうございました。
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