「黒歴史」教えて下さい

何かで、自殺が流行しているかのような今のこの現象は、集団自殺の心理と似ているのではないか、
と読みました。
いじめや自殺は以前からありましたが、ここ数ヶ月はあまりにも頻発していて、
後日判明したことが報道されても、どの事件(自殺)だったか判断できないくらいの数です。
自殺の流行(語弊がありますが、適当な言葉が思い浮かびません)は、集団自殺の心理と似ているのでしょうか?

暗いニュースが多いのは仕方ありませんが、自殺のニュースは、親が子を虐待するニュース以上に暗いと思います。

A 回答 (4件)

確かに虐待より深刻な問題です。

死ねば取り返しはつかないからです。
集団自殺というより、マスコミの報道に触発されて連鎖反応のようになっていることがあるので、マスコミの責任も大きいと思います。もっと自殺をやめさせるような報道をするべきです。
WHO(世界保健機関)の勧告に「自殺を予防する自殺事例報道のありかたに」ついてというのがあります。
・写真や遺書を公表してはならない。
・自殺に用いられた手段の具体的詳細を報道してはならない。
・自殺の理由を単純化してはならない。
・自殺を美化したり、センセーショナルに扱ったりしてはならない。
・自殺を生んだ責任を他に押し付けてはならない。
このような内容ですが、明らかにそれに触れる報道が多いようです。
しかし、小中学生の自殺については、かなり深刻な状況のようです。
いじめグループがミニ暴力団化していて、個人個人の子供でいじめを戦えといっても無理な状況になっているようです。さらに担任に見識がなく力がない場合さらに悪い生徒が跋扈しています。(場合によっては、担任がいっしょになって肩を担ぐ場合がある)
さらにもっと悲惨なのは学校側がいじめを隠ぺいしていることです。
教師の倫理観に正義の倫理が弱くなっていて、日教組系の戦後民主主義、なあなあの話あって解決しなさい路線でいじめをかたづけようとするので、いじめっこグループを処罰しない、むしろ隠ぺいする方向で保身のために事件性をを否定する。
そしてもっと悪質なのは、いじめを巧妙に隠ぺいする教師が勤務評定が上がり教頭や校長に出世していくことです。教師が教育官僚のようになり、教育委員会も元教師であったりしてグルになっているというのが実情のようです。話はそれましたが、そのいじめによって子供が逃げ場がなくなり、自殺をもって周囲に現状を理解させようとしているケースが増えているようです。
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この回答へのお礼

集団自殺の「死ぬけれど一人きりじゃない、皆も一緒だ」…という心理と近いのではないか、
という内容でした。
虐待でもその他の犯罪でも、報道する為に模倣犯や類似の犯罪が増えることが多く、
特に去年以前の小学生くらいの子への犯行は、完全に報道が引き金になっていると思っていました。
報道しなければ、模倣して?自殺に急ぐ子も減るのではないかと思ったりします。
報道することで、集団自殺のように「苦しんで死ぬのは自分だけじゃない」と思ってしまっているのでしょうか。

後日新しく分かったこととして報道がありますが、「○○県中2いじめ自殺」の件だと断って報道されても、
もう何がどの事件だったか忘れてしまったり、ごちゃごちゃになってしまうくらいです。

一時、やけに幼児の虐待死が多く、これは絶対報道もいけないと思っていたのですが、
この風潮(?)が落ち着いて、死に急ぐ子が減るようになるよう祈ります。
新しい年は、もう少し明るいニュースを聞きたいと思います。

※WHOの勧告について初めて知りました。
この勧告通りにしていれば、きっと自殺の流行もしないのではないかと思います。

お礼日時:2006/12/29 14:55

自殺する動機は「人間関係」「経済的理由」「病気」


のいずれかに当てはまると思います。
金持ちで権力者であったら、
散々悪行をしていても良く眠れるし
美味しい食事にも事欠きませんから、
自殺する理由も少なくなります。

経験を積んだ大人になってから
除々に汚れて行った・・なら汚れが目立ちませんので
本人も「染まった」と感じるだけでしょうけども?。
子供はさらに「自立出来ない」「経験不足」という理由も出てきます。

純粋無垢で無知、未熟であるから簡単に汚れてしまう。
未熟者の過ちは太古の昔からありますから、問題にすべきは
「自殺をどうとめられるか」で
「生きていなきゃいけない理由」を
本人以外に生に納得出来る経験を自信を
未来に与えるというる責任を誰が負うのか。

自殺するのは
「過去は過去にあらず、近い未来も、遠い未来までも
生きて拭えない汚れ」
からの逃避、救済されたいからの手段。
と思います。

自殺しないのは逆に「死からの逃避」で「生の執着」で
生と死だと確実に意志や努力で逃れられないのは「死」の方ですよね。
万人に平等にあり普遍、
自然が(神が?)与えた義務、権利、保証しているものとは
「死」だけではないでしょうか。

集団自殺も死に方というより
最後の生き方としての主張と
誰かと共有する生き方、
共感を得る目的があったのと推測するのですが、
だから未熟なうちに「生き方として」なんての自殺は
生きる方向としてズレているし
何も本人の為にもならないのですけどね。
(死んだら満足感、達成感もないと思います。)

快楽目的でされる中絶や、
子供を育てられない親、
子供を助けない学校に
「生きてるうちに迷惑かければいい」とも言えないしなぁ。
私も自殺が流行か、カッコイイ生き方なのか
わかりませんが、
自分が死ぬ権利は、
どんなに嫌われ者であっても自分自身で決めるべき。
と思います。考えることにお金も場所もとりませんから。
多いにするべき!しないのは折角生まれて勿体無いですね。
蛇足ですが、哲学者に自分は生きるに価する人間か?
と問うと「生きるに価しない」という人が半数だそうです。

自分というのは環境だと思います。
仏教の「空思想」ですが、生は泡のようで、
回りの要素があって始めて成立つ存在であるということ。
自分があって自分の世界があるのでなく
人や様々な要素が用意されていて
自分の世界がある、人生に価値があるといえると思います。

でも、人が不遇なのを知って涙する人、怒りを顕にしたり清々したり
人間は自分だけで世界を終わらせることはないのですが
自殺者本人が自分を守るための冷酷だったのだろうか。
つまり自分で自分を殺したのではなく
周囲の人、環境を抹消したいという理由で。

不自由のない暮し、借金もないし五体満足
そんな中で自殺する子供にとって
いくら大金を積まれようが、名誉を与えられようが、
最大の「恨み辛み」解消の理由になるかもしれませんね。

でもまぁ、恨まれてる相手が
その後苦しむことというのは少ないようですけどね。

platina-angelさんが真剣に問われているのに
回答になってないかもしれませんが、つれづれに書いてみました。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
いじめた子が、必ずしも被害者の子が自殺したことで後悔するとは限らないと思います。
感性が少しおかしい子も多いようで、恥知らずとでも言うのか、育てられ方がまずかったのか、
鈍い子が多いですので、どこまで後悔するかなんて、分かりませんよね。

死にたいと思うことはありますが、それは本当に死にたいのではなく、
恥ずかしいことや不満なことを消してしまいたい、皆の記憶や自分の記憶から消えて欲しいと思うのかもしれませんね。
物質的に豊かな分、ちょっとしたストレスに弱くなっているのが今の日本人だと読んだことがあります。

丁寧なご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/30 23:25

少年の自殺に関しては否定出来ませんね。


でも、自殺はもともと日本人の死因のトップ3に入るありふれたものです。
ここ数年は年間3万人以上も自殺で命を絶っています。
30年前でも年間2万人です。

ここ数ヶ月目立つのは、本来は報道しないはずの自殺関連のニュースをメディアが取り上げる事が多くなった為です。
報道の基本スタンスは、自殺=事件ではない→黙殺という事ですので。
※連鎖との関連を考慮しているとも聞きますが、実際は多すぎてニュースにならない。
最近の報道は、自殺に関する周囲の対応に問題があったり、ある事件に関っているであろう人の自殺という事で報道されているだけです。

もう、自殺したくらいで自分の主張が通るなどと思って欲しくないですね。
何かを訴えたくて自殺するなんて、そんな馬鹿らしい事はないんだと気づいて欲しいです。
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この回答へのお礼

少年の自殺だけでなく、必修科目の不履修問題の学校の校長先生も自殺されましたが、
本当に、よりによって親と並んで一番自殺してはいけない学校の先生が、
現実から逃げる為に死を選んだというのが、本当に腹立たしかったです。
その方その方の苦しさがあるのでしょうけれど、その職業を選んだ人間がやってはいけない事、というのがあると思います。
警察官の犯罪は、一般人以上に良くないですが、警察官が自殺すること以上に、
学校の先生が自殺したということは、その地域の子全ての心に影を投げ落とす行為だと思います。

嫌なニュースが多く、明るいニュースはスポーツ関係くらいですが、
自殺のニュースはたまらなく嫌なものです。
ご意見の通り、自殺しても意外に大きな影響を与えることは出来ないと意識して欲しいと思います。
その子にとってはひとつだけの命ですが、一人の子が亡くなっても相手の子の人生は
多分今現在ではそれほど狂うこともなく、これからも歩んでいくのだと思います。
生きたいと思っている人がたくさんいて、その人が願っても手に入れられない命を持っている人が、
それを(苦しさに耐えかねてでも)捨てるということが、どれほど全ての命を軽く見た行為が自覚して欲しいです。

お礼日時:2006/12/29 15:04

「流行」ですからねぇ。


長続きしないと思ってます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
何かの流行と一緒にして良いのか分かりませんが、本当に一時のもので、こういうことは終わってくれると良いと思います。

お礼日時:2006/12/29 14:48

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