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テレビの深夜放送で、アメリカ映画の日本語吹き替え版を観ていたところ
台詞の乞食の部分が、カットされていました。
その場面は大事な部分でしたので不満でした。
日本の社会において乞食は存在しないから、放送禁止用語だから、と何処か書いてありましたが
私は乞食は乞食だと思います。
何か事情が有る方もいますが、ただ働くのが嫌いで気ままに好き勝手、自分勝手な最強のエゴイスト人間がほとんどだと思います。

体の不自由な方の放送禁止用語は理解できますが、乞食、浮浪者は納得できません。
またキチガイはだめでも 「 気違いピエロ 」 は良く、挙句の果てに
床屋も禁止用語、などという話もあります。

放送局、出版社が過剰反応したり問題が起きる前に先手を打っているだけなのでしょうか。

私は乞食の方が悪いと言っているのではありません。
ホームレスでも失業者でもないのですから、自由、気ままに生きている 「フリーマン」 ですか?

A 回答 (7件)

 補足です。


 差別的要素の盛り込まれた作品は、過去の歴史を認識するための財産であると思います。これを改ざんすると、差別自体を隠すことになり、同じ過ちを繰りかえすことになりかねない。その為に原作をそのまま保存するべきである、と私は考えます。

 mirrorzさんにはもうしわけありません。質問の主旨からはずれてしまいますが、私の発言の中にcoco1さんに対する少々挑発的な言い回しがあったで、coco1さんに謝罪します。ただ、権利その他について意見を述べさせてもらいます。
 公共の福祉とは人権を持つ人(つまり全ての人)の意見の集合です。公共の福祉、民主主義、どれも個人の権利があって初めて成り立つものです。
 民主主義とは、多数決の原理と同義ではなく、複数の意見の妥協点を模索するための制度です。多数派の意見がもっとも尊重される事は確かですが、「たった51人」の為に「49人もの人」が犠牲になる事を、民主主義は認めてはいません。現実はそうでないのかもしれませんが、ここを崩すと、全体主義に陥る危険性があります。
 多数派が信じる正当性が、時代と共にシフトして来た事が、過去の作品の差別的要素を明らかにしてきたという面もあります。差別について考える時、当たり前のように信じている善悪、快不快を疑う事は不可欠であると思います。その為には、少数派の意見を尊重するというプロセスが必要、だと思います。
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この回答へのお礼

御返答有難うございます。
差別的要素のある作品を改ざんすると過ちを繰り返すという御意見には賛成です。

日本国民は皆、同じ考え、行動をして生活しているようですが、人と違う行動、発言をすると押えつけられてしまいます。最近は自由な教育、自由な発想と言っている方がいますが、なにを今更と思っています。

乞食の方を見て 「 あの乞食より俺の方がマシだな 」 などと考える日本人は
江戸時代と何も変わっていない島国根性の、けつの穴の狭い ( 失礼 )人間だと感じます。

お礼日時:2002/05/08 00:12

補足です。



私は乞食に「基本的人権がない」などとは書いていません。

現在では、乞食というよりもホームレスの方が実情にあっているとは思うのですが、同じような外見ではあったとしてもホームレスは必ずしも物乞いをする訳じゃありませんから、両者は明らかに異なるでしょう。しかし、景観を損ねる、不衛生という意味では差がないといってもいいと思います。

その意味で、私には乞食≒ホームレスという考えが念頭にあります。

で私の発言の主旨ですが、以前どこかの役所がホームレスの住居?を排除しようとしたときに「ホームレスの生活を守れ」とかで大騒ぎになったことがありますが、公共の施設である駅や地下道や公園に勝手に住み着いて、住民に不快感を与えている彼らが「安心して生活する権利」などを主張するのはちゃんちゃらおかしい、ということです。

何でも人権人権といえば済まされると思っている人がいますが、「公共の福祉に反しない限り」という大前提があることをご存じないのでしょうか? 冷たいようですが、51人の幸福のためには49人が犠牲になるのが民主主義です。

...ということなのですが、mirrorzさんの質問の主旨から外れそうだったので、以上は、あえて記述していなかった部分です。あしからず。

しかし...
乞食の住めない世の中はひどい世界? 逆必ずしも真ならずといいますが、乞食の住んでいる世の中は素晴らしい世界なんでしょうか。
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この回答へのお礼

御返答有難うございます。
私は、乞食には人権が無く人間ではないから殺しても構わないとは全く思っていませんが、近所の駅前で今時珍しいほど年季の入った乞食を見ました。
通りがかりの子供の顔が恐怖で引きつっていましたが、これも人生勉強でしょうか。

乞食の住んでいる世の中が素晴らしい世界かどうかは判りませんが、一流大学を出たサラリーマンがホームレスになった話をテレビでやっていました。
年齢制限がある、力仕事は無理、仕事内容が自分に合わない、知識が無いなど、様々な理由が有るようですが、私にはただの言い訳にしか聞こえません。
住宅ローンが払いきれずに、サラ金に手を出して挙句の果てにホームレスになるなど、本末転倒です。
世渡りが下手、頭が回らない、などの理由はあとから幾らでも付けられます。
乞食、浮浪者、ホームレスの方は、今のほうが楽だからとしか私には思えません。
慈悲の心で、一般の方が乞食に物をめぐんであげるのは、乞食の方のためには
ならないし、めぐんであげた方は、良い事をしたと思えるのでしょうか。

乞食人生学、探究乞食道、われ乞食なり、乞食食物連鎖、等々
乞食の方は日頃考えているのでしょうか。

お礼日時:2002/05/07 00:46

補足です。



乞食の側面とは何でしょうか とのことですが
そういうことを発見するために文学や映画などが存在しているように「も」思います。


esnobismoさんの解答にある

>国で定めた義務を怠っているからとか、犯罪行為をしているから「人権がない」という発想は、人権に対する基本的知識が欠如しているように思えますが。基本的人権を保証する理念は、国家の意志よりももっと上になければならないのでは。

これにひどく同感しました。

ある小説家の言葉です。
「乞食の住めない世の中はひどい世界だ」
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この回答へのお礼

御返答有難うございます。
乞食の側面を発見する為にも文学や映画は存在している、との事ですが
随分と深い意味が有りそうです。

ヨーロッパでは日本でいう昔ながらの乞食がたくさんいて、物乞いをしているそうですが、乞食の徘徊している日常が良いのか判りません。

お礼日時:2002/05/06 23:27

 些細な部分の芸術性だとか、作品の質などを気にかけるのなら、翻訳ではなくオリジナルにあたればいいと思います。

そのため、どんな惨い差別用語が語られていようと、オリジナルを変える事をしてはならない、とも思います。
 mirrorzさんや他の回答者のみなさんも、そうしたメディアの自主規制を乗り越えて、作品の理解に到達する事が出来る見方をしているのだと思います。差別用語を規制するしないの話も重要なのですが、瑣末な言葉の問題にとどまらずに、作品の核心を見るという、その方法を議論していく事が重要なのだと思います。
 
 国で定めた義務を怠っているからとか、犯罪行為をしているから「人権がない」という発想は、人権に対する基本的知識が欠如しているように思えますが。基本的人権を保証する理念は、国家の意志よりももっと上になければならないのでは。
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この回答へのお礼

御返答有難うございます。
映画は、俳優と声優の息が良く合っていたので観ました。

お礼日時:2002/05/06 01:01

言葉は生き物だと思うのでその時代によって変化する物だと思います。



私はコジキ、メクラ、ツンボ、オシ、キチガイ、オマンコ、チョン、シナその他諸々の差別用語や放送禁止用語にされている物などは隠語としては残っていっても表舞台にはもう復権できない言葉だと思います。
社会通念上、不適切であったり、メディアのバッシング対象となるからです。
もちろん小説、映画など文学、芸術上の必要な表現やモチーフであれば使えばいいだろうし、作家は表現の自由を規制する側と戦わなくてはならないと思います。

隠すことによって、その物の側面が見えず

>ただ働くのが嫌いで気ままに好き勝手、自分勝手な最強のエゴイスト人間がほとんどだと思います。

というような考えが生まれるんじゃないかと思います。

あと、今は「気狂いピエロ」になってませんでしたっけ?

この回答への補足

アドバイス有難うございます。

隠すことによって、その物の側面が見えず ただ働くのが嫌いで気ままに好き勝手、自分勝手な最強のエゴイスト人間がほとんどだと思います。
というような考えが生まれるんじゃないかと思います。
との事ですが、乞食の側面とは何でしょうか。

「 気違いピエロ 」は、「 気狂いピエロ 」でした。間違えました。

補足日時:2002/05/06 00:43
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「乞食(こじき)」自体は放送禁止用語ではないと思います。

しかし、日本では「こじき」は犯犯罪行為(軽犯罪法1条1項22号)とされていますので、特定の人や団体に向かって「こじき」といいますと、犯罪者であるということと同義になります。しかし、ホームレスは犯罪ではありませんので、こちらの方が多用されています。公務員に向かって、「税金泥棒」というようなものです。
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この回答へのお礼

アドバイス有難うございました。

お礼日時:2002/05/06 00:31

色々なところで論ぜられていますが、新聞・雑誌・テレビ等を細かくチェックして、抗議をする団体が現実に存在しているわけです。


マスコミ各社にしてみれば、それらにいちいち構って、丁寧な応対をしているわけにはいきませんから、自ずと、触らぬ神に...となってしまい、現在のような状態になってしまったというのが真相でしょう。
しかし、この、いわゆる「言葉狩り」が如何に無意味なものかと言うことは、例えば、「キチガイ」はダメ、しかし「基地外」は黙認、とこの程度のものであることを見ても分かります。
よく例に出される座頭市シリーズも、盲でありながらも強く生きている人物を取り上げた名作なのに、ただ盲が主人公であるというだけで、放送禁止なのです。
苦笑せざるを得ないような例としては、水族館に行くと、「めくら魚」の説明が白く塗りつぶして「目の見えない魚」になっているというのがあります。(事実です。)

差別主義者が本当に差別することだけが目的で差別用語を使うことももちろんあるでしょうが、そうでなく、あえて差別用語を使うことで差別の実態を白日の下にさらし、差別の空しさを訴える文学作品や映画・ドラマは数多くあるのです。
「この差別用語は、差別目的で使われているのかそうでないのか」、という判断材料さえ根こそぎ奪われてしまった現状が招くものは、差別語の差別化・暗号化・巧妙化であり、差別を無くすことには決してつながらないと言うのが私の考えです。

なんだか、質問の趣旨から外れてきましたが、憲法で義務づけられている労働・納税を怠っている上、法で禁止されている行為を生業にしている?乞食に人権などない、と思います。
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この回答へのお礼

御返答有難うございます。
座頭市シリーズは昔、良く観ていましたが放送禁止だとは知りませんでした。

放送禁止にしても差別を無くすことにはつながらないと、私も思います。

お礼日時:2002/05/06 00:29

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