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1846年6月のミュルーズにおける食料騒動。なぜ食料騒動が起こったのか教えて下さい。お願いします。

A 回答 (2件)

 まず、フランス史において、フランス革命(1789年)以後から、とくにナポレオン没落後から第三共和政成立(1870年)までの間にはさまざまな政治体制が取って代わった激動と混乱の時代でした。



 ナポレオン後に生まれた復古王政時代には、前時代的政策により国民を落胆させ、1827年イギリスで起こった経済恐慌の影響をもろに受けた労働者や農民たちは、ますます政府への怒りを燃やしました。

 1830年パリで起きた『七月革命』は市民による革命であったにもかかわらず、共和制にいたらず結局ルイ=フィリップによる王政となったことも国内の混乱に尾を引くことになりました。

 そうしたなか、国内の産業革命が進むにつれ貧富の差が拡大し、労働者の生活悪化がすすみ、工業・金融恐慌状態がすすみました。そこへ1845年、翌46年と農業凶作が連続したことが契機にミュルーズはじめ食料暴動がおきました。

 こうした社会不安の激化からいわゆる『改革宴会』が全国で開催されるようになり、それが『二月革命』へと発展していくのです。

 
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この回答へのお礼

ありがとうございました。すごく参考になりました。

お礼日時:2007/01/18 22:55

質問の正しい解答ではないかもしれませんが。


このころは、世界的にみても飢饉が蔓延し、世界中で食料騒動が起きています。
日本では、大塩平八郎の乱が有名です。(天保の大飢饉)
アイルランドでは、ジャガイモの発育不良から、国民の3人に一人が死んだとも言われています。
ジャガイモの不作に加え、ジャガイモの害虫がヨーロッパで大発生し、ジャガイモの生産がかなり低下しました。

フランスでも、同様に飢饉となり、全国的に不況と物価高騰が同時に起きるスタフグレーションとなっています。
この事が、ミュルーズにおける食料騒動につながったのだと思います。
(ミュールズに固有の原因が有れば別ですが、ヨーロッパ全体から見た場合、寒冷化による不作と寒冷化の継続により作物の害虫への耐久力がなくなったためにおきた不作がかさなったのだと思います)
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この回答へのお礼

ぜひぜひ参考にさせていただきます。ありがとうございました。

お礼日時:2007/01/18 22:56

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