
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
30~35年前に当時の南北イエメン(南イエメンと北イエメンに別れていました)両国を頻繁に仕事で訪れていました。
南イエメンの首都「アデン」(ADEN)は旧英国植民地の面影が建物外観等に残る港町、英国はこの紅海の入り口の港を極めて重要視していたことが判ります。そのお陰で英語を話す人は普通でした。湿度高く暑くてたまらんの街でした。当時はソ連べったりの社会主義を目指す「南イエメン」、「北イエメン」(首都はSANAAH)は自分達で「全アラビアの開祖」を自負する古くさい国、男達は腰に短刀を差して男同士腕を組んで街を歩いています。またこの国の男達全員は「カート」と呼ばれる「覚醒作用のある」お茶っ葉を愛用、その経済活動だけで当時の「北イエメン」が成り立っているようでした。まだまだありますが、他の情報はネットで入手可能ですので、何かトピックが有ればお呼び下さい。No.3
- 回答日時:
ちょっとマニアックのを参考にどうぞ。
イエメン(特に北イエメン)の男性はカートと呼ばれる葉を
口に含んで頬を膨らましている。
イエメン、カートで検索してみてください。
No.2
- 回答日時:
それは、高校レベルくらいの情報量で良いですか?
ならば、ウィキペディアや外務省などを参照すれば、大まかな情報は手に入ります。
食生活ですが、下に参考を貼っておきました。
参考URL:http://homepage3.nifty.com/sekai-hekichi/album-f …
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