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過去に決めたことで、それから2年以上たっているのにいまだにあのときの決断は正しかったのだろうか、いや間違っていたのではという思いが消えません。それは後悔というより自責のようなものです。

あのときはああするのが一番いいと思った。もちろん迷いつつ。。です。
でも今となっては本当にそっちでよかったのかわからない。なぜならそれを選んだばかりに失うものがあったような気がするから、、です。
すごく抽象的ですみません。もし必要であれば詳しく書きます。(恋愛ではありません。)

もうどれだけ今考えてももう一度違う方でやりなおせる、というような選択ではなく、時間が戻りでもしない限り無理です。
だからこれでよかったと思いたい、でも私は間違っていたのかもという思いが毎日頭の中をぐるぐる回っています。
この選択は自分自身のためにしたものではないだけに(子供関係です)その子にとって本当によかったのかどうか、いえ、よくなかったのかもというマイナスの思いしかありません。

こんな思いを一生抱えて生きるのかと思うととてもしんどくて。
時々あの決断した頃の写真を見ると涙が出ます。

こんな思いを抱いて暮らしている方、いらっしゃいますか?
またこんな思いを経験した方、どうやってその後のりこえられましたか?

A 回答 (15件中1~10件)

私はそういう思いを抱いて暮らすことはありません。


「あのときああしりゃよかったな・・・」と思うことはありますが、「こうしたんだから、あの時・・・ではなくこれからどうするかだけだな!」と開き直ります。後悔しないために前だけをみて進むのです。
過去には戻れないし、今ここでこうして生きているのはそのときの決断があったからです。
そういう後悔をしないでいきていくには、今を精一杯生きるしかないのです。あのときこういう選択をした、もう戻れないならいま考えられる限り幸せになるよう努力するしかないのです。
子供のためにそういう選択をしたのなら、もしかして違う選択のほうがよかったかもしれない、でもこういう選択をしたんだから今このこのためにしてあげられるすべてのことこれからしてあげよう!
それでいいのです。

人間万事塞翁が馬

今の後悔は将来の幸せの糧になるかもしれません
これからを作るのは「今」のあなたです。「過去」のあなたではありませんよ
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過去を振り返って悔やむことは一度や二度、大なり小なり誰もがあるのではないでしょうか。


過去を引きずるということは、言い換えれば今が余裕があるともいえるのです、日々のことに追われていればそのように過去を振り返る余裕などないはずです、これでよかったどうかの判断は誰にもいえません、いろんな選択肢の中からひとつしか選ぶことしか出来ないのです、今が幸せであれば満足するしかないと思います、今は、専業主婦の方なのでしょうか、何か趣味を見つけ目標をもたれると良いと思います、回りには同じような方がたくさんいらっしゃると思いますよ。
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何かを選択するということは選択したもの以外を捨てるということです。

誰でも行っています。そしてifは存在しません。

自分のことであれば自分で責任を負うことができるのですが対象が自分じゃないから悩むんでしょうね。

うちの親も僕に対してあの時こっちの道を進ませたけど本当は別の道を進ませたほうがよかったんじゃないかって僕に若干の負い目をおっていたようです。(飲んだ時に話してくれました。)

でも、僕が今頑張っているから良かったのかなと思えていると言っていました。
僕からすれば僕は僕なりにその中で頑張ってるわけだから僕の人生にそんなに責任を感じなくてもいいと思う。僕の人生に責任を負うのは僕だけだと。親にはとても感謝しているし、負い目なんか追われたら逆に申し訳ない。むしろちゃんとその選択に自信を持ってくれというような話をしました。

ですから、子供さんが最終的に良かったと思っている姿を見ることができれば救われるんじゃないでしょうか。
で、親としてはそのためにできることをやっていくと。

ちなみに親の選択が子供を決定つけるなんて考えていたらそれは親のエゴだと思いますよ。子供は子供でちゃんとやることを考えます。
参考までに。
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質問者さんとは全く違うタイプの人間なんですが一言。


間違っていても、間違っていなかったとしても、選んだのはほかならぬ自分自身なんです。
自分の選択・行動に責任を持つという意味でも、その選択には誇りをもつべきですよ。
別の選択をしていたらどうなってたのかなんて、誰にも分かりません。
別の選択をしていたらもっと幸せになっていたか?それもわからないんです。
過去のことにこだわるよりも、過去に選んだ道からまた今現在のびている未来への道をどう進めていくのか、考えたほうが報われると思いますが。
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私もいろいろ人生の岐路であーすればよかったとかこっちへいけばよかった。


と思うことがあります。

悩みすぎて真剣にタイムマシンがほしくなった時期もありました(笑)
過去に戻って別の選択をした場合、どうなるのか見てみたい気持ちが
強くありました。でも、不幸の場面を見たくないというのもありました。

どちらの選択が正解というのは誰にもわかりません。

preciosaさんもつらいでしょうが、その頃の写真とかはまだ見る時期では
ないと思います。過去を美化してしまい今を悪く思うからです。
心に余裕が出てきてから懐かしむのもいいのでは?

私は、親しい友達に話を聞いてもらって乗り越えました。愚痴みたいなもの
ですが、話を聞いてもらうことで随分楽になりました。
聞き上手な人なので助かりました。
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大なり小なり「後悔の念」や「自責の念」は、誰の心の中にも存在するのだと思います。

もちろん私の中にも「あの時、違う対応をしていれば…」と思う事はいくつも(^_^;)

しかし、人生は「選択と決断の連続」です。失敗したと思ったら、そこからやり直すしかありません。

過去を取り戻すことが出来ない…というのは、変えようの無い現実です。「今の自分なら違う選択をするけど、あの時はアレが最善の方法だった」と、自分に「言い聞かす」他ないのかな?と思います。

思い出して辛いなら、思い出さない事です。努めて「考えないように」する事です。

私も毎日考えてしまう過去のイヤな事や辛い事があります。フッとした時に脳裏に浮かんでしまうので、その度に「考えない、考えない」と、別の考え事に切り替えるように努力しています。

最初のうちは一日に何度も考えては打ち消しての連続でしたが、時間の経過と共にその回数が減ってきました。自分の気持ちが悪いほうへ進んでしまう方向を、サッと「転換」する事が上手になったように思います。

過去との決別って本当に難しいですよね。その部分の記憶だけ綺麗になくなってくれればいいのに…と思うほどの事でも、本当に無くなってしまったら、今度は無くなった事に不安を覚えて悩み苦しむのでしょう。

辛い選択をした自分を、どうか許してあげて下さい。
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私の大好きな人が言っていて、いいなぁと思った方法を自分なりにご紹介します。

ご参考になるか分かりませんが。
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まず、過去のことを後悔するということは、
今のご自分に「不満」、もしくは「不幸」を感じられているのではないでしょうか。

実は、「今の自分に不満」を「今の自分で満足!」に変えてやると、過去のことで悩むことはなくなるのです。

・・・では、どうすれば「今の自分で満足」だと思えるのでしょうか。
一つ効果的なテクニックがあります。
それは「感謝」を実践するということです。なぜなら、
「感謝」というのは、満ち足りた時に出てくる気持ちだからです。

具体的には、何があってもいつも「ありがたい」と思うようにします。
たとえ苦しいことがあっても「勉強になったなぁ、感謝、感謝。」と、
心の中だけでも良いので、何にでも「ありがとう」を沢山つけます。
ちょっと無理やりですが、まぁ、こうやって考え方を軌道修正するわけです。

そうして、一日に何十回も「ありがとう」といっていると、
そのうち過去のことも自然に「ああ、良い経験になったな、
必要な経験だった。ありがとう!」といえるようになります。
とても楽になります。本当ですよ。

嫌なことがあったときに「ありがとう」と思うのは、
なかなか難しいのですが(笑)
そんなときは「私は今『ありがとう』の修行をしているのだ」と思うと、
頑張れると思います。

もし自分に向いているかもしれないと思われたら、
やってみてくださいね。
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私なんて、10年前のことでさえ、ああすれば良かったのに・・・と後悔していました。


しかも、1つの事だけでなく、あれもこれも・・・と後悔ばかり。
思い出して泣いてしまうような事もあれば、腹立たしくなるような事もありました。

でも、ある時、ふと気づいたんですよ。
後悔して、一体、何になるんだろう…って。何にもならない事がわかりました。

後悔してどうになかなるなら、いくらでも後悔してればいいんです。
でも、後悔したってどうしようもないんです。過去に戻れるわけじゃないし。
今、改善の余地があるなら、今出来る事をすればいいし、
もうどうしようもないなら、諦めるしかないです。
冷たいようですが、これが現実です。ある程度、割り切って考えることも必要だと思います。

今後も、一生懸命選んだ選択でも、未来になれば後悔することもあるかもしれません。
だけど、その後悔をずっと引きずっていても、良い事はありませんよね。
改善できるならする。できないなら諦める。その時、出来る事を頑張っていくことです。
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あなたは非常に真面目な方なんでしょうね。

でもそんなというか、どんな長所の裏にでも、必ずと言っていいほど、大なり小なりの短所が背中合わせでくっついているものです。

あなたのその真面目さが一人歩きしてしまい、生真面目になり、馬鹿真面目となり、糞真面目にと、段々柔軟性を欠いた頑なな心になってしまっている可能性があるような気がします。

い~くら考えたって、しょうがないことはしょうがないし、仕方のないことは仕方がない、んだ、と、どこかで割り切って開き直るか、開き直ってから割り切るかのどちらかで、一度心をリセットさせることが肝要です。
将棋の天才 羽生は、決断をしなければならない局面での直感というものは、その7割は正しい、と言っています。あなたもその判断しなければならないときに、直感どころか、充分考えられた結果のことなんでしょ。であればもういいじゃないですか。

物事正解でなければならないなんていうことは、この世の中でそうそうあるものではありません。正解でなくたって、妥当解だったということであれば、それでいいじゃないですか。2年も苦しい思いをされ、相当ストレスも溜めたかも知れませんが、この際  何がどうなったところで、世の中の大勢に影響な~し!!とピリオドが打てれば良いですね。

自分で自分の首をこれ以上、締め付けていくことは賢明なことではありません。曽野綾子の、いい人をやめれば楽になる、という小説の題名なんかがあなたに今必要なコメントなのかも知れません。

古来の諺にもあるよう、親は無くても子は育つんだ!ぐらいに考え、大雑把で気楽に行きましょう。そのためにもこれからはもう少し心に余裕をつくれるようでありたいですね。

この問題を根本解決するには、ここでアドバイスを集めても最終的には言わずもがあなた次第です。

いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識で解決することはできません、つまりあなた自身が今までの2年間を総括し、区切りをつける意識改革が出来るか否かにかかっているのではないでしょうか。

選んだばかりに失うものがあったような・・ということは、これは至極当然のことです。失ったかもに固執しているのは真面目さの他に、ある意味、欲とも関係するかも知れません。

逆に二兎追う者は一兎も得ることは出来ませんから、その時の判断で現在一兎は追えていると思うので、それで良しということで良いのではないでしょうか。

学校時代の試験を思い出して下さい。終了時間の間際迄迷いに迷って、解答を書き直したものって・・案外 正解だったものを消して、わざわざ不正解を書いてしまう例がありませんでしたか。
時間がよしんば元に戻って、あなたがそうすれば良かったという固執の念にかられているほうに選択し直したところで、何か私にはそのテストのような結果に終わりそうな気がしてなりません。

あまりひとつのことをいつまでも、クヨクヨ考え続けることは、精神的に被害妄想や鬱になったり、ヒステリーやノイローゼになったりという大事になっては大変です。どうしても自分で心のの整理がつけれない、と判断したら、心療内科でのご相談をお勧めします。長文で失礼しました、私の名前をクリックすれば10ケのコメントを記載しています。1コでも心に響きましたらそれをメモって参考にして下さい  では
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 過去の失敗を悩んだら成功に変わるなら私も沢山なやみますが、幾ら悩んでも過去は変わりませんから諦めます。


 
 車を運転していて曲がる所を通り過ぎちゃって、「あっ、あそこで曲がらないと行けなかった・・・」と、ずぅーっと悔やんでいたら事故っちゃいますよ。 さっさと気持ちを切換えて最短ルートを考えた方がベストじゃないですか・・・・。
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