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現代病の一つとしてうつ病がありますが、そのうつ病の予防方法として哲学するのは有効ではないでしょうか。

うつ病の方々は自分自身に対する客観性が今ひとつ欠けているように思われます。誰でもそういうところはあるのですが、自分に振り回されすぎる傾向があり、気がつくと普段の生活にも支障がでるほど重症化してしまった。というように見受けられるのです。

このカテの住人?の方はうつ病とはあまり縁がなさそうにも思います。哲学しすぎてうつ病になったという方はその経緯などを教えていただけいないでしょうか。

重症化してしまったら医学の手を借りなければいけませんが、予防方法として哲学は有効だと思うのです、哲学とはなんぞやというのはちょっと脇に置いといて、心理も含め広い意味でということでお願いします。

A 回答 (16件中1~10件)

現代病としての心の病巣が何処にあるかもわからんで


下手な考えに休むに似たりの哲学で解決するわけがない.
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この回答へのお礼

えーと、真面目な回答なんでしょうか。

お礼日時:2007/04/24 21:43

・私の経験からすると必ずしも薬は必要じゃないんじゃないかと思っています。




貴方の症状を聞いて思うのは、悩みは深くても「うつ病」としては軽度だったのではないかと思います。
 私のは完璧な重度で、本当に頭がおかしくなりました。 
例えば、一番ひどい時はテレビの笑い声とか、喜怒哀楽の音が怖くてテレビも見られなくなりました。 何より、本当に一睡も出来ない地獄を味わいました。 死ぬより開放される道はないかと思い詰めて、病院に行きました。 睡眠薬と安定剤・抗うつ剤と云う薬品に救われて、ようやく安らかな眠りにつくことが出来ました。
 そう云う経験から、重度の人には絶対に薬が必要と思っています。



・私は正直お坊さんという人を少し軽蔑していました。職業としてそれを選ぶというのは不道徳のように感じているためです。

 貴方が指摘するように、私も自分や僧侶を軽蔑していました。 その罰が当たって、うつになった様なものです。
 今では、生きている人は誰をみても、仲間に思えます。
今の私にとっては、「うつ」は宝物で、傲慢な私を素直な人間の坊さんにしてくれました。

 職業としての僧侶の自身を軽蔑して自殺した仲間も居ます。 人も自分も軽蔑したら、
 それは「自己より発して、自己に返る」と云う理があるのでご注意下さい。 

 心の世界は不可思議で、凡てが自分の心を写す鏡だと、念仏や禅、唯識の法から知りました。

 一期一会
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この回答へのお礼

罪の意識もうつ病の原因になるということでしょうか。お坊さんも命がけですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/24 21:40

・質問への回答


お聞きしたいのですが、学生時代から哲学に触れてきたことがうつの治療に役に立ったと思いますか。

 役にたったと言えば役にたったと言えるし、それが原因であったと言えばそうとも言えます。 
 
 根本は思考や物の考え方の間違いが原因していると思います。同じ事をずっと考え(実態は考えているのでなくタダ悩み思考が堂々巡りしている)それが、健康な人から考えられない位続く、私の場合二週間程一睡も眠れず悩み続けました。 それが私のうつの入口でした。 

 ・役に立った面、
色々な宗教や哲学の言葉を便りに、子どもの為に生きなければと苦しくても人に接して、気持ちを出せた事。 この人に気持ちを少しでも出せた事が私にはうつの出口でした。 
 その時哲学的考え方として、「自分の内面・罪…、本心の本心を口に出して人に話した者、放した者は、その悩みの原点が心から離れて行く」と云う、哲学的知識は少しは役にたったと思います。



 お坊さんとの事ですが、宗教と哲学はどちらがうつに効くと思いますか。或いはどちらも無力でしょうか。

 この質問の本質には答えるコトが出来ないです。質問の形体を変えられた方が適切かと思います。 以下はそれを承知で話します。

 宗教と哲学は、ラーメンとうどんみたいな関係では無いと思うし。
それでも、ラーメンとうどんはどちらが美味しい食べ物かと断定も出来ません。
 それは、言葉のあやになると思われますし誤解も招きます。 宗教と哲学を分離するのは、意味が無いしドチラモ、凡て空なるモノだと思っています。
 宗教と哲学は、客観的存在としては、「浄土宗とヘーゲル」「親鸞とカント」みたいに分離できますが、人の内面、実相の心の世界では分離不可能です。 それはタダの言葉に過ぎません。
 
 また、私の考えでは仏教の思想は宗教的なモノとは違うとも考えています。

 そもそも、私は仏教を心の要としています。「空」と云う立場からも、凡て根本的に実体が無いと確信しています。 哲学と宗教、実体の無い二つを分離することは無意味です。



 宗教も哲学も死について、単に肉体の死とは違う別の捕らえ方があると思いますが、その”死”がうつ病患者には必要なのではないかと考えたことはないでしょうか。

 医学で云う死亡ではなく、宗教的な「死」は、深い意味があると思います。 私たちはモノを認識して分別するコトを生まれてから繰り返し、それを成長と思っていますが、それがそもそも苦しみの根本原因だと仏教では考えます。
 今までの自分・思考とは完璧に「おさらば…」するコトができれば、その今までの自分の終わりを仏教では「涅槃」とも言えます。

そこまで、到達しなくても「止観」とか普段の認識して感じて行動するパターンから、抜けるのが、「禅や念仏」の真意だと思います。
 今までの自分を捨てる、(死)はそう云う意味では、不可欠だと思いますが、

 うつの方が死にたいと思うのは、私も身をもって経験していますが、自殺を選ばれるのは間違った考え方だと思います、痛ましいです。
 生命は終わる時まで、素直に生き抜くのが望ましいと私は思います。
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この回答へのお礼

宗教と哲学が分離できないと仰るように、哲学とうつ、原因と結果を分離することはできないのかもしれませんね。

実は、私も非常に強く死にたいと思ったときがありました。それは19歳くらいのときで、死にたいのに死ぬのが怖い、という生きることも死ぬこともできない状態が2週間くらい続きました。当時はうつという言葉も知りませんでしたし、医者に行くという考えすら持ちませんでした。どうやって元に戻ったかというと、私は死んだんです。正確に言うと死を受け入れました。そうしたら死への恐怖とともにうつが消えてしまいました。私のそれがうつ病だったかは分かりませんが、私の経験からすると必ずしも薬は必要じゃないんじゃないかと思っています。

私は正直お坊さんという人を少し軽蔑していました。職業としてそれを選ぶというのは不道徳のように感じているためです。bjazzさんのご回答を読んで少し良い印象になりました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/24 11:50

 うつも経験しました。

 哲学は学生時代の先行で現在も、現役の哲学系(坊さん)です。
 欝は完璧重度のモノで自殺も考えた程でしたが、愛情問題等から来るストレスの急性のモノで今は完治しました。

 
・うつから哲学を見た場合、

 哲学は最良の薬にもなりますが、自殺へ直行させる劇毒ともなります。 それは、使い方と言えると思います。 
 

 ・哲学からうつを見た場合、

 うつは、間違った哲学や自己流の観念に惑わされず、正しい哲学を持てば、その元の原因は一瞬で消えます。
 但し、実際にうつに成った人には薬が絶対に必要です。 それは、脳のある物質が無くなっているから、薬の力で補わないと哲学では治療できない、現象の部分が確かにあります。
 私が身を持って経験しました。うつの方に必要なのは、薬による十分な睡眠と休養です。
 実際のうつの方に哲学を持て、と云うのは死ねと言ってるようなモノです。


 人間の歴史のなかで、本当に人生に迷った人、救いを必要としている人に、薄っぺらな知識程度の哲学が効くハズがありません。

 深い愛情のともなった、哲学や宗教は救いとなるでしょうが、理屈を越えた世界だと思います…。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お聞きしたいのですが、学生時代から哲学に触れてきたことがうつの治療に役に立ったと思いますか。重度のうつ病の方には薬が必要なのは分かっていますが、薬のみで完治しないことも事実ですので。
また、お坊さんとの事ですが、宗教と哲学はどちらがうつに効くと思いますか。或いはどちらも無力でしょうか。
宗教も哲学も死について、単に肉体の死とは違う別の捕らえ方があると思いますが、その”死”がうつ病患者には必要なのではないかと考えたことはないでしょうか。

お礼日時:2007/04/24 01:12

このカテは「 哲学は、ひとつの答えに結びつくことの難しいテーマです。

質問者と回答者、回答者同士での論争にならないようお願いいたします。回答される際は、他の方への意見を載せるのではなく、質問者への回答やアドバイスをご投稿ください。」ということですので,shift-2007さんのご意見も一つの意見としてありがたくちょうだいいたします。

うつと自殺も重要な課題ですので,なぜ「希死念慮へと思考が到達するのか,その防御に有効な方策は何が考えられるか」など,哲学的側面からのアプローチも必要でしょうね(哲学がより身近なものになれば,なおいいと思います)。

ちなみに,うつ初期の気持ちは「からっぽ」を強く意識しました。満たされているはずの所に何もない,それまで満たされてものが何であったか分からない,こんな感じです。今となっては,なかなかすがすがしいものだと感じますね。

参考URL:http://health.goo.ne.jp/medical/search/10440200. …

この回答への補足

>プライドと責任は違うと思います
これは言いすぎでしたね、ごめんなさい。

補足日時:2007/04/22 15:04
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この回答へのお礼

私も論争は好きではないのですが、このQ&Aはインターネット上にありますので他の方も見ている、後には何かの機会で参照されることもありますので、必ずしもその人向けの回答ではないと思ってます。それだけに回答やお礼には十分に注意しなければいけませんね。

空っぽ、人によっては虚無感は誰しも感じますね。仏教で言う諸行無常はこのことを言うんでしょうか。すがすがしさを感じるとしたら悟りの境地に近いかもしれませんね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/22 14:51

哲学は小さい頃から好きで、よく本を読んだり考えたりしていました。


ただ、思春期の頃に「人生とは何か、生死とは何か」を考えすぎて、鬱状態になったことがあります。
「人生について」を考えていると、将来に対して不安が襲ってきました。
「客観的に自分の能力を考えると、過去の偉人たちのような立派な人生は送れそうにないな」と思ったり、「人生は何かを成すことであり、何も成さなかった人生は死と同じ。故に、何も成せそうにない自分は今死んでも同じ?」などなど、、、。
全てがマイナス思考に陥ってしまい、不眠症から始まり終いには体が何故か動かなくなり、一日中寝ているなんてことがしょっちゅうありました。
もちろん、高校は不登校状態、、、。

まぁ、他の要因もあるので一概に哲学的思考が災いしてとは言い切れませんが、哲学をしたからといってうつ病を防げるとういうものでも無いのかもしれません。

ただ、ウチの大学の教授が興味深い事を言ってました。
思想家・作家と言われる人は自殺するけど、哲学者は自殺しないと。
芥川龍之介・川端康成・ヘミングウェイ・キンケルetc...
と、作家は多数いるけどニーチェやキルケゴールなど、生涯で精神的に病んでいたと思われる人でも自殺はしていないと。。。
その教授の憶測だと、哲学者は自分の外に興味があるのに対し、作家は自分も含めた人間に興味があるからだそうです。
つまり、人間(及び社会)に絶望したときに死を選ぶのではないかと。

確かに、多くの有名な哲学者は自殺していませんし、その著作を見ても人間や社会のみならず、世界そのものに興味があるような気がします。
そういう意味では、哲学は哲学でも人間以外について(世界の成り立ちとか、宇宙とは何かとか)をやると、自殺防止にはなるかもしれませんね。
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この回答へのお礼

心理や哲学はワクチンみたいなものかもしれませんね。注射をしたときは熱や具合が悪くなることもあるでしょうが後々効いてくると思いたいですね。
哲学者が自殺しないというのははじめて聞きましたが、そうだろうなと思います。自分に対して、ある種気を使わなくなるなというのはよく感じます。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/22 13:40

shift-2007さん,こんにちは。



哲学カテもよく見ています。うつ歴5年目の者です。

>そのうつ病の予防方法として哲学するのは有効ではないでしょうか。

有効な人もいれば,無効な人もいる,と思います。私自身,哲学は社会行動学を学んだため,心理学と並んで重要な課題でもありましたし,無縁・無関係なものではありませんでしたが,うつになりつつある時に「哲学」は全く何の役にも立ちませんでした。哲学する,そんな思考の余裕がなかったといえます。

>うつ病の方々は自分自身に対する客観性が今ひとつ欠けているように思われます。

これは,認識の違いといわざるを得ないでしょう。人は他人との比較によって,自分の立場や存在価値を見いだします。このギャップに苦しむ人の中には,うつを発症する人もいます。また,自ら思い描く自分とありのままの自分とのギャップに苦しみ,うつを発症する人もいます。私は後者のタイプでした。
一般的にうつは強度(極度)のストレスがその発症の要因の一つとして挙げられます。先に述べた自己葛藤のような内面的なものもあれば,PTSDのような衝撃的な惨事に遭遇したショック,愛する者の死などという外因的要素の強いもの,人間関係の軋轢,重責や過度の労働などの両者的意味合いのあるもの,引っ越しや人事異動(定年)といった,これまでと違う環境に適応できなくなって,うつを引き起こす場合もあります。
よって自己客観性の欠落が全てではありません。

どの場合も,冷静に自らを分析できれば,うつにはならないとお考えになるかもしれませんが,私の経緯を振り返ってみて,私にとっては,それは不可能なことでした。気がついたときは,すでに病になっていたわけで,もし,自分を見つめ自分なりの解決を求めることをしていれば,当時課せられていた業務を全て放棄し辞職することしかなかったように思います。逃避ですね。無責任にもそういうことができれば,うつにはならなかったかもしれませんね,私は。

>自分に振り回されすぎる傾向があり、気がつくと普段の生活にも支障がでるほど重症化してしまった。というように見受けられるのです。

今にして思えば,私のケースは,職場組織の圧力に自分自身がつぶされてしまったものと考えています。競争社会から離脱したというよりは,自分ではどうにもならない上司からの嫌がらせとそれに最後まで対抗できなかった自らの力のなさであると思います。逃避せず,実績を上げることで自らの武器にしようと尽力しましたが,それは組織の反感を増長させることになりました。私がうつになり,手がけていた仕事から手を引かざるを得なくなってはじめて,組織は私や上司の部署異動を行いましたから,皮肉なものです。
当時できる限り仕事に没頭していたので,それが自分に振り回されていたといえば,そういえるでしょう。繰り返しますが,自らその状況に追い込んでいたことについて,それは当時の私には全く気がつかなかったです。組織や上司を見返すために自らを見失っていたのでしょう。病状が安定し,思い出したくない過去を振り返れるようになった現在,ようやく客観視できるようになれたのです。

うつ状態に「自分は何だ?」と自らを問うことは,大変難しいことだと思います。思考力が著しく低下している脳は,何の思索も行う余地がなかったように思います。うつになる前に,自分自身を把握していると思っていても,うつになっていく過程には,分かっているはずの自分自身が,制御不能のような感覚になっていたように思います。朝起きたくても起きられない,何をしていいか計画さえも立てられない,やる気はない,できないのです。

逆に,うつが最もひどい時に味わった自己喪失感や虚無感,回復時に経験した自らを消し去りたい感覚や孤独感,社会から取り残される焦燥感,この意識,それに付随した行動を自らどのように位置づけていくかが私にとっては必要なものであると感じています。
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この回答へのお礼

>有効な人もいれば,無効な人もいる
もちろん哲学が万能薬とは思っていません。どの部分が有効でどの部分が無効なのかご自身で思うところは無いでしょうか。

>自ら思い描く自分とありのままの自分とのギャップ、愛する者の死、違う環境に適応できない(言い換えればいかに単調で惰性的な生活を送ってきたか)等々
これこそが哲学のテーマではないでしょうか。うつになる前にこのテーマについて考えていたら今とは違っていたとは思わないでしょうか。

>自分を見つめ自分なりの解決を求めることをしていれば,当時課せられていた業務を全て放棄し辞職することしかなかったように思います
なぜ辞職しなかったのでしょうか。逃避のどこが悪いのでしょうか。無責任と仰いますが、では責任とは何でしょうか逃避しないことが責任でしょうか。プライドと責任は違うと思います。

>職場組織の圧力に自分自身がつぶされてしまった
果たして他人が”私”をつぶすことなどできるのでしょうか。”私”をつぶせるのは”私”だけではないでしょうか。

>仕事に没頭していたので
これこそが客観性の欠如では無いでしょうか。

>思考力が著しく低下している脳は,何の思索も行う余地がなかったように思います。
まさに、うつになってからでは遅いのではないでしょうか。その前にできることがあるのではないでしょうか。その一翼を哲学が担えると考えています。

>自己喪失感や虚無感,回復時に経験した自らを消し去りたい感覚や孤独感,社会から取り残される焦燥感
・虚無感・・・そもそも私たちは何を所有していたというのでしょうか。
・自らを消し去りたい・・・自分には価値がないと感じているのでしょうか。そもそも私たちは自分自身を評価する必要があるのでしょうか。
・孤独や焦燥感・・・うつになる前には社会との一体感があったのでしょうか。一体だったのが事実であれば、今感じている孤独感は一体感を失わせる要因を修正すれば消えますが、果たして一体だったのは事実でしょうか。

私には、depressionさんのご意見やうつになる過程で起きた心理、現在の苦痛、すべてが哲学のテーマにしか思えません。
もちろん、今はあせらず休養するが一番の薬になると思います。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/22 00:10

>うつになっては哲学云々いっても遅いので、そのとば口であるストレスに対して哲学が何かできないだろうかと思うわけです。



ストレスは適度には必要なもので、これが無いとボケちゃいます。
脳が活動しなくなるかもしれない。

そして人によって同じものでもストレスと感じる人もいれば、感じない人もいれば、それを愉快だと思う人もいる。
逆にやりがいをもてる人もいる。
強いストレスがかかるほどに、活発に生き生きとする人もいる。

つまり やはり性格次第。



うつ病患者にとっては考えることすらできない状態ですので、うつ病患者にとっては哲学は有効ではないと思えます。


が、その研究者にとっては哲学は解明に近づけることができるんじゃないかと思います。

というのもうつ病じゃありませんが、、、
http://www.amazon.co.jp/%E8%A8%98%E6%86%B6%E3%82 …

多重人格についての本です。
かなり有効な論だと思います。

日本の医学会は多重人格の存在について認めていなかったと思います。
(ですが、治療する病院はあるようです。)

幼児時代の虐待がひきがねになっている という説が強いですが、この作者はもっと掘り下げてみたんですね。


   人間は記憶を書きかえることができる


この本の中身は、文字が小さく上段・下段と書かれていて、ものすごい量です。

多重人格について、医者も心理学者も宗教者もわからなかったもの。
それぞれの分野が原因はこうだと説をあげているが、この本の作者は「そもそも多重人格者など本当にいるのか。」という基本中の基本から調べたんです。
そして出した結論が、

   人は記憶を書きかえることができる



この作者は医者か、心理学者か、どの分野の人か。

本の最後の作者のところを見て、「哲学者だったのか」とわかりました。


多重人格の分野は医学のはず。
心理分析家などもこの守備範囲でしょう。
治療に熱心だが、彼らが多重人格者がいるとでっちあげてしまったと思えるんですね。


と、、、まあ そういうわけで、医学の専門家でも解明できなかったものを、この哲学者が調べ上げていった。


哲学はオールマイティーなので、特定の分野で常識とされているものに囚われず思考できる。

医学従事者が長年かかってもよくわからなかった世界に光をともしたのが哲学者だったって面白いですよね。



このように、哲学は第三者的な視点から見るので、近め目にならずに観察・考察できる。
専門分野の人が解けないものすら、解けてしまったりするんじゃないかと。


うつ病にしても統合失調症にしても、脳のどの部分がどう作用してその状態になるのか、実はよくわかっていないんですね。

もしかしたら、哲学者が解明するかもしれないです。


哲学者はだいたい特定の分野のみ詳しいというわけじゃなく、いろいろな分野をよく知っている。
だから特定の専門家では解明できない謎を、多くの分野を又にかける哲学者は解明してしまうかもしれない。

哲学は現実的に有効な学問ってわけです。

哲学はそれが現実に沿っていなければいくらすばらしい論でも駄目なんですよね。
現実に活かせるから哲学は好まれたりするわけです。
現実と違う世界でも好まれるのは映画とか文学とか宗教といったもの。
いわば娯楽。
哲学は娯楽とは違う分野。
だから有効な学問なわけですよね。


うつ病患者にとって哲学は有効ではありませんが、うつ病の研究をする人にとっては有効だと思います。
哲学をもって解明できたら、うつ病患者にとっても朗報ですよね。




どれだけでも
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/20 21:45

#1です。



哲学がストレスの解消になるかどうかは、
あくまでその人が哲学が好きかどうかによるのであって、
哲学の内容によるとは考えておりません。
哲学に興味のない人にいくら哲学を薦めても意味はないと思います。
思考することがストレス解消になるのであれば、予防効果はあると考えますが、
思考する習慣自体に予防効果はあまり認められないと思います。
もっとも、思考することで脳内化学物質の変化がどのようになるのかは、
私も分かりませんので、あくまで経験則と今までのうつ病に関する知識で回答した次第です。

#3さんの回答に対する文章が気になったので、追記いたします。
生まれ持った性格の影響度と自衛本能に関しては何とも言えませんが、
#3さんのうつ病に関する認識は概ね問題ありません。
ちなみにメンタルヘルスカテに出てくるうつ病の方の中には擬態うつ病(偽うつ病)と思われる方もいらっしゃいます。
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この回答へのお礼

正直私は擬態うつ病とかの定義には興味がありません。今感じている苦しさににどんな名前をつけても意味は無いでしょう。
思考することがストレス解消になるんじゃなく、思考がストレスの原因になるということです。それを取り返しのつかない状態になる前に修正したいと思います。重症化させてしまっては遅いのです。微調整ですむ間にやらなければならないことがあるのではないでしょうか。
哲学が好き嫌いかではなくストレスとどう向き合うのか、その為に哲学に何ができるだろうかと思うしだいです。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/20 20:59

「予防法としての哲学は有効か」について私見を述べます。

初めに「うつ病」についての医学的見解は「認識の歪み」という説があります。うつ状態とは自分自身が精神的に且つ経験的にいまだ対応したことがない危機的状況に遭遇し且つ即対応困難な場合に自己の本能としての人間的防衛反応でもあると思います。この反応はある意味至って人間的な正常な反応でしょう。うつ病は心の風邪引きとか言いますが、普通の風邪のようにはいかないでしょう。うつ病でセロトニン云々で投薬治療が施されますが、現代医学がそうであるように対処療法に過ぎず根本治療とは程遠いものと思います。うつ状態の時の脳の状態は分かっても何故そのような状態になっているのかは解明されていません。現代社会は市場原理主義経済に基づく競争が激化し、人間社会のうつ病を拡大生産し続けています。私はうつ状態とは「人間の本来あるべき状態(姿)」からかけ離れてしまって心が悲鳴をあげている状態だと思っています。詳しくは長くなって書けませんが、要するにそうゆう意味で「人間とはいかなる存在か?」を哲学的に人間心理学的に今一度考えてみるという事で有効と思います。参考意見まで
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この回答へのお礼

そうですよねー人間とはいかなる存在か?これが哲学の醍醐味ですよねー。この問いの面白さが分かればうつ病にはならないって言ったら言い過ぎですかね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/20 20:42

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