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大学院での発達心理学の問題です。

まったく同じ遺伝子を持った同じ誕生日の二人をまったく同じ環境で育てたとします。
この二人は産まれたての人間であり、自分の身体を統一体と捉えられない段階です。
片方が経験したことは、必ずもう一方にも同じ経験をさせ(例えば片方が水を飲んだら、もう片方にも飲ませる、片方が転んだらもう片方も転ばせるなど)、外界との接触は一切絶ち、時間の概念もないような空間に二人をおきます。
さて、何年か後に、この二人は同じ人格を有した人間(一つの人格が二つの肉体に分かれている状態)になりえるでしょうか。
なりえないとする場合、この方法における欠陥とはなんでしょうか。

A 回答 (7件)

人間は経験することにより学習し、記憶し、脳の神経回路が発達していくのだろうと思います。


環境からの刺激が人格形成の大きな要素であるのは確かだろうと思いますが、『「全く同じ刺激」を複数の人間に与えることは不可能』ということではないでしょうか。

たとえば、全く同じ位置に立たせることはできませんから、陽光の射してくる角度、音の聞こえてくる方向、ほんのわずかな差であってもその違いを脳は認識し「異なる刺激」として記憶するのではないかと思います。
視覚の場合でも、斜めの線と縦の線を認識する脳神経ですら別のものらしいです。
ましてや、挙げておられる一例のように、「転ぶ」「転ばす」といったような受動・能動の関係性を「同じ刺激」と解釈するのは無理があるような気がします。
 
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子供の意見ですが・・・



詳しい事は一切わかりませんが、「欠陥」というと。。

>>片方が経験したことは、必ずもう一方にも同じ経験をさせ(例えば片方が水を飲んだら、もう片方にも飲ませる、片方が転んだらもう片方も転ばせるなど)、外界との接触は一切絶ち、時間の概念もないような空間に二人をおきます。

一方は意欲的に水を飲み、他方は半強制的に水を飲ませる。
一方は偶発的に転び、他方はわざと転ばせるということですよね。

この時点で、二人には全く同じ経験をしているとは言えないのではないでしょうか。

偉そうですいません; また違ってたらすいません。
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「片方が転んだ」のと「もう片方にも転ばせる」のは全然同じじゃないと思いますが?

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こんにちは



面白いけど刺激、反応、学習において、乱数的な要素もあると思うのでまったく同じにならないのでは。

金さん銀さんは同じ日に亡くなっていませんよね。
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私は心理学には詳しくなくあくまで個人的な見解ですが、その方法だとなんでもかんでも片方がもう片方の「真似」をするようになるのではないでしょうか。


二人をAとBとすると、Bは、Aが水を飲んだから飲まなきゃ、Aが転んだから転ばなきゃ、といった風にです。
それだと、まったく違う人格ができあがると思います。

むしろ二人を隔離させてそれぞれを時間の概念もないような空間におき、かつ同じ時間に同じものを見せ、同じものを食べさせ、同じものを飲ませた方が、どちらかというと似たような人格になりそうな気がします。
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この方法における欠陥は、どちらもかなりひどい人格障害になってしまうということだと思います。

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現実的にはすべての条件を同一にすることができないと言うことが第一点だと思います。

つまり制御できない刺激があったはずですがこのような刺激を二人に同時に与えることはできないでしょう。また相手を互いに見るときにもお互い別の肉体であると観ますから少なくとも肉体はひとつではないですよね。又同じ反応をするからといって一個の人格であると断定することもできないと思います。
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