プロが教えるわが家の防犯対策術!

最近、学校での運動会競技の勝敗について様々な意見があるようです。
・勝敗を付けることで子どもを成長させる。
・運動が苦手な子どもがかわいそう。
・勉強が苦手で運動が得意な子どもが活躍できる場
・勝敗を競うために練習時間が必要で、授業数が確保できない。
などなど。
みなさんは「運動会競技で勝敗をつけること」についてどのように思われますか。
よろしくお願いします。

※今回は「運動会は開催することを前提」にお願いします。

A 回答 (4件)

勝敗をつけることは当然だと思いますが。

だたし1・2・3位だけが偉い・凄いという単純評価は避けた方がいいでしょうね。

皆で手をつないでゴールインして「みんなで一等賞」は幼稚園まででしょう。

運動会で勝敗をつけないのが正しいのであれば、テストをしても採点をしないということですね。そういう教育をしておいていきなり受験・試験の世界に放り出す教育は如何なものでしょう。運動であれ勉強であれ、教育の期間中は努力を評価してあげないとやる気はなくなります。

単に面倒な苦情が来ないようにと願う教職員の姿勢の表れのような気がしますが…。
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この回答へのお礼

個人的には、幼稚園でも(順位に関係なく)きちんと評価してあげられるといいなあと思っています。

> 単に面倒な苦情が来ないようにと願う教職員の姿勢の表れのような気がしますが…。
最近の学校教育は、「保護者の意見をとり入れなければ」という気持ちが強すぎるような気がします。
良いように解釈すると「世の中の実情に合わせて学校も変わっていく」とも言えますが、やりすぎると一貫性のない教育を子どもたちに押しつけていくような気がします。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/31 22:39

勝敗をつけないということは、とても神経質に考えていると言うことですよね?



ということはこの勝敗はとてもとても重要なことであると考えているということだと思います。
運動が苦手な子はここで負けることによって、大きな痛手を負うほどに。

大切なのはたかが、運動会。ここでの勝敗があなたの人生を決定づける訳ではないし、あなたの価値を決める訳でもない。というごくごく当たり前の視野をつけてあげるのが学校の大事な役割だと思います。

よけいな気をつかうことで、子供はよけいに視野が狭くなり、ゆがんだ考え方を持ち、社会で生きていけなくなるのではないでしょうか。

最近読んだ本に、
「新人類世代をみれば、受験勉強に猛烈に取り組み、高学歴なものがクリエイティブな仕事についている。しかし、団塊ジュニアは受験勉強に猛烈に取り組んだものはむしろクリエイティブには見えない。
 
新人類世代は受験の価値観に重きを置かず、受験勉強をゲームとしてとらえ、それがなにか将来別の分野で応用することができるだろうと勉強した。それは学歴以外にも子供たちのまわりに学歴以外の多様な価値観があったからではないか。
団塊ジュニアの世代になると学歴の価値が非常にたかくなり、学歴以外のものを評価する多様な価値観が失われていったようだ」
というようなことが書いてありました。

勝負の機会をふやしてやり、勉強の出来不出来の価値観を相対的に下げてあげることがバランスのとれた人間を育てることだと思います。
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この回答へのお礼

最近の保護者や教育関係者の中には、小さなところに目を向けすぎて
子ども全体を見ていない方もいらっしゃるようですね。

勉強ができることだけが人生の全てではないということを
感じられるような運動会っていいですよね。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/31 22:27

>みなさんは「運動会競技で勝敗をつけること」についてどのように思われますか。



当然至極、極めて常識的なことだと思います。
競技なのですから当然競います。
競うのですから優劣もつきます。順位の無い競技など考えられません。
走って一番早けりゃ一等で一番遅けりゃビリです。
是非の問題ではないと思います。
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この回答へのお礼

競技といえば順位がつくのは当然ですね。

運動会をダンスや組体操などの演技だけにしてしまうと
せっかくの良い機会が失われてしまうような気がしますね。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/31 22:23

競技というのは、争うという意味ですから勝敗がなければ成り立たないでしょう。


勝敗があるからこそ、勝つためにがんばるのであって「みんながんばって運動したね」ではちっとも面白くないイベントになると思います。
かけっこでみんな一位とか、馬鹿にしすぎだと思います。

運動が苦手な子供がかわいそうとか考えることはないと思います。
そんなこと言い出したら、勉強ができない子はかわいそうだからテストはなしにして、身長が低い子はかわいそうだから身体測定はなしにして、お金が少ない家の子はかわいそうだから…とか、キリがないです。

得意、苦手があるのは当然です。
人それぞれ得意な部分を発揮できる行事があって当然だと思います。

運動も勉強も苦手な私は特に面白いことはなかったですけどねぇ…。
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この回答へのお礼

そうですね。
一位は一位ですばらしいことですし、二位以下でも自分なりの努力を認めてあげることで評価をしてあげられると思っています。

私も小さい頃は、勉強運動ともに苦手でした。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/31 22:18

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