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国王は空位でした。
その一番の理由はシアヌーク殿下が、敢えて王位につかなかったからです。カンボジアがフランスの植民地だった頃、王家は存立していましたが、その権力は当然、限られたものでしかありませんでした。そうした中でも王位継承を巡って争いが起こり、王家を構成する二家、ノロドム家とシソワット家が対立します。
国王であるシソワット・モ二ヴォンが1941年に亡くなった時、その後を継ぎ18歳で即位したのがノロドム・シアヌークでした。
シアヌークの父はノロドム家の人で、母は亡くなった国王の娘で、シソワット家の人でした。つまりシアヌークは両王家の血を引く人物であり、王家の対立を解消するのに最も相応しく、また血筋的にも王位を継ぐのに相応しい人だったのです。
その後、第二次世界大戦戦後にフランスから独立を勝ち取る為に、シアヌーク国王は政治手腕を発揮します。
そして1953年に「カンボジア王国」として、フランスから独立を勝ち取り、国民からは「独立の父」と呼ばれ絶大な人気を誇りました。
「カンボジア王国」は立憲君主国として成立しますが、その為、国王には政治の実権はなく、日本の天皇陛下のように象徴的存在のようなものでした。
その為、シアヌーク国王は自由に政治手腕を発揮し、国を指導していきたいという思いから、1955年に退位し、王位を父のノロドム・スラマリットに譲りました。
そして政党を作り、その総裁となり、後に行われた選挙で大勝利をおさめ、首相となり、政治の実権を手にしたのです。
1960年にノロドム・スラマリット国王が亡くなりますが、シアヌーク殿下は王位には就かず、その地位を空位にし、新たに国家元首という地位に就いて、政治を行いました。その間、王家の象徴としては、前国王の王妃であり、シアヌーク殿下の母であるコサマック王妃が王家代表としての役割を果たしました。
1970年、シアヌーク殿下が外遊中に首相兼国防相だったロン・ノルがクーデターを起こし成功させます。ロン・ノルは「カンボジア王国」を「クメール王国」に改め、王制を廃止し、自らは大統領の地位に就きました。
シアヌークは亡命政権を作り、共産主義のポル・ポトと手を結び、ロン・ノルに戦いを挑み勝利します。
1975年に「クメール共和国」は倒れ、ロン・ノルは亡命しました。
シアヌークは新たに成立した「民主カンボジア国」の元首になりますが、それは表向きの事で、ポル・ポトに王宮に幽閉され、実権は全く持っていませんでした。
ポル・ポトは共産主義ですから王制は否定しています。しかし農民主体の共産主義国家を築こうとしており、農民に人気の高いシアヌークを利用したのです。1976年にシアヌーク殿下は元首の地位を辞任しますが、王宮での幽閉生活はそのままでした。
1979年になると元ポル・ポト派のヘンサムリンがベトナム軍の支援を受け、「民主カンボジア」に戦いを挑みます。そして、国土の大半を制圧し「カンボジア人民共和国」という共産主義国家を成立させました。
この時、シアヌーク殿下は、北京に脱出しています。
この後、カンボジアはシアヌーク殿下を支持する王党派と、ソン・サン派(旧クメール共和国支持者)、ポル・ポト派、ヘンサムリン派で酷い内戦を行います。
つまりカンボジアに国王がいなかったのは、正統な後継者であるシアヌーク殿下が政治手腕を揮い為に、王位に就かなかった事と、内戦の間に成立した国家がどれも王制を否定する政体だった為です。
「クメール共和国」は王制を廃止し、「民主カンボジア国」「カンボジア人民共和国」は共産主義で元から王制は認めていない国でした。
政治的に利用する為に、シアヌーク殿下を元首に迎えたり、大統領にする事はあっても王位に就ける事はなかったのです。
ソン・サン派が旧クメール共和国支持者であることは、
ソン・サン派及びシアヌーク派が、ポル・ポト派(カンプチア民族統一戦線→民主カンプチア国)に合流して民主カンプチア連合政府三派を結成したことからも納得できるのですが、
ヘンサムリンは、元ポル・ポト派だったのですね。(ヘンサムリン派のフン・セン現首相も)
シアヌーク殿下が父に王位を譲ったが、後に父が亡くなったところ、
王位を空席にし、
その後、国がカンボジア王国からクメール王国という共和制の国に変わり、
更に、共産主義の民主カンプチア国とカンプチア人民共和国が共存、
ということですね。
よくわりかりました。
ありがとうございます。
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