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 山口県光市の母子殺害の裁判で被害者の遺族が被告人に死刑を望む発言をしているのを聞いて思ったことです。
 私は、よくTVで遺族は被告に対して死刑の判決を求めている会見を見ます。つまり、これは遺族は「被告が死んで欲しい」と思っているということ、極端に言うと「人の死を望んでいる」という事になりませんか?私が子供の頃、人に向かって「死ね」と言うと、両親は私を叱り「死ねということを人に言ってはならない」と教えられました。しかし、光市のような事件がTVで放送されると両親は、「死刑になって当然」と言います。これは、「死ね」と言っていることと同じではないかと私は思ってしまいます。被告人は確かに残虐な殺人を犯しましたが、人であることに変わりはありません。もし、遺族が死刑を望んでいた被告に対して裁判官が「遺族の無念さははかりしれない」等の言葉を言って、死刑判決を下し、死刑が執行されたら、遺族は間接的に殺人を犯したのではないかと考えています。みなさんはどのように考えますか?ご意見の方よろしくお願いします。

A 回答 (12件中11~12件)

山口県光市の母子殺害の被害者の夫は、


法律の定める「極刑」を望んでおられます。

したがって、「無期懲役」が最高刑ならば「無期懲役」を望むと言う事です。

その他に関してはコメントいたしません。
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 例えば浅原彰晃はどうでしょう。

彼が10年程度で出所することは容認できますか?

 まず、肉親を殺された遺族にしてみれば、犯人が10年位で出所し、不自由のない暮らしを送ることは耐えられないでしょう。

 またこの事件に関して言えば、彼を出所させた際に、再度同様の犯罪を犯した際に、その責任をだれが負うのでしょうか。強姦犯は再犯の恐れが高いのです。

 死刑廃止の趣旨はわかりますし、一理あるとは思うのですが、そのためには絶対に釈放を認めない終身刑が必要になります。これはこれで人としてどうかと思います。
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