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「余命告知」について賛成、反対に分かれ、討論を授業ですることになりました。私は、「余命告知」反対側となりました。

そこで、他の方は余命告知のデメリット、悪い点をどのようにお考えなのかお聞きしたいと思っています。最終的に討論をするので、宜しければ賛成意見を踏まえての反対意見は助かります。
私自身が考えるデメリットは、「余命告知」後のアフターケアーがなっていないことだと思います。医者が告知をしても、その後の精神的ケアを病院で進んで行わなかったり、カウンセリング等のサポートがまだまだ弱いように思います。また、眠ったら次の日、自分は目が覚めないなんてことはないだろうか・・・などの不安が生まれ、睡眠障害になりかねないと、考えております。また、告知をすることは、治療をする側医者にとってなにかメリットがあるのでしょうか?

ぜひ、何かありましたら投稿していただけると幸いです。実際に告知されたことのない自分にとってはたいへん難しい題ですが、真剣に討論に挑みたいと思っております。よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

<メリット>


患者さんのメリットになりますが、死に対する準備ができる。死までの生き方を考えられるということです。ずっと病院のベッドで寝たままよりも、家で家族と暮らしたい方もいるでしょう。ただ生かされるのが嫌な方もいるはずです。No.1さんのおっしゃられたように、告知しなければ治療面で気を使うことが多くなってしまいます。

<デメリット>
希望を失う。自殺企図やうつ病の発症。落ち込んでしまうと症状が進行したり、新しい病気にかかってしまうことがあり、結果として余命を縮めてしまうことさえあります。
今の医療や技術では説明できない現象があり、希望を持ってあるいは明るく楽しく生きていれば、不治の病といわれるものでさえ治ることがあります。そのわずかな可能性が減るだけでもかなりの損失になると思われます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
メリット、デメリットを分けて丁寧に書いてくださっていて、よくわかりました。
やはり、希望を失うことは患者や家族にとって最大のデメリットですよね。

お礼日時:2007/10/29 15:37

メリット・デメリットの話ではないでしょう。



すべての生物は死にたくないから生きている、
あるいは、生きようとしているのです。

赤の他人から、冷静に死期を告げられる。
悍まし過ぎると、私は思います。

ある癌専門医は決して告知しないそうです。
『絶望感は免疫機能をダメにしてしまうから』
とのことでした。

死刑囚が処刑前日の訣別句会で詠んだという
『…虫になりても 生きたしと思う』
忘れられません。
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医療のカテでの質問ですが、寧ろ哲学的観点からの内容になりそうな点を明確化して置きます。


私はhttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa3126869.html でのNO6のアドバイスでも触れましたが、(歯科医師を含む)医者等は、患者や怪我人が望む時、原則として、(余命)告知はなされるべき、と捉えます。
それは何等かの病魔に冒され、或いは怪我をした人間にも知る権利はあり、まして、その点は彼(or彼女)のみに帰属すべきとの考えだからですし、(上掲のNO6のアドバイスの如く、歯科医師を含む)医師等は患者や怪我人が望む限り、告知し透明度のより高いサービスを提供するのが当為との個人的視座の故です。

こうカキコみ続けると、告知にはデメリットがなさそうですが、NO3さんも指摘されていますが(取分け面識が絶無の他人を巻添えにする型の)飛降りや焼身等の自殺の社会問題化がその1つだと感じます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071107-00000 …

それに、シェークスピアの作品を文字るなら"TO be or not to be that is their selection."こそが究極の選択では、との個人的拘りとも関っているからなのですが・・・
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補足ありがとうございます。


No.3さんが上手にまとめててもらえたので今さらですが。
治療を行わない状態での「余命告知」ということは、すでに自分の死が近いことはわかっている、治療もしない、緩和ケアとADLの向上のみを目的とした状態で、後どれくらいかを告知される。1年後か1ヶ月後か。ということですよね。
まず医療側のメリットですが、すでに根本的治療を行っていないのであれば、治療方法に対する変化は無く、大きなメリットは無いでしょう。伝えない方針なのであれば、それを徹底する必要はありますが。しかし、告知することで、患者の気持ちが固まりやすいというのもあるでしょう。
キュブラー・ロスの死の段階をご存知でしょうか?人の死には段階があります。余命を告げられるというのは、最後に死を受け入れられるまでの時間を作ることができる面ではないでしょうか?刑務所で死刑囚は残りの時間を生き生きと生活するのに、無期懲役の人は絶望的に生活をするそうです。人は死を受け入れたときに自分の人生とこれからを考えることができるのだと思います。
しかし、最終的に、死を受け入れる段階にいたるかどうかは難しいです。確かにカウンセリングもあるでしょうが、死を受け入れるためのカウンセリングは難しいでしょう。体験した人がいないのですから。
患者が死に対してどれだけ前向きになれるかは、告知してみないとわからないでしょう。つまり、自分の意見としては、患者が死の段階を踏み出す手助けになるが、それが最後の段階までいけるとは限らない。もし悔しい気持ちのまま死に向かう可能性もあるということが一番のデメリットのように感じます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
説明不足の質問ではありますが、megatomo様が真剣に書いてくださること、嬉しかったです。
悔しい気持ちで死に向かう可能性が実は一番のデメリット・・・確かにそうかもしれません。
医療でどうにかできないのが、デメリット。と、単に終わらせるのではなく、患者さんに最後に死を受け入れる段階を手助けすることそうしてもらえるのは、やはり患者側としても後悔のない人生のために必要だなと思いました。
私はmegatomo様が回答してくださったことを頭に入れながら討論ができれば、と思っております。

お礼日時:2007/10/29 22:32

ひとつ確認したいのですが。

余命告知とは、すでに治療を行わない状態での「余命告知」ですか?医者が治療をといいますが、「病名告知」とはっきりわからないところがあるのですが。

この回答への補足

治療を行わない状態での「余命告知」です。
すみません、詳しく書いていなくて^^;

補足日時:2007/10/29 15:34
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医療側のメリットは、特に無いと思います。

逆に告知をしていないと、いろいろな検査や服薬についてごまかしながらやらないといけないし、表情に不自然なところがでてはいけないなど気を使う場面ばかりになってしまうので医療者も苦労するのではないでしょうか。
余命告知に関してたまにいわれるのは
人間には体内時計があって、それに向かって体が自然と準備をする、ということです。普段なら絶対に起きられない時間でも、修学旅行や大事な会議などがあると不思議と4時や5時に目が覚めた経験はありませんか?それと同じで「1ヶ月後にあなたは死にます」と、患者さんが絶対に信じるような状況で言えば体がそれにあわせて寿命を決めてしまうかもしれないというせつはあります。具体的な実験データなどはないと思うのですが、日常の中からも想像できる仮説です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
医療側のお話が聞けてなるほどと思うことばかりでした^^
体内時計・・・なんとなくイメージがわく気がします。
その仮説はたいへん興味深いです。
人間の体というのは、不思議に満ちているのですね。
ありがとうございました!
この回答を参考にさせていただき、自分の意見を踏まえ、討論に挑みたいと思います。

お礼日時:2007/10/29 22:24

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