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日本シリーズ最終戦で8回までパーフェクトの山井を代えた落合監督の采配を石原東京都知事は"泣いて馬謖を斬る"と表現しましたが、これって適切ですか?
馬謖のエピソードは命令違反や決定的なミスに対して使われるものでは?
あの交代そのものについての意見を求めるものではありません。念のため。

A 回答 (12件中1~10件)

話は変りますが、民主党のゴタゴタ劇についても「ドイツのなんちゃらという作家のナントカという小説が」なんていう発言に始まり、


最後は「周りのレベルが低いんでしょ」って収める人間なんだから、そんな人間に「馬謖云々」言う方がおかしい。

一応文学者らしいのだから質問者様の言うとおり
「命令違反や決定的なミスに対して使われるもの」と思いますし、言葉を知らない老人の戯言でしょう。
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この回答へのお礼

前後を考えると誤用とはいえないという意見もあり、取り方は人それぞれだと感じました。これで締め切ります。

お礼日時:2007/11/19 19:09

発言の本旨をとらえれば、間違った用法だとは思いません。



都知事の発言の前後を読み解けば、指揮官たるものは「情」と「結果」との間に立ち、時として「情」を切り捨てることも求められるものだ。それができてこそ真のリーダーなのだ。ということを言わんとしているのだと分かるはずです。つまり、「結果」のために必要なときには、「非情」にならなくてはいけないということです。ここでは、規律を破ったかどうかなどは議論の対象になっていません。あくまで、「情」と「結果」を対比しているだけです。そして、「結果」のために「情」を捨てた事例として、故事成語を持ち出したわけです。読み取るべきところはそこだけであり、その他の部分は、今回の会見に関してのみいえば瑣末なものでしかないのです。

石原都知事にはアンチが多いので、発言にはすぐクレームがつくものですが、なんにでも揚げ足取りをするTBSや社民党でさえ今回の発言に異議を唱えていません。彼らでさえ、発言の本旨からすれば妥当と認めているのでしょう。あの発言に文句をつけているのは、発言の本旨を読み取ることのできない人か、なんでも都知事が言うことにはケチをつけようとするアンチ石原の人だけだと思います。
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これはひどいにもほどがある使い方ですね。


山井は何も失敗をしていませんし、あえていえば、
捨て駒として最強ダルビッシュに対峙させられた投手であるわけです。

有能ではありましたが、一方で自身の才覚と功名心に溺れる傾向があるのが馬謖でありました。
それを心配した劉備が馬謖を重用するなといったのは有名な話です。
この場合野球をよく知る者にとっては、馬謖は「落合監督」その人でしょう。

ありえないとは思いますが、もしも落合監督が日本代表監督を務めるようなことがあったとき
落合監督は必ず選手以上に自身の功名心のみを考えた采配をふるうことになるでしょう。
そしてその結果、敗れたとき、はじめて誰かが
「泣いて馬謖を斬る」ように落合監督を更迭することになるでしょう。
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「泣いて馬謖を斬る」とは、「全体の秩序を守るためには、愛する部下であっても、掟に背けば厳正に処分する」と辞書にあります。


 つまり「掟に背く」(命令に違反して、戦に負けた)というところがミソで、これがなければこの成句の意味はないですよね。
 山井投手は、掟に背くどころか、最大限に忠誠心を発揮して最高の手柄を立てたわけです。
 都知事の引用は、ただ「泣く泣く斬る」といった感覚的なもので、間違いではないでしょうか。
 もっともこの質問がなければ私も気がつきませんでしたが…。

 11月3日付け『東京新聞』の都知事への会見記事の中から「落合監督の采配をどう見るか」という質問に対する都知事の答えをオマケとして載せておきます。
 
 十人いたら十人とも、(監督として)あそこで山井投手は代えないだろうと言っていたが、これはやっぱり、情実の問題。球団の経営とか実績を掌握してる監督としては、落合って見事だと思う、本当に。泣いて馬謖を斬ったんですよ。落合のやったことは絶対に正しかった。あれが本当のリーダーってもんですな。
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「心情としてはそんな感じ」という程度の意味で使ったのでしょう。


本来の意味と異なる使い方をされる諺や成句が最近多いですから、それらに比べれば問題はないと思います。
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質問者様、#4様に同意



ちゃんと覚えてないだけでしょ。というか、自分の記憶は絶対だと思っているだけです、つっこめる記者がいなかったのも悲しい現実ですね。
三国人発言の時も似たようなもの。
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私情では忍びないが、全体の秩序を守るために、心を鬼にして愛する者を処断した。



私情では山井に完全試合を試してみたかったが、53年ぶりの日本シリーズ優勝(日本一ではない、セ界1ではないから)を考えると、心を鬼にして、岩瀬に託した。

と理解すると、おかしくない表現では?

ちなみに言えば、今日の中日新聞では1面でこの山井交代の裏話を扱ってます。田舎新聞ですな・・・どうでもいいことなのに。
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確かに命令違反に使うものではあったと思います。


元々の意味をたどると、
諸葛孔明は、ばしょくは自分が目をかけていて大変惜しい人材だが、
命令違反したため特別扱いせずに処刑した。

ノーヒットノーランという特別なチャンスがあったにもかかわらず、
特別扱いせずに交代した。
そういう意味かな。と。
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まさに「紺屋の白袴」ですね。

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山井投手がマメをつぶして出血し、これ以上投げられないと


自分から訴えたという事情を知らずに、都知事は発言したんでしょうね。
投球でミスをしたわけではなかったですが、
組織全体のために個人を泣く泣く犠牲にしたり、
見殺しにするという点では、共通していませんか。
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