激凹みから立ち直る方法

何も今の話をしなくとも、紀元前にもシュメール人やアッカド人がいました。彼らは皆それぞれ全員が共通の言葉(シュメール人はシュメール語、アッカド人はアッカド語、便宜上~語と勝手に名称付けしました)を話していたでしょうが、そもそも、最初は20~30程度で生活していたのにもかかわらず、どうしてあれだけの規模で共通する言葉を話せる様になったのですか?そもそも、人は言葉を覚えた時に一つのグループにいれば、そのグループ内の人は皆その言葉を話すのでしょうが、違うグループでは違う言葉があるのではないですか?そして、そのグループの人数は2,30人程度。なのに、「シュメール人の大村落」とかいきなり言われて、いやいやいや、と。
一体そこまでのまとまった国家になる為には一体どんな過程があったんだと。そこを教えて頂きたいのです。どうか宜しくお願い致します。

A 回答 (2件)

まず、言語の集団と文化の集団はあい通じていますが、異なるものと考えたほうがよいと思います。


言語はいくつかの語族があります。現代ではインドヨーロッパ語族、アルタイ語族などあります。
あるときにある語族から別れて、少しづつ変化していった結果多くの語族に別れていったのだと思われますが、ある程度の統一性を持った集団であった場合、集団の内部では言葉に互換性が維持され続け、一つの集団であり続けるのだと思います。
それに対して、文化の集団の場合、異なった集団と長く接していた場合、異なる語族であったとしても同一の文化的集団であり続けます。
シュメール人やアッカド人が語族として一つのものであったのか、文化を同じくするだけで異なる語族であったのかはわかりませんが、最初は20~30戸程度の集団で生活していたという前提は不確かのものです。
なお、シュメール語は系統不明のようであり、人種も不明のようです。
アッカド語はアフロ・アジア語族セム語派の言葉であり、主にアッカド人のほかアッシリア人とバビロニア人に使用された東方セム語であるので、同じセム語系のアラビア人、ヘブライ人などの言葉と近い関係です。
ということはシュメール人の周りには同じ言葉、近い言葉を話す集団はなかったが、アッカド人の周りにはアッシリア人、バビロニア人のほかにも日本で言えば方言程度の変化しかない言葉(セム語系の言語)があっちこちにいたということです。
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この回答へのお礼

有難うございます。やはり、文明が誕生する以前の流れは詳細には明らかにされていない、というのが実情と捉えて問題無いのでしょうか?

お礼日時:2007/11/07 23:59

話があべこべですね。


共通の文化や言語を使う人々を周辺の人や後世の人間がひとつの集団として呼び表したに過ぎません。
自分達で自分達を「シュメール人」とか「アッカド人」と呼んだわけではないでしょう。自分達は自分達です。他者が存在して初めて「他者との区別」が必要になるのです。
また言葉が通じるから文化を共有できるからひとつの集団となっていくのです。
そうした集団が次第に大きくなってやがて国家という形態になる....もの凄くおおざっぱに言えばそんなとことです。

この回答への補足

補足日時:2007/11/06 22:11
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この回答へのお礼

有難うございます。

お礼日時:2007/11/06 22:50

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