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今、「源氏物語」について、源氏が愛した女性たちについて調べています。
源氏物語は平安貴族の生活がベースとなって宮中の様子が描かれているものだと思うんですが、ここに登場する女性たちはやはり十二単を身にまとっていると思うんですが、桐壺・藤壺・紫の上・葵上と言うような女性によって、十二単の色の合わせ方は決まってるのでしょうか?どのような色を合わせていたのか知っている方は是非教えてください。(出来れば、その色のもつイメージなんかも教えていただければ光栄です。)

A 回答 (4件)

 


No.2 の回答者の方も述べていますが、平安貴族の衣装だと、現代のように、個人が好みのファッションとかスタイルを決めるというより、文化や状況の「規則」というものがあります。ある季節には、どういう衣装か、衣装のかさねでは、組み合わせの色が決まっているというような一般規則です(それ以外は、無論自由で、ファッショナブルな色の衣装を男女とも競っていました)。

それ以外にも、この儀式の時は、こういう衣装とか、有職故実などを見ると、儀式の衣装などでは、衣装の種類の他、色や模様などまで細かく決まっています。また、身分に応じての衣装の種類は、上と下で、相当差がある場合は、違ったものになるのは明白ですが、そうでなくとも、身分に応じて、相応しい衣装というものがあります。

「禁色」というのは、中古時代において、天皇・皇族以外は、衣装に使うのを禁じられた色で、参考1に少し出ていますが、天皇・皇族以外でも、官職に応じて、衣装の色などが決まっています。「忌色」というのもあり、僧・入道の使う色と決まっている色もあります。(官職などでの規定は、「位袍」と云って、男性の袍の色で、女性には関係ありませんが、「禁色」は、臣下と皇族の差としてあります。参考2)。

女性であっても、宮中に仕える女官の場合は、これも衣装とか色が規則であります。「更衣・女御」というのは、非常に高い身分ですが、しかし、これも後宮の女官に当たります。

後宮貴族女性は、十二単(唐衣)を着ていましたが、これは「正装」であって、普段こんな重い衣装を着ている訳ではありません。普段、貴族女性が着ていたのは、「袿(うちぎ)」という衣装です。また宮中高位女官は、「唐衣(からぎぬ)」が衣装でした。「唐衣」というのは、十二単の一番上に着る衣装で、華やかな色や織り方や模様が特徴で、この下に色はあるが無地の単(ひとえ)を何枚を重ねてきていて、それで十二単(十二枚あるとは決まっていません)となるのです。衣装については、参考3が参考になります。

そこで、個人の好みを除くと、上げられている四人の女性では、その身分がどういうものであったかで、衣装などが決まって来ていた部分があります。

身分の低い順に云いますと、桐壺更衣、紫上、葵上、藤壺中宮、となります。藤壺中宮が最高であることは間違いありませんが、他の三人は、解釈次第で、身分の高さが変化します。桐壺更衣は、後宮女官ですから、官位を持たない葵上、紫上よりも身分が高いとも云えますが、出自での身分では、二人の方が高い身分です。

葵上と紫上では、比較しにくいですが、葵上の方が身分が上です。紫上は、母が大納言の娘だったと思います。父は、兵部卿宮で、しかし、母が側室であり脇腹なので、親王の娘は女王で皇族に準じますが、母の身分が低く、かつ、幼少時からしかるべき身分の姫君として育った訳ではないということになります。対して、葵上は、母は降嫁内親王で、父は、最有力藤原家系の家の当主で、左大臣です。葵上は、原作でもそうなってますが、政治目的で、女御として入内する予定が、臣下となった源氏の正室となったものです。紫上よりは、高い身分になります。

源氏の室としても、紫上は、正室かというと,少し身分的に不安的で、葵上の方は疑いもなく正室です。

平安時代の女性は、自分で財産を持っていましたが、やはり、上級・中級貴族としての格式にあった衣装をしようとすると、それなりの大きな財力が必要です。

藤壺中宮の財力はどこにも出てきていないと思いますが、桐壺帝の宮廷に入内した頃は、父親の後ろ盾があった可能性があります。また、内親王で入内して女御ですから、二品内親王か三品内親王だと考えられ、二品だと考えるのが妥当ですから、そうとすれば、二品内親王としての収入があったはずです。いずれにしても、女御として、帝の寵愛を得たのですから、実家からの収入、自分自身の収入、帝などからの贈り物などで、財政的な不自由はなかったと云えます。従って,相当に高級な衣装を多数持っていたと考えるのが自然です。女御・中宮の格式を保つにも、正装は豪華なものを多く持っていたでしょう。ただ、桐壺院が崩御した後は、兄の兵部卿宮(紫上の父)の家を実家に移ったとされますから、その頃は、多少、経済的に苦しくなった可能性があります。

桐壺更衣は、更衣の身分では、それほどの収入はありません。また、宮廷女官とは立場が少し異なり、更衣などは実家の財力が問題になります。更衣と女御の違いは、実家の身分と財力です。桐壺の父はすでに亡くなっていましたし、身分は大納言で、これ以上昇進しない大納言、ということは、上流貴族のなかでも下の立場で、財力もほとんどなかったことがあります。従って、衣装なども貧しく、豪華なものはなく、少なかったはずです。桐壺帝から衣装をもらっていたということもありますが、やはり、衣装の数などは少なかったでしょう。

葵上は、源氏の正室であるのですが、実家が、藤原の最有力家系ですから、最上流貴族です。そもそも降嫁内親王を妻にしている大臣というのは、身分、財力、権力など、すべて最高ということになります。でないと、降嫁内親王など得られません。従って、考え方では、葵上が、藤壺中宮以上に、衣装では贅沢であった可能性があります。しかし、藤壺は内親王で皇族ですから、使える色や模様や衣装の幅が特別にあったとも云えます。逆に、女御・中宮・内親王であるので、自由にできない衣装もあったはずです。その点、葵上は、もっともたくさん衣装を持っていたと考えるのが自然です。(藤壺は落飾して入道になりますから、特有の衣装へとある時から切り替わります)。

紫上は、自分の財産はなく、実家も財力がなく、実家は事実上なかったのであり、父の兵部卿宮は、紫を捨てたのだとも云えますから、紫上の衣装は、すべて源氏が整えたものだということになります。少女の頃は、着せ替え人形ではありませんが、源氏の好みの衣装を着ていたのだと考えるのが自然です。衣装を整えるのが源氏ですから、彼の好みになるといえるからです。成長して、源氏の正室として実力を持っても、あくまで実家はありません。父式部卿宮も、須磨の事件で疎遠になってしまいます。しかし、自分の好みの衣装ぐらいは選ぶことができたでしょう。身分的な制約や、官職的な制約はなく、源氏の正室として、立場上、豪華な衣装を持っていたでしょうが、やはり、好みがあったはずで、「春」を彼女は愛したということですから、桜色などの華やかな衣装を好んだでしょう。しかし、たしなみのある落ち着いた女性ですから、趣味も高く、華やかななかに、慎ましさのある衣装だったと考えるのが自然です。

他の源氏物語の女性も、その身分や財力や立場や、性格などで、どういう衣装かというのが、大体、決まってきます。

質問に対する答えは、「規則・慣習」で規定されたような場合は、決まっていたが、そうでない場合は、好みの問題で、女性の性格などで決まっていたということになります。また、慣習のなかに、「身分に相応しい衣装」というのもあります。とはいっても、朧月夜などは、少し軽率なところもある奔放な女性ですから、三位尚侍であっても、個人の衣装として、華やかな奔放なものを着ていた可能性が高いです。
 
>参考1:有職の色
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/9109/i …

>参考2:KanseiTaikan_Ikai
http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/r_ikai.h …

>参考3:用語集
http://www.takata-courtrobe.co.jp/yougosyuu.htm
 

参考URL:http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/r_ikai.html,http://www.takata-courtrobe.co.jp/yougosyuu.htm
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この回答へのお礼

すごく細かく回答してくださったのでよくわかりました。けれど、貴族社会の決まりごとや身分制度は複雑ですね。もう少し簡単な方が分かりやすいのにな~
回答ありがとうございました。参考にさせていただきます。

お礼日時:2002/09/16 12:26

#3さんの回答、圧倒されますね~。


衣装の色や重ね方は、簡単に回答できないので、参考になる本をあげておきます。

服装で楽しむ源氏物語 PHP文庫 近藤 富枝

(内容紹介)
光源氏と女人たちが織り成す恋の絵巻、『源氏物語』。この名作の魅力は千年を経ても色褪せず、大学の講義やカルチャーセンターの講座は、いつも満員だという。
本書は、多くの人々を魅了する、その華麗で雅な世界を「服装」という視点で味わう異色作である。性格、身分から美的感覚、深層心理まで、個性豊かな登場人物たちの素顔と魅力が、身にまとった衣装から明らかになる。
紫の上が六条院の衣配りで明石の上に嫉妬したのはなぜか? 空蝉の「小袿」に隠された秘密とは? 女三の宮の運命を変えた「桜の細長」が意味するもの。夕顔が人違いした理由とは……など、衣装の謎解きをしながら、王朝人の美意識とエロティシズムに迫る! また、十二単といわれる女装束や、直衣・束帯など男君の装束の構成をイラストとともに詳しく解説するなど、興味深い話題を満載。当時の装束のイメージを再現した艶やかなカラー口絵つき。

田辺聖子さんとか、女の人の書かれた源氏エッセイにはよく衣装がとりあげられているように思います。
『宮廷文学のひそかな楽しみ』 岩佐美代子 文春新書
などにも出ています。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569577 …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。推薦書図書館で借りてきました!早速参考にさせていただきます。

お礼日時:2002/09/23 22:57

衣装については「襲の色目」が季節によって決まり事があります.


こちらのURLに季節ごとの色目と呼び方が出ています.
http://www.ad.wakwak.com/~kabigon/japanesque/j/k …
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/9109/5 …

こちらは男性の衣装も.
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/9109/5 …
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この回答へのお礼

季節の四季を衣装で表現するなんてさすが貴族社会!決まりごとまであるなんて驚きです。これから行って参考にさせていただきます!回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/16 12:06

初めまして。



私も、源氏物語が好きな者といたしまして
質問者様のお力添えが出来ればと思いまして拝見させていただきました。

私原文には縁遠くて、講談社から出ている「あさきゆめみし」
を、読んだ程度の知識しかもっていません。
質問者様は、お調べになるほどですから、すでに読まれたかも知れませんね。

ご質問のアドバイスといたしまして
第六部其の四(第六巻)に載ってあります。

源氏が、お正月のための、ご衣装を
紫の上、ちい姫(明石の御方との御子)、花散里、空蝉、末摘花。そして明石の御方。
と、それぞれの姫様方にと、お選びになられているシーンがあります。

選ぶ前に、紫の上に「お選びになってさしあげてくださいまし」と言われ
源氏は「選ぶ衣装で着る人の器量を推し量ろうとのお心ですね」とおっしゃっています。

空蝉まで選んだ後に「しかし衣装とみめかたちをあまり深く結びつけて考えてはいけないよ
衣装などしょせんそれほどのものだし人の魅力はみめかたちのほかにもあるのだからね」
とおっしゃっています。
直ぐに、源氏は「とはいえ・・・」といっているところがおかしかったです。

そして、紫の上は源氏が明石の御方に、どなたよりも高雅で趣味の高い衣装を選んだことに
ショックを受けているように・・・私は見うけとりました。

この話が、原作にもあるようでしたら恐らく「初音」あたりだと思います。
「年月をまつにひかれて経る人に今日鶯の初音きかせよ」と歌が載せてあります。

なにかの参考になればと思い、回答を送らせていただきます。

あと、無学な者の意見といたしまして
普段の衣装などは、母方の実家から頂いていたと思われます。(かなり自信なし)
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この回答へのお礼

とてもご丁寧な感想ありがとうございます。実はあさきゆめみし読んだことないんですね~(^^;衣装でその人のセンスみたいなものをはかるんじゃないかな~って予想していたんですけど。やっぱりそうなんですかね?参考にさせていただきます。

お礼日時:2002/09/16 12:03

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