
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
江戸時代以降の戦役に城郭が関与したものは、という主旨の質問ならばという前提でお答えするなら、
1866年 長州戦争により小倉城が焼失
1868年 鳥羽・伏見の戦いにより大阪城の主要な櫓の焼失
同年 戊辰の役で二本松城・会津若松城・宇都宮城・白河城などが戦火に巻き込まれる
1869年 函館戦争で五稜郭が落城
1874年 佐賀の乱で佐賀城の焼失
1877年 西南戦争により熊本城天守閣の焼失
などなどがあります。
城郭が無用の長物的な存在だったかどうかは主観的な問題でなんとも言えません。ただ、現在の47都道府県の県庁所在地のうち、36箇所が元は城下町だったという事実や、江戸期の270余も存在していた藩のうち、半数以上の160近い藩が城下町を持ち、それが明治以降現在にいたってもそれぞれの地域の中心として、文化経済政治に重要な役割を果たしたことを考えれば、城郭の存在意義もそこそこにあったと言えるのかと思います。
また城郭が威嚇的意味を持っていたかどうかですが、たしかに城の存在が外部の侵攻を阻止していた可能性もありますが、逆に城がそこにあるから攻めるんだぁ!なんていう敵のモチベーションも引き起こしていた可能性もありますね(^_^;)
歴史的に、シンボルというものが重要だったのでしょうね。
戦役も、思ったより多いことが分かりました。敵の戦闘心を高めるということもあったかもしれないですが、やはり現実的には気概をそぐということに役立ったようですね。
No.8
- 回答日時:
まず、日本の城郭は
①山城(山の上に立つ城)…八王子城など
②平山城(丘の上に立つ城)…安土城など
③平城(平地に立つ城)…名古屋城など
と3分類されます。①は中世城郭に多いもので、②③は近世城郭に多いものです。
①は山の上に城がたつことから、軍事的な防衛手段としては②③より優れているという利点があるのですが、城下町としての連絡も取りづらく行政面では②③より不利であるという欠点があります。そのため、近世になり戦争が減る一方で、領土拡大による政治機構が拡張されると、①は急速に衰退し、②③が沢山造られるようになったのです。
次に、戦乱がないのになぜ②③の城を造る必要があったのかという事ですが、その目的は「領国の統治」にあります。②③は①に比べて外観は派手なものになっているものが多いですが、その理由は「派手な城を造ることで庶民に絶対的な権力を見せ付けるため」です。要するに、大名の見栄張りです。江戸城の天守閣が再建されなかったのも、近世に入ると城の軍事的役割が衰退していることが原因ともいえます。
あと、戊辰戦争の宇都宮城、会津若松城、長岡城など、近世以後に熊本城以外にも戦場になった城はあります。
山城から平城への移行理由がよくわかりました。
江戸城天主を再建しなかったのは、やはり財政的なものでしょうか。あるいは懲りたんでしょうかね。象徴威嚇見栄という意味合いも時代が進むにつれ(太平が続くにつれ)希薄になっていったということでしょうかね。

No.6
- 回答日時:
実際に戦闘に巻き込まれなければ無駄という考え方であれば、確かにお説のとおり、無駄な近世城郭は多いですね。
例示されている名古屋城・姫路城(江戸城は将軍の本拠としての意味合いもありますので除外)は、それぞれ豊臣家の脅威があったことが、あれだけの城を作る背景になっています。大坂の陣は結果的にほぼ現在の大阪府の範囲内だけが戦場となっただけで治まりましたが、大坂方がとる戦略・戦術や外様大名の動向によっては、もっと大きな戦いになった可能性は否定できません。結果的に戦場とならなかったことだけで無駄という考えはできないと思います。
考えてみれば、世界の防御地域(城要塞)などは、役に立たなかった方が多いのですから、消火器みたいなものでしょうかね。でも、設置しなくてはならないものなのでしょう。名古屋姫路はそういう意図だったのだとは知りませんでした。
No.4
- 回答日時:
軍事の基本は抑止力です。
もちろん城には攻められても耐え切るという意味もありますが、もっと大事なことは攻めても落とせない(あるいはたとえ落とせたとしても莫大な犠牲を払う)から攻めるのをやめようと思わせることです。そういった意味では、島津の城や、伊達が複数の城を用意し縦進防御線を形成したことは、彼らが取り潰しを免れる上で大きな意味があったのです。取り潰しを免れた巨大外様大名にとって、その巨大な軍事力とともに、防御の中核となった城も必要不可欠であったと思います。断念させる、という意味合いが大きいのでしょうね。あるいは攻めることはできるだろうが、ものすごくたいへんだろうということ。
外様大名はそういう威嚇的な姿勢をとっていたとは知りませんでした。
No.2
- 回答日時:
現代において、村おこしやPRと言った観光面で十分役立ってますよ(笑)
それはさておき、質問の趣旨が分かりかねます。
城は単に戦闘目的だけではなく生活や儀式、行政など多方面の目的を
持っています。それゆえ戦闘に有利な山城から、交通の要所となる
平城へと推移してきています。
江戸時代において純粋な戦闘目的の城は棄却されたりしており、
城の持つ意味も推移しています。
また江戸時代においては支配体制が確立したために、内戦より
治安面での機能で十分であり、戦国期の様な戦闘能力は求められ
なかったと考えられます。
ですので、軍事的な一面しか見ずに無駄かどうかを論じるには
もう少し要点を絞るべきかと。
たとえば忠臣蔵で有名な赤穂浅野家の取り潰しで、篭城して幕府に
講義しようとする話もありますが、結局のところ実力行使より、御家
再興の方が現実的な判断だと考えられています。
武力よりは、政治力が勝ると考えている時代もあり、武力に統治が
必ずしも有効ではない時代もありました。
激動の時代は確かに華やかですが、太平の時代の価値観も
知っておられたほうがいろんな視点で物事を考えられると思います。
要は、象徴的なものとして役立ったということになりますね。しかし、その象徴がやはり「最後は武力」という感覚を伴っていることが大事なのでしょう。
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