日系ブラジル移民はブラジル農業の発展に多大なる貢献をしたと聞きます。

日系ブラジル移民がブラジルに伝えた農業手法や、ブラジルで大量収穫可能にした作物などは、どのようなものがあるでしょうか。

A 回答 (3件)

1908年に最初の日本人ブラジル移民が導入されました。

戦前・戦後を通して約23万人の日本人がブラジルに渡りました。移民当初は、コーヒー農場での労働力として各耕地へ配属されましたが、歩合制や(移民時の)借入金などで働いても働いてもお金が貯まりませんでした。コーヒー園での労働契約は1年ごとでしたので、移民の中から自作農を目指した人たちが少しずつ耕地を買い求めて畑を耕しました。

1900年当初、ブラジル人のほとんどは野菜を食べる習慣がなかったものを日本人移民たちが多種多様な野菜を作っては積極的に市場に供給しました。最初は大豆・米・トウモロコシ・蔬菜などから始め、日本からの種を入手して今ではほとんどの野菜を収穫することができるようになりました。

最初は小規模で始めた農業を不動のものにしたのが、コチア産業組合と南伯産業組合などの設立と移民同士が手を結んで各地に作り上げた植民地です。農作物の流通販売網を組織化したためより強固な販売網を築くことができ、農業に従事する人たちの社会的地位も向上し、生活も次第に安定していきました。

綿花・サトウキビ・大豆・米・蔬菜・根菜・果物・生花など全ての分野に日系人が関わっていることは疑いのないところです。今流行のエタノール工場(原料はサトウキビ)の中にも日系人の経営する工場があります。

日本人は真面目で勤勉な性格から「Japones Garantido(日本人は保証付き)」と呼ばれ、尊敬し信頼していブラジル人はかなり多いです。
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http://www012.upp.so-net.ne.jp/taku3/brazil.htm

集約型農業と野菜だそうです
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ポルトガル語を勉強しています



農村が崩壊して労働力を受け入れる土壌がないので海外への移民政策は始まりました。
政府として公式に移民政策を行ったのは1883年のハワイにはじまり、1887年にアメリカが日本人の渡航に制限を加えたことからブラジルに白羽の矢がたてられました

南拓として推奨されたのはカカオをつくることですが、
第二次戦後にピメンタ景気というものがあり、
日本人移民が栽培したピメンタ(=湖沼)がブラジル国内の4割を占め、海外にも輸出されるようになりました

興味があれば下記の本をどーぞw
日系ブラジル移民史
高橋 幸春 (著)

参考URL:http://wagahaibr.exblog.jp/1656556/
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