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史記(平凡社;野口、近藤、頼、吉田訳)の楽書の註に”武王が紂を亡ぼしたことについてはかなり穿った節が諸書に散見する。儒家は武王を聖人とするために武王を擁護するが、事実は終に覆いかくせていない。”とあり、その註のあとの方で”殷の東方征伐による西方の空白状態が周に蹶起の機会を与えたらしいことがわかってきた。”とあります。この本が昭和42年にかかれていますが、その後新しい研究で紂王のイメージが変わるような事実がでているのでしょうか。

A 回答 (2件)

その本は読んだこと無いのでかぶるかもしれませんが


酒池肉林は単なる大規模な祭事であったという説があります
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この回答へのお礼

有難うございました。その話はどこに書いてあるかは知りませんが私も聞いたことはあります。当該史記の註の部分には酒池肉林の解釈は書いてありませんでした。
一方その註においては、更に”紂はもともとどちらかというの英邁型の君主であったし、これに建国の英主、武王が正面衝突したのであるから、当然、血が杵をおし流す大激戦となったのであろう。”とまで書いてあります。史記の殷本紀に書かれた紂王は普通に知られた無法な王様なので、何を根拠に英邁な君主というのかも知りたい気がします。

お礼日時:2008/06/08 10:32

甲骨文の研究により紂王(帝辛)についての事柄が分かってきたようです。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E8%BE%9B

http://www.geocities.co.jp/Bookend/3756/hxinn.html
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この回答へのお礼

有難うございました。とくにgeocitiesの解説は史記の註の根拠らしく具体的で参考になりました。

お礼日時:2008/06/08 17:37

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