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命を大切にしない人は大嫌いですか?

私は大好きです。

だって焼肉が大好きなんですもの。
しかも腹いっぱいになったら幸せの極致。

牛や豚の命を大切にしてたら焼肉を腹いっぱい食うことなんか無理だし、
命が大切と言う人達は、ト殺者の事をどう考えてるのですか?


人が生きていくためには「ある程度」の、残酷さは必要だろう。
しかし、命が大切だと言うのならば、それは、「ある程度」、「最低限」である必要がある。決して「おなかがいっぱい」になるまで肉は食ってはいけない。

いや、命が大切だと言うのならば肉だけではなく、野菜も食べるときどうしてるのですか?
植物にも命があるぞ?


因みに私は命が大切だとは考えても無いので、肉も野菜も腹いっぱいになるまで食べるし、と殺者の方々にもちゃんと感謝することが出来る。

A 回答 (14件中1~10件)

No9です。



いや、ちゃんと読んでますが・・・

質問者様が言われていることは全く意味が違います。「ある程度」とか「最低限」とかそういう話ではありません。

どうも「命を奪う=残酷」「命を大切に思う=殺さない」でそのバランスと考えられているようですが、これは外面的な発想で、精神的なモノとは全く論点が違います。


宗教観によっては、命が大切であって、それは最大限尊重されるべきという考えを持ちつつ、命を奪うという行為は両立します。
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 ビックリした。

人の焼肉を食ってるのかと思った。命が大切でないという中に人の命は入っていないんだ。人が生きていくためには多くの命を消費しているなんてことはみんな判ってるし、だから食事の度に頂きますと感謝しているのです。貴方は飢えたら人肉でも食べるタイプの人間ですか?私は餓死を選びますね。食べるため以外の狩猟には反対ですね。動物たちの命は大切にしなければなりません。それは私たちの命の糧だからです。
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この回答へのお礼

だから、食べてもいいんですよ!

しかし命が本当に大切だと考えているのならば、それは最低限である必要があるのでは?

お礼日時:2008/09/03 13:56

命を大切にするという価値観は人間が社会を形成する上でのひとつの知恵だと思います。

そういう価値を共有した方が社会運営がうまくいくから、この価値が淘汰されずに残ったと。どんな人も他の動物の命を人間の命より重く見ることなどあり得ませんし、命を大切にすると言ってもかなりいい加減な部分があります(ひと1人(他人)のために他の動物を100匹殺すこともいとわないですから)。
背景には、目先の利益に囚われて動物を殺すことで、さらに大きな損害をこうむる(例えば目先の利益で乱獲を行なえば、種が激減して、自分の身も滅ぼしかねない)という事実があると思います。
命を大切にするという価値はそうしたある種の人間の衝動を抑えるものとして機能してきたのではないでしょうか。極めて合理的です。

しかし、いつしかこの価値はその合理的側面を排除して、人間の深層的部分を形成する一部となり、直感的な部分(感情とかね)に直接的な影響を与えるまでになったのではないでしょうか。これはある種の合理です。全てを合理的に判断しては疲れきってしまうので、合理性の高いもの(つまり、その方法の元で今までうまくっているというもの)を選択し、それをコアとする直感に依存するようになるのです。
だから無前提な感動が起こるのではないかと。

あと関係ないですが牛とか豚はものすごい量の穀物をその生産過程で消費するので、大量消費すると穀物が不足するようになります。肉食はある意味で間接的な人殺しですね。
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命が大切だからこそ、動物を殺し野菜を収穫して食べているのです。

そして自分を生かしてくれた肉や野菜に感謝するのです。感謝とは、また美味しい食材となってくれるよう、殺したり収穫を過ぎないようにするという意味でもあります。命を大切にすれば、また美味しい食べ物にありつけると言うわけです。

正当防衛で人を殺してしまうこともあるかも知れません。それも自分の命を大切に思えばこそです。しかし、単に相手が嫌いだからといって人を殺したら死刑になってしまいます。今の社会では、人殺しは悪であり人を殺した者は己の生命を絶たれることになります。社会のルールとして人殺しには極刑をもって償わせることで、社会が安定して暮らし易くなるようにしようとしています。それを”社会秩序”って言います。お互いの命を大切にすることで、より豊かで安全な社会になるのです。命を粗末にする人を好き嫌いというよりも命を粗末にする人は社会悪なのです。

私も学生の頃にあなたと同じようなことを疑問に思ったことがあります。子供のうちは、自分のことで精一杯だから社会全体の中で自分が生かされているとは考え難いのです。しかし、幸か不幸か社会に出て真面目に仕事をすれば、本を読んで勉強しなくても社会のことが分かってしまう(分からされてしまう)のです。

恐らく、あなたにどのような説明をしても、今のあなたには命の大切さが納得できないと思います。しかし、将来、社会に出て真摯に仕事をすれば、嫌でも理解できます。それまでは学校で勉強しっかり頑張って下さい。そして、社会に出た時にでも私の回答を思い出して頂けたら幸いです。
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補足要求です。


命が大事ってのは、他人のですか?

この回答への補足

見せ掛けだけで命が大事って言ってる人が多いような気がしまして。
人類の歴史は「殺し」て発展していったという現実はどう処理してるんだろう?と気になりまして。
それは史実の捏造で、とっても危険なことなのでは?

補足日時:2008/08/26 17:28
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命を大切にする = 絶対に守るとは違うと思うのですが?



「命を奪う=大切にしない」とはなりません。

命が大切なものだからこそ、それを奪う時も敬意を払うという考え方もあるわけです。
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この回答へのお礼

だから、
質問文に、

>「人が生きていくためには「ある程度」の、残酷さは必要だろう。
しかし、命が大切だと言うのならば、それは、「ある程度」、「最低限」である必要がある。決して「おなかがいっぱい」になるまで肉は食ってはいけない」

ってちゃんと書いてるじゃないですか!!


も~う、ちゃんと読め!

お礼日時:2008/08/26 17:27

>命を大切にしない人は大嫌いですか?


はい、嫌いです。
焼き肉は美味しいから食べますが、命も大切という気持ちを持っています。
しかし、極力生きていた時の事は考えないようにしています。
また、食べ物を大切にせず、遊びに使ったり無駄にする事は罪と考えます。
食べ物はすべて、その命を大切にしながらいただくものと考えています。
ト殺者は海外の食肉産出国のように、週に一回は自分が殺す生き物に感謝と謝罪の意味を込めた儀式をするべきだと思います。
それが気休めに過ぎないなどというのは、それこそ本当の意味で残酷な怠け者です。

確かに肉も野菜も命はあるけれど、自分と同じように血や肉、心臓や目を持つものを食べる事と地面に生えている葉っぱを食べる事の意味は感覚的に違うと思います。

確かに葉っぱにも命があるのは事実でしょうが、人間には現実から目を背けなければ生きて行けない事が間々あります。
例えば確実に公平にすべての人間に訪れる死。
確実に起こりうる事でもそれが何時かは知らないから、そしてそれを考えないから生きて行けるのです。
全能の神でさえ燔祭の香りに宥められたのですから、私たち人間が命を大事にしつつ肉を存分に食べる事は矛盾しないと考えます。
命が大切と思う人も思わない人も「腹八分」や「命ある食べ物に感謝」は今や皆が肝に銘じるべき事と思います。
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この回答へのお礼

なぜ極力生きていた時のことは考えないようにしているのですか?
>「人間には現実から目を背けなければ生きて行けない事が間々あります。
例えば確実に公平にすべての人間に訪れる死。
確実に起こりうる事でもそれが何時かは知らないから、そしてそれを考えないから生きて行けるのです」
そんなものは近代になってからの話で、人間は常に死と隣りあわせで生きていたのであり、そして死を考えるからこそ生きる意味があったと思う。

>「私たち人間が命を大事にしつつ肉を存分に食べる事は矛盾しないと考えます」
だから、質問文にもありますように「ある程度の残酷さ」ならかまわないと書いています。

本当に命を大切に思っているなら「最低限」でいいじゃんって?
しかし、
テレビでもグルメ番組多いなー。
後、大食いとか明らかに食べ物を粗末にしてますよね?
ギャルそねは何であんなに人気出るのだろう?日本人はバカか?

お礼日時:2008/08/26 17:25

「命を大切にしよう」と言う人の言い分は、「絶対に」殺すなと言っているわけではないと思います。



菜食主義者も植物を殺して生きていますが、殺した植物は根や茎、芯の先の先まで食材にします。食材は一切捨てません。

そして、死んだ生命を尊い自分の一部にする。命を頂くので、「いただきます!」と言ってご飯を食べます。

これが、「命を大切にしよう」と言うことです。


逆に、野菜の芯は美味しくない。だから捨てる。買っておいた食材を腐らせてしまった。
私もやってしまう事がありますが、これは「命を粗末にしている。」と言えます。




質問者さんの気持ちはよく分かります。私の説明を、矛盾してるように思われるでしょう。矛盾してるかもしれません。


「腐敗」と「発酵」と同じです。人類にとって、「有害な事を腐敗」「有益な事を発酵」と言いますが、それに似ています。


「本当に」命を大切にしたら、殺すなんて「とんでもない」。
でも、それじゃ死ぬし人類の発展の障害になります。だから何とか教では、牛は神から許された食材だから殺してよい(神からの頂き物ですから、骨の髄まで無駄なく使うけど)とか、植物は「殺生にならない」とか、いといろ都合よく『自分ルール』を作っているのです。


質問者の言う、それが本当にあんたらの言う「命を大切にする事か?」という疑問を投げかける気持ちはよく分かります。


釣りかと思って読んだけど、「深い話題」です。
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問題の捉え方が間違っています。

あなたの感謝も正解ではありません。
森羅万象の全てに、人智では合理的、体系的な答えは得られません。
イエス、ノーではないのです。ということを人は解かっており、答えを求める質問もしませんし、この問題への解決もないのです。
命の食べ方という映画を見ましたが、意味のない、ある意味傲慢な映画だと評価しています。質問者様に映画と共通する要素も感じます。

命が命を奪って生きている事に対する一応の論理として、キリスト教がでてきましたので補足を、

この状態は狂っている。(命が命を奪って生きること)
自然は狂っている。(イザヤ書24、地は呪われた)
神の身もとにいる時は、人も動植物も殺しあわず皆、仲良しでした。
エデンでは人は木の実、動物は草を食べていた、(草を抜いてはいない。)←創世記
それが神の身もとを離れたとき互いに命を奪い合い、、、です。
この現状では動植物を食する事を神はよしとされている。
人、被造物(動植物)共この状態から救われねばならない。
です。
あるクリスチャンが本気で、科学が発達して動植物を殺す事なく、丸剤一つで栄養、エネルギーが取れるようにならないかと主張していました。問題の解決にはなりませせんが発想、心のあり方としてはキリスト教信仰と整合性のある発想です。
SFでもあった様な、、、
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この回答へのお礼

う~ん、その小説一度読んでみたいですね。

正直私はあなたのような理知的な人にしもんしたのではなくて、
例えば、命の大切さをことさらに主張して済んだ気になっているような芸術を見て、何も考えずに感動するような人にむかって主張させてもらったのです。

彼らは、何も考えずに「命は大切」だと言う。
なぜならば、彼らは善側の人間でありたいからである。己の罪は認めたくないからである(しかい、本当は己の罪を認められる人こそ善だと私は考える)。

お礼日時:2008/08/14 03:44

こんにちは


かなりインパクトの強い質問文ですね(^_^;)

「命を大切にしない人は大嫌いですか」

私は「大嫌い」とはいえませんが、「好きではない」です。

ただ、質問者さんは、「命を大切にしない人は大嫌い」と
いう発言の中にある偽善的な部分を許せないのかな…と思いました。

つまり、「そういう発言をする人は、命あるもの(植物、動物すべて)をおなかいっぱい食べてはいけない。矛盾している。」といいたいのでしょうか?

確かにそうだと思います。
ですが、「命を大切にしない人は大嫌い」
という言葉は、究極、質問者さんのいう広い解釈もありますが、
普通は、人を殺したり、自殺したりする行為を批判して使うのだと思います。

人間は動物ですから、当然他の命を犠牲にして生きていかねばなりません。必要最小限にとどめることが出来ない人間は、結局どんどん生きていくには難しい環境を作り上げていっています。このままでは絶滅です。これも、ある意味自然淘汰といえるのかも知れません。

命はなかなか本当の意味で大切には出来ませんが、少なくとも、時には罪悪感を持って振り返る必要はあると思います。

自己満足ですが、なかなか考えさせられる深い質問、有難うございました。
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この回答へのお礼

いえいえ、こちらこそ生意気な質問失礼しました。

私の言いたかったことを全てわかって下さっているようでして有難いかぎりです。

お礼日時:2008/08/14 03:35

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