
A 回答 (5件)
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No.5
- 回答日時:
江戸時代は商人の色々はパターンが出てきます
政治にからんで大きくなった商人
政治にからまないでがんばった商人
越後屋は後者のほうでしょうか
江戸時代の商人の知恵や商法は
現在の経営者の大いに見習って欲しいものがありますね
No.3
- 回答日時:
ANo.2です。
「掛売り」はいわゆる「ツケ」といわれるものです。
また、江戸時代には「ミス江戸」の番付などもありました。〈両国にある江戸東京博物館)に番付が展示されていました。)http://www.gutenberg21.co.jp/sasichi17.htm
No.2
- 回答日時:
昭和40年代頃まで東京では習慣が残っていたのですが、米屋や酒屋などは「掛売り」と言って伝票に付けてもらって、1ヶ月に1度月末払いという習慣がありました。
今のクレジット払いのようなものです。落語で「借金で首が回らない」とは年末になって支払う金が無いと、借金取りと目を合わせないようにひたすら、店の前を前を向いて歩かなくてはならないから「首が回せない」→「首が回らない」と言うというのだそうです。
また、「土用の丑の日」と言うのは平賀源内が作ったキャッチコピーと聞いたこともあります。
参考URL:http://homepage2.nifty.com/kenkakusyoubai/zidai/ …
この回答へのお礼
お礼日時:2008/08/19 12:21
土用の丑の日が平賀源内が作ったキャッチコピーなんて知りませんでした。
掛売りはよくいう「ツケ」みたいなものなのでしょうか?
興味深いお話ありがとうございます。
No.1
- 回答日時:
江戸時代の商人の知恵は丁稚の時代から人材教育をした事だと思います。
しかも、店主の子供も同じように丁稚として鍛えたそうです。丁稚の教育は年上の丁稚が指導して人材を育てていきました。
年功序列はとても悪い事のように言われますが、大店では奉公人の子供はほとんどその店に入ったそうです。そこには人と人との信頼関係が会ったと思います。
大阪の商店では奉公人の中でも一番の人物を婿養子に迎えてトップの人材を確保していきました。
この回答へのお礼
お礼日時:2008/08/19 12:24
そうなんですか。同じ人と人とのつながりでも、
今の社会のコネ入社とは全然違いますね。
そのような信頼関係の下で成り立つ組織の絆は深いのだろうななんて
考えてしまいました。どうもありがとうございます。
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