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開国についての質問です。
*アメリカ、ロシア、また他の国々が、日本の開国を求めた理由はなんだったのでしょうか?(アメリカは捕鯨関係だというような話を聞きましたが、他の国は…)

*日本が開国の要求を受け入れた理由、またその時の国内の情勢はどうだったのでしょうか?(ただアメリカを恐れて受け入れたのか、日本にも何かしらの思惑があったのでしょうか)(開国、または攘夷を強く支持していた文化人(作家など)はいますか?)

参考になる資料、ホームページなども教えていただけると助かります。
宜しくお願いします。

A 回答 (1件)

端的にいえば、列強が日本に開国を求めたのは、中国の植民地化の足掛りがほしいため、日本が受け入れたのは、日本自身が植民地化されないためです。


このあたりの事情を知るためには、日本国内ではなく当時の世界の情勢を知る必要があります。

18世紀にイギリスで起こった産業革命により、工業生産力は飛躍的に増大しましたが、製品を作るための資源と労働力、そして製品を売るための市場もまたそれまでよりも莫大なものを必要とするようになりました。
これらを安価に入手する先が植民地です。

当時はアフリカの分割がほぼ終了し、またアジアでもインドやシンガポールはイギリス、インドシナはフランス、マレーシアはオランダが支配していました。
そしてアヘン戦争をきっかけに中国本土にも侵略の手を伸ばしていました。
またロシアも極東への進出を果たし、不凍港を求めて中国侵略の機会を窺っていました。

一方アメリカは、西部開拓をほぼ終了し、残るフロンティアは太平洋と、その向こうの中国でした。
そこで目をつけたのが日本です。
開国要求の名目は、捕鯨船への水や食料、燃料(薪)の補給と水難救助のためですが、その後のハワイ併合やフィリピンの植民地化を見ると、中国への進出を狙っていたのは明らかです。
尚、捕鯨の目的は食料とするためではなく、工業用の潤滑油(鯨油)を採るためです。

日本国内の状況は、吉田松陰のような一部の知識人は、長崎からオランダを通じてもたらされる文物により中国や東南アジアの状況を知っており、危機感を持っていましたが、文化人はもとより大半の日本人は、幕末から明治維新にかけての多くの小説を読めば分かるように、大坂の役後250年続いた太平に眠りこけていました。
それがペリーの4隻の黒船により恫喝され、叩き起こされて大騒ぎとなったものです。

日本の思惑も、植民地化を防ぐことはもちろんですが、あわよくば自分たちも欧米の真似をして中国を侵略しようと考えていました。
その表れが、急速な工業化による富国強兵と、朝鮮や台湾の併合、日清・日露戦争とそれに続く日華事変、満州国の設立と15年戦争です。
ここまではそれなりにうまくいきましたが、太平洋戦争でアメリカに叩き潰されたのはご存知の通りです。

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