大久保利通はどのような性格の人だったのでしょう?
薩摩藩士ですが剣術の腕前はどうなんでしょうか?
馬車に乗っているところを暗殺されたのでそれほど強くないのかなというイメージもなくもないですが。

A 回答 (6件)

あまり詳しくはありませんが、



地元薩摩の為や、私利私欲では動かなかった人のようです。
“日本国家のため”だけに生きた人と思います。
自身の生活は苦しいのに、寄付はしていたようですね。

現在 大久保利通のような、日本国家の為だけに生きる政治家が欲しいですね。

無理かぁ~、、、。
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この回答へのお礼

政府の有力者でも生活が苦しい人もいたんですね・・。

金持なのかと思っていました。

お礼日時:2008/12/01 19:41

既に書かれている人がいますが剣術の腕前はそんなに上手くなかったのではないかと思います。


ただ暗殺時には刀を持っていなかったはずです。むしろ特筆すべきなのは、このレベルの高官が護衛を伴っていなかった事ではないでしょうか?
残念ながら理由は推測になってしまうのですが、同じ三傑の木戸が坂本や大村に護衛をつけろと言っていたにも係らず、自身には護衛をつけなかった事から考えると、大久保も自身の信条でつけることを望まなかったのでしょう。非常に肝の据わった人だと思います。

私は大久保という人物は自分の意で国家を動かそうとしていた人間だと思っています。(理由は後述)動機が私利私欲ではなく、日本の為にというのが今日の評価に繋がったのだと思います。

彼は岩倉使節団以後は変化するのですが、それ以前は旧幕臣の登用に非常に批判的でした。この為、渋沢栄一からは酷評されています。
また、彼は木戸を如何に抱き込んだ形で自らの政策を進めるかという事を考えました。
これは大久保一人では政府運営ができないからです。その為、非常に礼を尽くして辞職した木戸を引き戻そうとやっています。しかし、決して木戸の政策に賛同しているという事ではなく、交渉材料に過ぎないというべきで、そうした所に木戸は不信感を抱いていました。

廃藩置県においても旧来の殿様を県令として据える大久保と旧来の殿様の排除を求める木戸で対立します。結局木戸に引きずられる形になりますが、如何に廃藩置県が最大の改革かといわれるポイントは、この部分にあります。ですが主君との関係を見ると木戸と毛利敬親が良好な一方で大久保と島津久光は非常に険悪でした。
ここで注意して欲しいのは大久保一人で改革をやり遂げたのではないこと、彼が自分に不都合な施策でも最後まで責任を担い続けた事です。

三傑の他二人と比べると非常に人間離れした人だと私は思います。
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この回答へのお礼

護衛をつけていなかったんですか。
はじめて知りました。
他の人のお礼にも書きましたが日本のことを必死に考えるいい政治家だったんですね。

お礼日時:2008/12/01 19:39

余談ですが、大久保の人格が評価されだしたのは近年のことです。


昔は強行改革の大久保は評判が悪く、冷酷で私利私欲の権化だと思われてました。大久保が私欲を肥やしてなかったと世間にわかるのは最近のことです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
すごく日本のことを考えた政治家だったんですね・・・。

お礼日時:2008/12/01 19:34

幕末である意味最強の男です。


維新三傑の中でも最も心が強く、志が高く、思想を実行に移せる男だからです。
私情やを地元愛を仕事に持ち込み、征韓論問題で現実から逃げて鹿児島に帰った西郷隆盛は最終的には思想に殉ずる事をリタイヤしたことになる。
西南戦争など度重なる内輪モメに意欲を失った木戸孝允も心が弱い。
大久保だけは徹底していた。改革に大なたをふるい、新政府を乱す者は盟友だろうと潰し、親友の西郷さえも許さなかった。それこそ鬼となって中央集権化を進めた。しかし西郷が死んだ時、大久保は大粒の涙を流したらしい。
地元びいき(利益誘導・郷土人脈を優先)や私的感情で動く政治家が多い中、大久保だけは日本全体を見て新国家の成長だけを願い行動した。
明治政府で大久保は、地元びいきをしなかったおかげで地元から嫌われた。さらにワイロを嫌い私利私欲に走ることもしなかったおかげで借金を残して死んだ。
私情を挟まず、折れない心と思想と強い責任感を持ち、日本の強化にすべてを捧げた人生。
大久保は世間では冷酷で腹黒いイメージですが、実はこんな強い男だったんですね。
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暗殺時は馬車に洋装で、襲撃された時、書類を整理して


馬車より出て 無礼者といったのみで剣で応対はしていません(刀は
もっていなかったようです)
薩摩までは西郷と同じ道場で剣を磨きましたが、剣より学問
に興味があり、剣の腕はたいしたことはなかったといわれています

西郷と正反対の性格で冷静 沈着 無表情 権力欲旺盛であった
ようで政府の中では結構「嫌われていた」ようです

(詳しくは参考サイトで)

http://www.spacelan.ne.jp/~daiman/data/zatugaku0 …

http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/index.htm

参考になれば幸いです
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勝海舟の『氷川清話』の「西郷隆盛の人物」に大久保利通の評が少し書いてあります。

また、この本か『海舟座談』のなかの、海舟が彼の座右の銘「明鏡止水」の言葉を紹介するときにも利通の評が書いてあったと思います。今それらの本の全部を調べていないので、興味があったら自分で調べて下さい。海舟から見ると利通は西郷さんと比べて小物に見えたようで、余り評判が良くないです。この機会に海舟の本を読んでみると良いですよ。大変面白くためになる本です。
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