プロが教えるわが家の防犯対策術!

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今年もファー付きのダウンを着ようと思った時に、ファーが汚れていたので洗ったら犬のような毛に思えてきました。動物の毛ですがどんな動物の毛が気になり、ネットで調べたら日本に入ってきているファーで一番多いのは中国産の狸(たぬき)でした。

自分はタヌキの毛皮をつけてたのかと、ショックだったのですが、
さらに調べると中国産の毛皮は、生きた狸の皮を剥ぐ残虐なものでした。衝撃以外の言葉も見つかりません。

すべてはこのような処理をされているとは、思えませんが、
少なくとも顔まで皮を剥がれ、殺される時に皮に傷がつかないよう電気や撲殺だそうです。

ヨーロッパで毛皮撲滅運動のデモを見ました。
日本では、今年もファーの帽子が流行っています。
毛皮は生きていた動物です。帽子になるために命を犠牲にしています。

今日も駅でリアルファーのダウンを着た女性を見かけました。
虐殺された狸の皮をつけて、、、と偏見の目でみてしまう自分がいます。もう二度と毛皮は買いません。

本当に、知らぬが仏だと実感させられました。
ダウン以外にも、生活に必要ではない、ファッションなどで犠牲となる
犠牲になっている動物と商品を教えてください。

犠牲になる動物
http://homepage1.nifty.com/96iruka/hoka/animal_f …
※残酷な写真は使用してません。

中国の加工
http://scotyakko.exblog.jp/9413288/

A 回答 (6件)

ワニは革のために養殖されていますね。


肉も食用にはなりますが、あまり一般的ではないですし、ほとんど革目的でしょう。

象も象牙のために虐殺されていますな。
印材なんかいくらでもあるのに、ステータスのためだけに象牙が使用されています。
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この回答へのお礼

早速回答いただき、ありがとうございます。
そういえば、ワニも象もそうでしたね。昨年友人と香港に行ったとき、友人は象牙のハンコをお土産に買いたいといっていました。結局、時間がなくて買えませんでしたが、今思えば、あの時友人の隣にいた私は殺された象のことなど、微塵も考えていませんでした。

動物が素材のもの=高級感と感じるのはなぜでしょう?
レザーも、人工革より本革のほうが質がよいと感じます。
実際、牛や羊などの質の良いレザーは存在しますが、その考えがファーにもつながっているのでしょうか。。

お礼日時:2008/11/26 18:01

調べてみたんですが、タヌキは中国では保護動物ではありません。

しかも家畜のように飼育されています。(メラミン混入飼料で飼育されているタヌキが大量死亡したというニューズもありますよ)中国では薬用・食用・毛皮用にサソリからワニまでいろんな動物が家畜として飼育されています。バッタも食用として飼育されています。少なくても中国では飼育されているタヌキから皮をとることは違法性が一切ありません。牛の皮と同じです。

この回答への補足

牛の皮と同じではないです!牛は肉も食べますが、タヌキは油が多く食べる部分はないので処分するそうです。実際にご紹介したURLから動画を拝見されると、皮をはぎとられたタヌキが捨てられているのが分かると思います。ただ、毛皮をとるために生まれてきているということです。人間の虚栄心のために、生まれて殺されていくのです。

補足日時:2008/11/27 15:09
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。お調べいただきまして、ありがとうございます。hscsatoshiさんは、男性の方でしょうか?
女性はオシャレのために、ファーを身に付けます。ですから、保護動物以前に“動物を殺してまで、着飾っていた己の欲望”が非常にショッキングなのです。その他にも同様に虐殺されている動物の製品が身の回りにないか?などが知りたくて、投稿しました。

中国は家畜という扱いなのですね。そういう価値観を初めて知りました。よくいわれる魚の活造りも特定の国の方がみたら、虐殺行為にみえるのでしょう。調べたら、中国政府も毛皮産業を支援しているようですし、日本を含む国々との需要と供給の関係が成り立っているから、これはどうしようもないことなのかもしれません。

ただ、タヌキを殺しながら中国人は、日本の女性がこれで着飾っている現実に対してどのように思っているのか?疑問です。

お礼日時:2008/11/27 15:08

私も以前に中国での毛皮産業の実態を目にし、動物を使った商品は一切買わないことを決めた一人です。


殴る・蹴る・踏みつける。弱ったところで生きているまま皮を剥ぐ。
こんな残酷で卑劣な行為が、なぜ日常としてあるのでしょうか。
理由はどうであれ、許される行為ではありません。

タヌキやキツネ、ミンク、うさぎ、ビーバー、チンチラ、羊、馬、牛、豚、ダチョウ、アザラシ、オットセイ・・・私たちが知らないだけで、多くの動物が犠牲になっていることでしょう。
ハラコってご存知でしょうか。
生まれる寸前で母馬(牛)のお腹を裂き、赤ちゃん馬(牛)を取り出します。
そして革を剥ぐのです。
もちろんこの場合、母子の両方の命が奪われます。
毛皮だけではありません。動物実験もそうです。

私はこの実態を知ってから、とても悩み、苦しみました。
こういうことが行われている事実を目にしても、自分には何もできないのが現実。
でも、何もできないかもしれないけど、自分でやれることをやろう。
そう思うようにし、自分では絶対に買わない、動物の権利(アニマル・ライツhttp://www.arcj.info/)を主張し、活動をしてくれている団体へ支援金を送る、捨て猫・捨て犬を保護してくれている団体へ支援金や物資を送る、身の回りの小さなことですが、少しでも動物たちへの償いになればと思い行動しています。
質問者様のような方がもっと増えていってくれることを切に願います。

参考URL:http://www.arcj.info/
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>こんな残酷で卑劣な行為が、なぜ日常としてあるのでしょうか。

私はこの事を知った時、昔飼っていた犬のことを思い出しました。
もう大往生して亡くなってしまいましたが、大切に大切に可愛がって今でも思い出すぐらい、家族全員で一緒に育て共に生きてきました。
同じ地球上で生まれてきた動物なのに、なぜこんなにも違いがあるのかと。

生きたまま皮をはぐのは、どうやら本当に真実のようです。
筋肉が硬直していると、皮がはぎやすいそうです。死んでからは皮は取りづらいそうです。

ハラコ、最近知りました。
“ハラコ”という名称を知りながら、雑誌にあおられるように、ハラコのブランドバッグを買っていました。腹子=胎児と知った時はなんともいえない複雑な気持ちになり、それ以後買うのを控えています。

よくテレビで、アフリカの野生動物の弱肉強食を見せ付ける番組がありますが、人間が一番残酷で、私はバッグを見る度に、生まれてくるであろう子供を宿した馬と、生まれてくるはずだった馬の2匹を殺してしまった。と、泣きそうになります。そのバッグも手放すことにしました。

大げさかも知れませんが、ハラコのバッグを所持したたま、よい出産が出来ないと感じたのです。いずれ子供を産む身になったとき、母馬と同じ気持ちになるのです。

沢山の犠牲動物を教えていただき、ありがとうございます。
団体HP見させていただきました。私は所持している毛皮製品をアメリカの団体へ送ることにしました。
KajiKaji-Mさんのような方が今後増えることは、中国含め、日本のファッション業界/アパレル業界/ペット産業などの圧力があり、未来展望はないのかもしれません。だけど、私のように、一人ひとりが事実を知り、買わない選択をすることが大切だと思います。
友達に嫌われてもいいから、動物たちのために私は友達にメールでこの事実を知らせます。

お礼日時:2008/11/27 15:35

レザーやファーのほぼ全ては生きた動物の革を剥ぐのです。


一部に自然死した動物の革を使っているというブランドもありますが、ごくごく一部です。

>>そのバッグも手放すことにしました。
その考え方は間違いだとは言いませんが違うと思います。
一度革製品になってしまった物は手放しても元にもどる訳ではないですよね?
物になってしまった物は、使える物は使わないと、それこそカワイソウだと思いませんか?
食べ物で例えると食べ残しの様なものです。

食用に肉を消費する様に、
ファッションの為にレザーやファーを消費するなら僕はありだと思います。
人は必要以上に肉を食べてますよね。
もし、レザーやファーを否定するならお肉も食べてはいけないと思いますよ。

一応言っておきますが僕もレザーやファーは否定派です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。お礼が遅くなってしまいすみません。

もうすでにご指摘のバッグは他の欲しい方にお譲りすることになりました。。確かにおっしゃる通り、使える物は使わなくてはその“物”になった生き物に対しても失礼と思います。しかし、私はその皮の毛並みを見ているだけで、これは猫か、犬か、そしてあの動画のように生きたまま剥がれた姿を想像してしまい、もう精神的にツライのです。

毛皮のマフラーなど分厚いものは、アメリカの動物保護団体へ寄付しますがそれも野生動物を保護した際に、不安になった動物を安心させるために毛皮を使用するので有効活用といえると思います。

どうしても手放せない、大切な服1枚と牛革のバッグは手元にあり
これから一生大切に使用していきます。

食肉についてですが、食肉とファッションで消費される動物、どちらも人間の欲のために消費されているということ。これは間違いのない事実だと思います。しかし合成革で代用できるのにと考えてしまいます。

お礼日時:2008/12/01 13:59

#3です。

度々失礼いたします。

>そのバッグも手放すことにしました。

私も手放しました。
もう商品となってしまい、命は元には戻らない、でもそれを見たり、自分が持っているということで、あの動物たちの映像が頭をよぎり、涙が止まりません。
それを持っていることで、こんな気持ちになってしまうのなら、使いたい人が大切に使ってくれたほうがいい、そう思い、私は手放しました。
質問者様も、きっと同じような気持ちなんですよね。

>大げさかも知れませんが、ハラコのバッグを所持したたま、よい出産が出来ないと感じたのです。いずれ子供を産む身になったとき、母馬と同じ気持ちになるのです。

こういう気持ちが大切なんだと思います。

私たち人間は、雑食動物なので、お肉を食べなくても生きていけます。
実際にベジタリアンも浸透してきました。
しかし、簡単に変えられるものでもありません。
お肉を食べるときには、「命をいただいている」こういう気持ちを持つことが大切なんだと思います。

需要と供給が成り立つ以上、今の現状を変えていくのは難しいことだと思います。
しかし、ひとりひとりの「気持ちの持ち方」、これが大切なんですよね。
私がこの件で悩んでいたのは、ほんの一ヶ月前のことです。
質問者様のような方がいらっしゃるということを知れて、私はとてもうれしく思い、救われた思いです。
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この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。お礼が遅くなってしまいすみません。

>質問者様も、きっと同じような気持ちなんですよね。
はいそうです。一人でも私のお譲りした物を使用していただければ、新たな命が消えなくてすむのですから。

>お肉を食べるときには、「命をいただいている」こういう気持ちを持つことが大切なんだと思います。

毎日スーパーに陳列される牛、豚、鳥、馬などの食肉を見ていると、物のように感じる時があります。買う側も、値段と産地しか見ていません。実際にを見たら、口に出来なくなるでしょう。このような時代では、いただきますと言う事で感謝を表すのが精一杯です。

でもなぜか食べ物より、人間の虚栄心で死んでいく動物が悲惨に思えて仕方がありません。

>質問者様のような方がいらっしゃるということを知れて、私はとてもうれしく思い、救われた思いです。

私も同じ気持ちの方がいて、ほっとしています。
といいますのも、この時期毎日のようにファーを目にするからです。
一度知ってしまうと、もうダメですね。知らぬが仏といいますが、今回の事を知り本当に苦しみました。今は現実を知って、このことで少しでも命の犠牲が減ったのなら、よいと前向きに考えられるようになりました。ありがとうございました。

お礼日時:2008/12/01 14:10

アパレルにいます。

個人としては牛革のコートも、鹿革の手袋も持っています。
化学繊維系の服は着ないで、天然素材中心です。

難しい問題ですね。犠牲ってなんだろうって思いました。
人間と動植物は同じと考えると、食べるものが無くなる。
質問者様は、生まれる前の鶏卵を食べた事はありますか?
ラム肉のジンギスカンを食べた事は?
熟す前にもぎ取られた枝豆は嫌いですか?
強制的に芽をはやされたもやしは、、、?
米も麦も、、、地球上でともに生きているものと考えると、エキセントリックになってしまいます。
それとも、肉を取った後の革だから良い、という考えは?
日本の製革産業の牛革材料はほとんど輸入ですが、豚革は100%国産です。それだけ日本人が豚を食べているのです。

それと人間の歴史の中で育んできたものという方向で考えると、動物の皮革の利用、それとそれにまつわる工芸技術の事など考えると、それ自体を「間違いであって認めるわけにはいかない」とは言いづらいです。
「昔はそういう環境だったからで、今は違うだろう」と言うなら生態系に影響を与えない科学的生産物(石油を使うようなもの)が良いからそっちに行こうと、今は言えない時代。生態系に影響を与えない素材自体が、天然のものも人工のものも存在しないのです。もう地球自体がCO2で壊滅的に打撃を受けてしまった。

自然な動物は狩っても良くて、養殖して殺すのは残酷、、、?
自然の森林伐採はダメで、畑で作る作物はよろしい、、、。
生きたまま殺してはぐのと、薬品や電気で殺して剥ぐのとの違いは、、、?
その産業で働く人はそれで生活してきているのに、残虐者扱い、実態を知らずにのうのうと都市で生きている消費専門の人達の「可哀想」という意見はむしろ無責任、、、ともに生きる者達が立場の違いを理解し、知恵を使いそれぞれの生き方で生活していこうとしか言えないような。
『人間が生きるために獲得した知恵の一つ』と考えれば、否定も難しいです。

自分はその残酷な人間の子供だからです。

質問者様のバッグが売られていったのではなく、捨てられて土に帰る事を願います。

この回答への補足

再度、lettermanさんの回答を読み直しました。
毛皮のことを知る前の私だったら、同じような回答をしていたと思います。需要と供給があり、毛皮産業で食べて生きている人達が沢山いるのも事実ですが、ヨーロッパでは毛皮反対の動きが強くなっています。それが日本や韓国など近隣アジア各国には全くないことも、不思議に感じています。これで質問を締め切ります。様々な意見を聞けてよかったです。ありがとうございました。

補足日時:2008/12/01 14:42
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。お礼が遅くなりました、すみませんでした。実際にアパレル業界にいらっしゃる方からのご意見、非常に身に染みるものがありました。

が、lettermanさんは書きながら、自己肯定されていると思います。
私が質問しているのは、すべての生き物の命の犠牲ではありません。
植物に命があり、それらを殺して食べているという点では共通ですがそうなると、我々人間の存続はありえません。

生き物の命をいただいて、私たちは生きて、生かされているのです。
毎日ぼーっと過ごしていても、お腹は減ります。
何かを食べます。その繰り返しの中で、生き物の命を犠牲にしていると考えれば、毎日の食事に感謝し、明日から精一杯生きていくでしょう。

では、人間の虚栄心を満たす為に繁殖し、生きたまま皮をはがれる残虐な殺し方をされる動物。この毛皮を私たち人間が身に付けます。
どのくらいの確率で、この毛皮がどのような動物で、どこで殺され、どこで加工されたか?知って買う人がいるでしょうか?

つまり、毛皮を身に付けても命の恵みに感謝することはないのです。
その空しさを私は感じています。lettermanさんは、人間の歴史と石油や環境問題まで話が飛躍していますが、すべて自らの防衛反応にしか見えません。私はオシャレも大好きです。アパレル業界にも知人が沢山います。あなたの業界を否定していません。ただ、人間が残虐という考え方は逃げにしか思えない、それだけです。
私がリンクを張っているページを拝見していただければ分かると思います。

私がバッグを手放すことで、一つの命を救ったと考えています。

>捨てられて
あなたの考えがこれでわかりました。残念です。

お礼日時:2008/12/01 14:32

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