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源頼朝と平清盛の性格を教えてください!また2人の共通点と相違点も教えてください。それとどちらの人物に軍配をあげますか?できれば、その基準と事実、その理由を教えてください。お願いします

A 回答 (4件)

>源頼朝と平清盛の性格を教えてください!また2人の共通点と相違点も教えてください。

それとどちらの人物に軍配をあげますか?できれば、その基準と事実、その理由を教えてください。お願いします

共通点
学説もいろいろありますが、武家政権の創設者である事。
中央軍事貴族、武家の棟梁の出身。

相違点
清盛=平家物語の記述で大いに損をしているようですが、とても思い遣りのある人物であったようです。冬の寒い日には宿直の者を自分と一緒に寝せてやり、朝早く自分だけが起きたときにはそっと抜け出し、宿直者を遅くまで寝せてやったりしたそうです。松殿関白に乱暴した殿下乗合事件も平家物語では清盛の命令のようになっていますが、本来は重盛の命令で、清盛は批判的であったそうです。
頼朝=非常に猜疑心が強く、多くの人間がその猜疑心により殺されています。また、責任転嫁の癖があって、清水冠者義高を自分の命令で殺させたにもかかわらず、娘の大姫や北条政子に抗議されると、実行者のせいにして殺したりしています。
どちらかというと清盛のほうが仕えやすい上司のように思います。

参考まで。
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人情としては、平清盛ですが…。

私は神戸出身なので、中学生時代から、源平特に平氏の史跡を見て回りましたから。神戸市民には平氏贔屓が多いし、そもそも、今の神戸市の元を築いたのは平清盛ですから(ただし、狭い地名としては、「神戸」ではなく、隣の「兵庫」ですが)。

しかし、客観的に見れば、源頼朝に軍配を上げざるを得ません。両者とも武士ですが、平清盛は武士を捨て、公家の枠組みの中で政権を握ったのに対し、源頼朝は独自の武家政権を樹立したのですから。しかも、「源氏の貴公子」でもないのですね。流人という最低の身分から這い上がったのです。

なお、源義経に対して、私は辛い評価しか与えることはできません。彼は、政治家としての能力に著しく欠けます。兄頼朝に疎まれた理由が全く分からないまま死んだのでしょう。後白河法皇から官位を授かって喜んでいたことは、独自政権を樹立しようとしていた頼朝の怒りを買うのは当然です。さらに、安徳天皇を入水させたのは、取り返しのつかない不手際です。彼は滅ぶべくして滅んだと思います。
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人物としては、頼朝・義経の兄弟タッグで、はじめて、清盛と張り合えると思います。


ちょうど、上手い具合にお互いのないものを持っていたので、仲良くやれば、よかったんです。
機構として滅びたものは、後世、その要因は、推し量れますが、人物評としては、源氏の貴公子たちのことを伝える記録は、読み物に走りすぎたり、時代が後すぎたりで、客観性に欠けます。
(ざっくり読んで、おもしろかったですけど)
ゆくゆく、自分に仇を成す可能性がありながら、敵将の子の命を奪わなかった清盛・・・懐が深いです。
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平清盛についてはかなりよく分かっており、明確なビジョンに基いて日本をその方向を持って行こうとした立派な武士で、一方では情誼に厚い人物だったようです。

これに対して頼朝はどんな人物だったかを書かれた記録が殆どないので、史実から推定するよりないのですが、たぶんよく言えば慎重な性格、悪く言えば猜疑心の塊のような人物だったのではないでしょうか。それも頼朝自身は兵力を持っていたわけでも何でもなく、北条時政の庇護を受けたお飾りでしかなかったのではないかと思われるので、その史実も頼朝の意志が反映されていたのかどうかが甚だ怪しいと思われます。
従ってその評価となると、紛れもなく自力で地位を築いた清盛に軍配が上がるのは当然の事だと思います。
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