10秒目をつむったら…

ある車種のユーザーがチャイルドシートを装着せずに、子供を立たせたまま走行しているのをよく見かけます。
 そのメーカーは室内で子供が立てることを盛んにアピールしています。もちろん交通違反の責任はユーザーにあります。ところが、私がユーザーに間違った使い方を誘発させる設計や、宣伝をするメーカーにも責任があると言ったら、強く反論されました。日く「法令に沿って製造されているから責任はない」、「取り扱い説明書の禁止事項にあるから責任はない」、「責任があるというあなたこそおかしい」。
確かにメーカーは法律に則って製造、販売していますから、仮に事故を起こしても法的責任には免れると認識しています。しかし法的責任がない場合も責任が生ずることがあります。
 チームの成績不振の責任をとって自認する監督、高校野球の部長は責任教師ともいいます。
 私の認識が間違っているのでしょうか?法的責任とそれ以外の責任はなぜ混同されやすいのでしょうか?そもそも法的責任とはなんでしょうか?どうかお答え願います。

A 回答 (4件)

そうそう、



>法的責任とそれ以外の責任はなぜ混同されやすいのでしょうか?

これについては、単に「責任がある」と言った場合、
実は意識としてはなんとなく社会的責任のつもりで言っていても、
「法的責任はない」という方が反論しやすいからじゃないかな。

「社会的責任がある」と批判したとしても、「法的責任はない」と反論すると、
実はかみ合ってないんだけど、一見反論したように見えるので、
そういう反論をするというのもあるだろうね。
彼の携帯メールを盗み見た女に、「道義的にどうよ」って言ったら、
「法的には問題がないじゃん」みたいなー。

そういう場合は、「法的責任の話ではなく、社会的責任の話だ」と明確に区別するしかないかな。
まあ、携帯を盗み見るような女なら、「道義的にも問題ない」と言うかもしれないが。

ちなみに、No.2にある電子レンジ猫の話は、広く知られている話だけど、
一種の都市伝説であって、そういう事実はないよ。
マックのドライブスルーで、コーヒーを足に挟んでカップを開けて
火傷したおばあちゃんが訴訟で勝ったというのはあるけどね。
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この回答へのお礼

法律論よりディベート手法の問題かもしれません。ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/12 14:52

「室内で子供が立てるような広々とした空間を作る」ことが「間違った使い方を誘発する設計」なのかなぁ. あるいは「室内で子供が立っている CM が流れている」としても, 「走行中に子供を立たせること」が「親として」非常識であるというのは論をまたないと思うのだが, どうだろうか.


まあメーカー側の「責任があるというあなたこそおかしい」というのもどうかと思いますが, 少なくとも第一義的な責任はないでしょう. 「こんなバカな親のせいで」と激しく突っ込んでおいて, 軽く「でもまあこんな CM もあれだよね」くらいがバランスが取れていいんじゃないかなぁ.
そうしないと, 逆に「本質的な問題」が埋もれちゃう可能性があります. あほな注意書きのなんと多いことか. キックボードで「乗ると動きます」とか, チャイルドシートで「子供を乗せたままでたたまないでください」とか, そういう「ある意味どうでもいい」注意書きが多いと, 本当に注意しなきゃならないことを読んでもらえなくなります.
ああ, マクドナルドの件では「多額の賠償金が認められた」という報道はいっぱいなされましたが, その後すぐに出た「かなり減額された」という決定はほとんど報道されてないんじゃないかな. もっとも, 日本なら「あほかこいつ」で終わりのような気がするけどね. しかも単純に「ミルクを入れようとひざにはさんでふたを開けたらこぼれた」ってレベルではなく, 運転中に起きた (厳密には「信号待ちをしている間に入れようとしたんだけど信号が青になった」んだったかな) ことだよ. 「亀の甲より年の劫」って言葉は.... アメリカにはないのかなぁ.
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この回答へのお礼

この場合、ユーザーに最大の責任があることは論をまたないとの前提で話しています。メーカーにはどのような責任があるかの、詳らかな説明を端折った私の言葉足らずも混乱に拍車を掛けました。おっしゃるとおり過度な賠償責任の追及は経済の停滞を生じせしめ、諸外国の喜劇的状況を見るにつけ考えさせられます。ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/12 15:06

それはかなり勇気のある宣伝ですね。



軽自動車などで、子どもが歩けるほどの広さやピラーレスなどのCMでは、車を止めている場面ですけどね。なかなかすごいですよね。行政からお叱りを受けそうですね。

さて、それで事故がおきたら、アメリカだったら大変な賠償額が認められるでしょう。有名な事例で、電子レンジで猫を乾燥させようとしたら死んでしまったときに、猫を乾かすなという注意文言がなかったからといって責任が認められました。

ましてや、間違った使用方法を宣伝しているわけですからね。説明書に書いてあるからというのは、自ら二枚舌であることを認めているわけですから、もちろん、そんな危険に子どもをさらした親も問題ですが、責任を認める考え方が出てきてもよさそうに思いますが。
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この回答へのお礼

近年はメーカーの責任は広くなっていますね。一元的には語れません。ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/12 14:50

法的責任というのは、平たく言えば、


「いざとなったら裁判所に訴えて、国家権力を使って果たすことを強制できるような責任」
と言う感じかな。

事故で法的な損害賠償責任があれば、加害者が進んでカネ払うこともあるし、
そうでなければ裁判をして、家財を差し押さえて強制執行できる。
でも、被害者に謝罪するのは法的責任ではなく、道義的責任だから、強制はできない。
チームの不振を理由に裁判で高校野球の監督を辞めさせることもできない、
・・・というか、裁判するまでもないんだけどね、これは。

法的責任がなくても、道義的責任があったり、社会的責任があったりすることはあるね。
ただ、そういう責任があるかどうかを「誰が」判断するか、それが大問題ってこと。
タバコのテレビでのCMはアメリカでは禁止されているが、日本ではできる。
嫌煙派は、テレビCMをするJTには法的責任はなくとも社会的責任があるという。
だけど、喫煙者は問題がないというだろう。
それを公権的に判断する人はいないんだよ。
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この回答へのお礼

そうですよね。法的責任とは逆にいえば、訴訟可能ともいえる違法性がないかぎり認められないってことになりますかね?私のいうメーカーの責任は主に社会的責任です。PL法などの影響で責任に言及すると「即賠償」って連想して過剰反応されるかもしれません。ご回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2009/03/12 03:12

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