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世の中に絶望したり、空しくなったりすると
死に向かう人がいます。
そのような人たちは、死をどのように捉えて
いるのでしょうか?
過去に死んだ経験を覚えているわけでもないのに
死にたいと思う理由は南だと思いますか?
私も死にたいと思ったことが過去にありますが
何故、死を選択したがったのか、良く分かりません。
皆さんのご意見をお聞かせください。

A 回答 (6件)

1.死に向かう人は、死をどのように捉えているか。



「救い」だと思っているのではないでしょうか。
疲れたから眠りたい。朝はもう要らない。もう何も考えたくない。
「ずっと眠っていたい」。そんな感じじゃないでしょうか。
全てのしがらみから解き放たれて「自由になりたい」と、死を見つめているのではないかと思います。死だけが自分を救ってくれる、唯一、安らぎを与えてくれる永遠の眠りだと信じているのだと思います。

質問者さんが過去に死を選択したがったのも、その様な理由ではないですか?


2.過去に死んだ経験を覚えているわけでもないのに、
  死にたいと思う理由は何だと思いますか?

転生を信じ、来世に救いを求めて死を選ぶ人もいますが、世の中に裏切られたと怨んで死ぬ人もいますよね。そして、自分自身に失望して死ぬ人もいます。

いずれにしろ、世の中は苦痛に満ちていて、もう何の魅力もないのでしょう。
この先ずっと、苦行のような日々が続くと確信を持ってしまい、ゴールが見えないのが苦痛なのだと思います。人は他の生物のように、これで事足りるということが中々出来ません。一度良い生活、良い人間関係を築いたら、それより下の次元に落ちるのは耐え難いものだと思います。自分の中の人生で、一番輝いていた日々と比べてばかりいると、尚更辛くなってしまうのでしょう。それは、落差が大きければ大きいほど激しい絶望に繋がります。
輝いていた日々があって、もっと輝くはずだったのにと諦め切れずにいると、今度は生きることを諦めてしまうのだと思います。


3.地獄という考え方もあります。
  
もう、生きていることそのものが地獄だと感じていると、死に向かうのではないでしょうか。その後は無に帰すと思っているのでしょうね。
それより何より、死を選択して実行する瞬間は、発作的なものなのではないかと思います。少しでもこの世に未練があると実行は出来ないと思います。
家族や友人、自分を取り巻く全ての人への情を捨て去ることが出来た瞬間に、決行するのだと思います。
死を遂行するときの精神状態は、正常ではないから、この後に地獄が待っているなどとは考えないのでしょう。あったとしても今よりは楽だと思っているのかもしれないですね。


4.死が終わりかどうなのか。

ただ偏に現世を終わりにしたいのでしょう。
転生を信じている人もいれば、この後、地獄が待っていたとしても現世よりはまだましだと思えるのかもしれないですね。
死にたいと思うということは、もう悩むことに疲れ果てているということです。
先のことを考えていては、死ぬことは出来ないと思います。
やはり死ぬことを選んだ瞬間は、先のことなど考えていないと思います。


5.最貧国でかつ戦争当事国などに生まれてしまったら、
  生きていることが楽しいと思えるでしょうか?
  それでも人は生きています。何故でしょうね。
 
生まれてきてから、ずっと辛いことばかりだと確かに生きていて楽しいと思えたことは殆ど無いと思います。生きていられるのは、自分のまわりに同じ境遇の人が沢山いるからでしょうね。自分だけが惨めだと思わずにすむからじゃないでしょうか。自分と同じ境遇の人達が亡くなっていく様を沢山見てきて、その人達の分も生きなければいけないと、逆に命の大切さを幼い頃から知っているのではないかと思います。そして、親ならば、切に子供を守らなくてはならないと思うのでしょうね。本当の悲しみを知っている人は、生きていることそのものを、奇跡のように、祈りのように思っている面があると思います。

そして、幸せを深く感じたことがなければ、幸福の絶頂を知らなければ、死に憧れることをしないのだと思います。
いつも死と隣り合わせだと、死は恐怖であり、憧れとはならないのではないかと思います。

どんなに辛くとも、自分が生きていることを奇跡だと思うと、死んでいった仲間達のことを思うと、おいそれと死を選んではいけないと思うのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

たいへん思慮に富んだ回答を、お寄せいただきありがとうございました。
先の見えないゴールに向かうことに耐えられなくなって、その疲れからの開放としての、永遠の眠り。
>「朝はもう要らない。もう何も考えたくない。」
この言葉、心に響きました。私の場合もそんな感じでした。
眠ることが自然の行為に対し、死ぬということは能動的な訳で、実際は死ぬ元気(変な言い方ですが)があの時私にあったなら既に死んでいたかもしれません。
本当に回答を寄せてくださり、ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/16 16:14

本当に死にたい瞬間、というのがありました。


それは、他の方が語っているような思考ではなかったです。

これは私の憶測で、自殺のパターンの一例ですが
有名スターなどや付近の知人で
元気でやる気満々な人がいきなり自殺したりしますよね。
私はまさにそういう精神状態になりました。
前の日までは友達と我が家でお祭り騒ぎ、
色々やりたいことを真剣に勉強し、でも嫌なことが畳み掛けていた時期、辛すぎの現状に笑って耐えてました。
あの日は、ほんの1時間前までは、
死にたいなあ~と、他の方が語っているような思考では持っていましたが、本気に死にたいなど思っていませんでした。
しかし、追い詰められ追い詰められした瞬間、一時間前の私の脳みそではない私に発作的に変化したのです。脳が破裂したような感覚。
脳内でセロトニンなどプラス思考の科学物質が急激に減り、
ある意味、瞬間的に脳みそが空になり思考も記憶もなくなり、気が狂っていくだけ、と錯覚しました。その時に、死んでしまうか、なんとか耐えたか、の違いだと思います。
その経験をしましたから、それまでは自殺なんて駄目なこと思っていたけれど、勿論、絶対に駄目ですが、発作的な突然の自殺行為は、脳の中で何か生物学的や科学的に変化した結果、と精神医学で説明できるそうです。私も軽くお薬で克服しました。
子供が自殺する…そういうニュースを見るたびに
なんとか脳の働きが落ち着くまで、頑張って欲しい、生きて欲しい、と思います。
あの経験をしてから、自殺したい人の苦しみがわかるようになった気がします(自殺は否定します)。ですから、同じような追い詰められていく人を見ると、気をつけて欲しいとつくづく思います。
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この回答へのお礼

回答をいただき有難う御座います。

私は過去に比較的近い人に自殺されてしまい、その後、数年間悩んだ時期があります。その人も突然、発作的に自殺してしまったために。
取り残された人たちはみなパニック状態になりました。
私は学生時代も精神的に不安定になり、死ぬ選択を何度かしようとおもいました。

お礼日時:2009/06/29 17:31

人間は結局自分がしたいことをしようとするのが一番満足がいく事なのだと思います。

死を選択するというのも同じことで、本当は死にたくなくても自分で選んだと思えれば、少しでも満足感が得られるのではないかと思います。戦国時代の武将が死ぬときでも死を選んだのは助かる見込みがない時のことで少しでも可能性があれば危機を脱して再起を図ったはずです。どうしても死ななければならないのならせめて自分から選んだ形で死のうというような感じだったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答をいただき有難う御座います。

>自分で選んだと思えれば、少しでも満足感が得られる
このような考え方は、したことがありませんでした。
絶望に陥ると、死ぬ元気も無くなるというのがありますが、
それは、精神的に疲れ果ててしまった病んだ状況からくるのかも知れません。それとは違った死生観はあるようですね。特に日本の兵士はそのような状況に陥るようです。
選択肢としての死があることを思い出させていただきありがとうございました。

お礼日時:2009/06/29 17:24

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%AE%BA# …
>絶対的幸福よりも相対的幸福を感じられない人々が自殺しやすい状況にあるといえる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9F% …
>膨れ上がる自分の欲望を果てしなく追求し続け、実現できないことに幻滅し虚無感を抱き自殺へ至るものである。
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この回答へのお礼

回答をいただき有難う御座います。

お礼日時:2009/06/16 16:05

友人の口癖が「死にたい」のtonimiiです。



死というのは全ての終わりだからじゃないでしょうか?
何もかもが終わる最後の手段。最後の切り札。
死後、葬式などで親に迷惑をかけるという心配も死んでしまえば分かりません。
子供であれば宿題をしたくない、テストで欠点を出したくない、単位が欲しい、就職できない、の他にも怒られるのが嫌だ、恋人と別れるのが嫌だ、あいつと関わるのが嫌だ、などなど全て死んでしまえば終わりなのです。

では逆に考えて見ましょう。
人はなぜ生きようとするのか?
正しい答えは分かりませんが私は「生きているのが楽しいから、今後の人生で楽しいことがきっと待っているから。」だと思っています。

ということは「生きているのが楽しくない、今後の人生にも楽しいことが待っていない時」人は死を選ぶのではないでしょうかね。
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この回答へのお礼

回答をいただき有難う御座います。

全ての終わりという考え方もあるのかも知れませんね。
でも、地獄という考え方もあります。死が終わりかどうなのか
今の私には分かりません。
生きていることに楽しさを感じられる人は幸せですが、最貧国で
かつ戦争当事国などに生まれてしまったら、生きていることが
楽しいと思えるのでしょうか?
それでも人は生きています。何故でしょうね。

お礼日時:2009/06/15 20:45

死にたい時は、死が唯一楽になれる選択だと思い込んでいるのです。

あとから思い出してぞっとしたりするのですが、その時は死んだら楽になれる、そればかりだと思いますよ。

そもそも死にたいと思うのは、精神的な病が大半だと思いますよ。死にたいやつは死なせれば良いという考え方は危険です。精神病からの自殺願望だということを世間が認識しないと、もし自分が精神病になって死にたくなった時誰も止めてくれない世の中になるからです。

「あーあのとき死ななくて本当に良かった。」

精神病が治ってからそう思う人は多いでしょうね。
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この回答へのお礼

回答をいただき有難う御座います。

確かに、楽に成れるという発想は確かにあるかも知れませんね。
漠然とした不安が、人を死に向かわせるのも、そのような事なのかも
知れませんね。

お礼日時:2009/06/15 20:39

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