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中学生なんですが…例えば理科だったら未来の科学研究の予備知識になったりするじゃないですか 社会も国の仕組みや特産など…
でもなんで数学って勉強しなくちゃいけないんでしょうか…?
算数だったら日常生活で多用するのでとても便利だと思います
でも数学の「二次方程式」とか「平方根」とかって全然将来活用できる感じがしないんです…なんで勉強するのでしょう?
とても幼い考え方ですがどうか教えてください!

A 回答 (18件中1~10件)

質問者さん来なくなっちゃいましたね。


大人がわらわら湧いてきて思ったよりもおおごとになったので怖くなったんでしょうか。(^^;
でもこの質問の内容なら、おおごとになるのは当たり前ですよ~
気楽に出てきて、適当なところで質問を閉じて欲しいと思います。

さて、質問者さんによって役に立たない数学の代表として挙げられた二次方程式の解法ですが、二次方程式は中学でも導ける簡単な数学ですが、三次方程式、四次方程式をめぐってはむかし大変な騒ぎになりました。

1500年ごろ、イタリアでは、数学の問題を出し合って解けなくなったら負けという数学の試合(決闘)が行われていました。
で、タルタリア(「どもり」という意味のあだ名、本名はフォンタナ)という人が3次方程式の解の公式を発見し、3次方程式の試合にことごとく勝っていました。

これを聞きつけたカルダノという人はタルタリアにしつこくつきまとったり、脅したりし、「絶対に公表しないこと」という約束でこの公式を教えてもらいました。
しかしカルダノは、すぐにこれを本にして、自分が発見したものとして発表してしまいました。
タルタリアは激怒してカルダノに公開論争を申し込みました。
しかし、カルダノは自分の若い弟子のフェラーリを代理に立て、タルタリアは不覚にも論争に負けてしまいました。
これで、タルタリアは失意のうちに死んでしまったそうです。

また、カルダノの弟子フェラーリは4次方程式の解の公式を発見したんですが、またしても師匠のカルダノに横取りされてしまったそうです。
カルダノはひどいやつですね。

このように数学は、昔からたとえようもなく人を引き付ける魔力があったようです。
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続いていますね。



エジプトの歴史資料「死者の書」には、
三途の河の婆 (に相当するエジプトの神様) は、
自分の手の指を数えられる死者だけを あの世に渡し、
数えられない者の魂は この世をさまよい続ける
…と書いてあるそうです。

これを見ると、古代エジプトにも、
「なんで算数を勉強しなくちゃいけないんでしょうか」
という FAQ が存在していたことが解ります。

エジプトの神官が、
「ピラミッドを建てるために必要だから」とは
答えていなかったことも…。

私は、三途の河の話のほうが好きだな。
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もともと勉強の第一の目的は社会で生きていくためです



例えば字が読めないと社会で生きていくにはものすごく不便ですよね

社会で生きていくには論理的な思考能力も必要です
ある程度の論理的思考能力がないと、詐欺に騙されたり、買い物ができないとかやはり困ります

数学は論理的思考能力、つまり頭を鍛えるために必要です
体育で身体を鍛えるのと同じです
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>>>回答者同士の議論はご法度ですが・・・。



一理あります.
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回答者同士の議論はご法度ですが・・・。



嫌いなことは無理にやらないで、好きなことに打ち込んだらいい、というのは一般論として大賛成なんですが、中学程度の、特に英語数学は、将来なんで必要になるか分からないので、多少無理しても叩きこんでいたほうがいいと思いますねー・・・。

中学生でも、芸能やスポーツの特別な才能があってもう注目されているとか、ご実家が老舗の和菓子屋さんで後を継ぐことになっているとか、将来の夢がビシッと決まっているなら別ですが、将来何がしたいかまだフワッとした状態で(大多数の中学生はそうだと思いますが)特にやることもなかったら、英語と数学ぐらいは真剣に学んでおいた方がいいと思います。
質問者さんも、不安だから質問されてるんじゃないでしょうか。

もし高校、大学と専門性の高い勉強をする中で、たとえば「CGアーティストになりたい」とか「ゲームデザイナーになりたい」とか思ったとき、中学程度の数学の基礎がないと致命的じゃないですか。(同じ理由で英語もいつ使うかわからない。)

いつ勉強したっていいじゃないか、というのも筋ですが、中学で、タダで習えていたことを大人になってから習い直すのは恥ずかしいし効率的でないですよね。

俺は好きなことに打ち込むから嫌いなことは適当でいいんだよ、というのは、自分の好きなことがバッチリ売り物になって、それさえ打ち込んでいれば人生が充実していると胸張って言える人にだけ許されるセリフだと思います。

で、質問者さんには失礼な言い方になりますけど、そういう人はこういうフワフワした疑問は持たないんじゃないですか。。。
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本質的な問いかけです.


こういう問いは,普段,思っていてもなかなか言い出せないものです.

大人は,真面目に答える必要があります.幸い良き回答者が大勢いて,
真剣に回答されているので心強く思っています.

中学生ですから「将来活用できる感じがない」と思うのも当然と言えば当然です.
貴方は国語が好きそうなので,例えば,将来,国文学者とか小説家になったとすると
「二次方程式」や「平方根」は不必要かも知れません.しかし,小説家になって,
推理小説を書くときに「二次方程式」や「平方根」が必要になるかも知れません.
作家でもサイエンスライターならば,必ず数学が必要になってきます.

一方,「二次方程式」や「平方根」など知らなくても,人生に成功して,
他人から尊敬されている人々が沢山存在するのも事実です.

この世は十人十色なので,自分に合った歩み方をするのが一番良いのです.
嫌いで仕方なければ「二次方程式」や「平方根」など,試験の時だけ覚えて,
後は忘れて,自分の好きな分野に打ち込む事です.これが一番です.
捨て鉢で言っている様に聞こえるでしょうが本当です.
嫌いなものを無理にやっても,多分,ものにはなりません.

ただし,人生の行く先は誰にも分かりませんから,突然何が必要になるか分かりません.
だから,基本はしっかり勉強しておくのが自分の為です.
「二次方程式」や「平方根」などは基本になるのですから.

私は中学生,高校生のころ,英語が嫌いでした.だから,今でも英語が苦手です.
ところが,今の世の中は,英語が必須です.運もあると思いますが,
良い先生に恵まれませんでした.英語が出来ないのを先生の責任にするのは何事か!!
と言う方も沢山いますが,大学のドイツ語は,すばらしい先生でしたので,英語より
ドイツ語のほうが好きになりました.
A(アー),B(ベー),C(ツェー),D(デー),E(エー),F(エフ),G(ゲー),H(ハー)・・・です.

ですから,私の人生訓としては,

「嫌いな事を無理にやるな! 好きな事に打ち込め!」

です.人生は楽しむためにあります.ただし,正義は踏み外すな!! です.

長々と書きましたが,何かを掴んで頂けましたでしょうか?
(何も得るものは無いだろうな・・・?)
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こういう質問が出てくるのは、今の教育制度がタテワリでよくないからでもあります。


ニュートンやライプニッツが微分積分を考えたのは、物理の力学の研究をするためですが、高校の物理では微分積分を習う前に物理を習うので、すごく無理をして力学の公式を導いています。
で、微分積分は物理とは関係なく、グラフの傾きとか面積とか、純粋数学的に習います。
「グラフの傾きってなに?」「グラフの面積を求めてどうするの?」と、教科書以外の自主研究をしない生徒は疑問を持つのが自然です。
学校の教科書だけを習っていたら、微分積分と物理が手を結んで、微分積分がこんなに便利な道具だったんだ、と分かるのは大学に入ってからです。

もちろん、気の利いた生徒は自分でいろいろ勉強していて、高校の時点で「微分積分を使えばもっとカンタンに解けるんだろうな・・・」と思いますし、学校の中間期末テストはどうかわかりませんが、大学入試で、高校で習っていないはずの微分積分を使って物理のテストを解いても、「この生徒はよく勉強したな~」と思うだけで、特にルール違反ということにはなりません。

事実、ぼくが高校の時に使っていた参考書では「教科書では学ばないが」と前置きしたうえで、微分積分を使う方法を説明していました。
このときは目からウロコでした。

ということで、勉強する子ほど勉強の価値は分かっていて、価値が分かると面白いからどんどん勉強する。
勉強しない子は勉強の価値、「うまみ」が分からないから、いきおい何の役に立つかわからない公式を丸暗記することになってしまって、ますます勉強ぎらいになってしまうという、悪循環がありますね。

これは社会に出ても同じで、努力する人は実力が付いてきて、社会的地位も上がるからますます仕事がやりやすくなります。
でも努力を惜しんで仕事はつらい、と文句ばかり言ってる人はいつまでも実力がつかなくて、自分の仕事の意味もわからないから地位もあがらず、ずっと辛い単純作業ばかりさせられることになるんですね。
「努力すればするほど、努力できる自分になっていく」ということを、若いうちに学んでほしいですね。

でも、数学は何のためか、という疑問を持つことは、ぼくは悪いこととは思いません。
よく引かれる話ですが、道端でレンガを積んでいる3人の人夫がいたそうです。
1人目の人夫に何をしているか聞いたところ「毎日、線に沿ってレンガを積んでいるんだよ。単調な仕事で、きついだけだよ」と答えたそうです。
2人目の人夫に同じことを聞くと「今週中にあと何百メートルもレンガを積まないといけない。人夫は3人しかいないし、とても時間が足りない。そう親方に言っても、聞いてくださらないのさ」と答えたそうです。
3人目の人夫に何をしているか聞いたところ「大聖堂を作っているんですよ! とても美しい建物で、完成したら世界中の人が俺たちの仕事を見に来ますよ!」と輝く顔で答えたそうです。
この3人目の人夫の考え方を身に着けることが、社会に出てもできない人はいます。
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「国語には自信がある」


ということなので・・・・

私の知り合いに国文学,特に平安時代の和歌とか
藤原定家近辺の専門家がいます.
で,その彼が何を勉強してるかって・・・
実は「ベイズ統計学」.
極めて高度な数学で,経済研究,疫学研究なんかでも必須.
昨今話題の新型インフルなんかでも
絶対に使われている統計なんですわな.
これは生半可な数学ではありません.

なんでこんなの国文でというと
各種文献に現れる言葉の出現頻度とかを
調査する際にどうしても現れるそうです.
作者不明の文献の作者を絞り込んだりとか.
偉い人が作った「コンピュータソフト」を使えばいい
部分もあるらしいのですが,
専門的になると
そういう既存のものだと手が届かない,
本当にそのソフトの動作で正しいのかみたいなことがあるようで
自分で理解していないとダメなんだそうですよ.

それに数学ってのは「言葉」なんです.
言葉がないと何も,思考すらできません.
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「理科だったら未来の科学研究の予備知識になったりする」



とのことですが、その理科を理解するためには数学が必要になります。
特に物理という学問において、数学を異常なまでに使います。
例えば、物理の中に電磁気学という分野があります。
電磁気学の法則を利用して、モーターなどの電気機器の原理を説明できます。
力学や電磁気なんかを数式で記述することで、「どれくらいの電流を流したら、どれくらいの力が発生するのだろうか」ということが予測できます。また、おこりえない未来のことまで予測でき、色んなトラブルに対処できるようになります。

それに「この扇風機のプロペラ、自分がまわした限りじゃ急にぶっ飛んだりしなかったから大丈夫だと思うよ」って言われても安心できないでしょ?
こういうことを数式を使ってきちんと予測し対処していきます。
理科と数学は本来切り離せないものです。

こういった数学を理解するために、ほんとーーーに最低限のことを中学の数学で学びます。
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中学の数学は基礎的過ぎてイメージが涌き難いのかもしれませんね。


高校数学では、場合分けや論証の問題に取り組む過程で、論理的思考力が鍛えられます。
「表面的な議論か本質的な議論か見抜く」「嘘を見抜く」能力は、ここで身に付きますし、社会で大いに役に立ちます。
逆に数学的素養が無いと、書く文章やスピーチが薄っぺらいものになりがちです。
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