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霊能者について2点疑問が出来たので教えてください。

(1)
 最近、霊感・霊力はとても強いのに、霊視などは出来ないという霊能者がいると聞きました。こういう方はどのような方なんでしょうか?

(2)
 例えば霊視とか憑依とか・・・普通の人に出来ないことを出来る人に対して、霊能者は「神様がついているから」とか、すぐに「神様」を口に出す人がいます。
 私は、神様の存在は否定しませんが、神様が見えるという人は、その神様と同等の霊格の持ち主だと思います。そうでないと次元が違う存在なので、見えないはずと思っています。次元が違う存在は光の形で見えると言いますが、神が見えるという人は姿形も言います。でも、そういう人は簡単にいないと思っています。だから、すぐに「神様が~」とか言う人は怪しいと思うのですが、どう思いますか?
 本当に神様なんでしょうか?
 人間が見える霊的存在の範囲は限られていると思いますし、聞いています。その範囲には神はありません。それがどんな神様でも見える、ついているなどと言う霊能者がいて、友達が騙されていてちょっと困っています。

 皆さんの考えをお聞かせください。

A 回答 (12件中1~10件)

(1)その人がどのような方かはどうでもいい事です。


そういう人に近づかない事の方が、あなたにとって賢明です。

(2)その通りです。神様というのは言ってみれば法則です。人格を後付けしたのは人間の身勝手です。世の中は、神様をサンタクロースと勘違いしてる人ばかりです。
そこをしっかり認識すれば、変な宗教、占い、霊媒師にだまされることはなくなります。
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この回答へのお礼

早々にありがとうございます。
私は書いたとおりに思っているんですが、問題は友達で、自分に「神様がついている」と言われた部分だけで、信用しきってしまったので、私のアドバイスを聞かない状態になってしまいました。
「神様がついている」その言葉だけで、自分は特別なんだという意識が強くなってしまっています。

 以前にも似たようなことがあったのを思い出します。

 「まただ」と思ったので、自分の考えは間違っていないか確かめたくて、こちらで相談しました。ありがとうございました。

お礼日時:2009/09/09 15:02

とりあえず、本当の能力者は自分で自分の事を霊能者なんて呼びませんし、周りからそう呼ばれる事を嫌います。



これまでに能力者には、2人しか遭った事がありません。
厳密に言えば、そのお弟子さんも含むので、計5人だけ。
見極める方法は、私が見えているものが見えているか、あるいは、プラスアルファが見えている事。
私が見えているものすら見えていない人は信用できません。

その経験則で言うと、お友達は完全に騙されていますね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

やはり騙されていますよね。
最近に始まったことではありませんが、神様や天使、観音様などがお手軽思考に考えられていて、またそれを信じきる人がいて・・・スピリチュアルが酷い状態にあるように思っていました。

以前の経験では、違う知人なんですけど、人の話を聞かないことに輪を掛けるし、段々と言葉が喧嘩ごしになるしで、最後は喧嘩別れになりました。

これだけが決定的な証拠とは言えないですが、話を聞かないことが魔の方の影響を受けている可能性があると判断できると聞いたことがあります。

明らかに違うことを教えても聞いてもらえないのは、何とも自分自身の無力さを感じてしまいます。

お礼日時:2009/09/09 17:52

(1)


目の見えない人は周囲を見ることができませんが
その他の感覚で感じることができます。
霊視ができなくても聞いたり感じ取ったりできるということでしょうか。
あるいは嘘がバレるので都合がいいとか。

(2)
ご質問者様のお話を読む限り、お友達には神様がついていらっしゃるかもしれませんね。
貧乏神って神様が。

ご先祖様から守護神様を創作したりする人がいらっしゃいます。
想像の産物がほとんどのようです。
言ったもん勝ちですから・・・

ご神体を何度か拝見させていただいたことがあります。
神様と同じ霊格だとは恐れ多くて微塵にも思いません。
お告げという言葉は聴いたことありますか?
姿を見せずとも声あるいはイメージで直接伝えることができるようです。
ただキOガイとの境界線はありません。
私はキチガイの部類ですから勘違いなされないように(笑
この人は本物だ。
と信じていても都合のいいこと言う場合があります。
それ神様やったら言わんやろ。
とツッコミたくなるようなことをしれっと。

観察眼が鋭く、話術に長けていれば場の雰囲気でたいていの人は騙せます。
はなっから信じて来るのですから、いきなりハンデをあげているようなものです。
ちょっとしたミスを犯してもお客さんが勝手にフォローしてくれたり。
褒めたり脅したりすれば怪しい?という気持ちがすぐ消えてしまうし。
スピリチュアルだのなんだのいっても薄っぺらな人が多いから・・・

>人の話を聞かないことに輪を掛けるし、段々と言葉が喧嘩ごしになるしで
世の中にはたくさんいらっしゃるようですよ。
スピリチュアルを学んでも愛を置き去りにして自己満足に浸る人。
何十人と見てきました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「お告げ」の言葉は聞いたことがあります。が、実際の言葉は聞いたことがないので、それが真実かとかはわかりませんけども。

 すごく思うことがあるんですが、「○○神がこう言っている」と言う場合、それ自体が既に怪しいと思うんです。神様は一人の人生にアドバイスするかな?と。人生って何かな?って思ってしまいます。もし、そのようにアドバイスをくれる存在がいたとしたら、それは神様ではなく、極身近な守護霊、先祖霊ではないかと思います。

 例えば芸術系の道の方には、芸術、芸能系の神様や天使だったりがついていたりしてることがありますが、本人達は意識してないですよね。インスピレーションで自然と受取っている感じがありますし。

 スピリチュアルのゆがみを感じてしまいます。

お礼日時:2009/09/09 22:58

問題は結局、霊や神様の存在有無ではなく、お友達の傲慢さですよね。


逆にお友達なら、どうしてその友人が「自分は特別だ」と思い込むようになっているか考えたことがありますか?
自分を特別視しないとアイデンティティが保てないのは、裏を返せば劣等感の塊だと思います。
そこに「あんたは間違っている」と否定しても、ムキになるだけでしょう。
人の話を聞かないのが「魔に引っ張られている」と簡単に済ませてしまう、それこそスピリチュアルの怖いところだと思いませんか?

個人的にはすぐに「神様が見える」などと口にする人は信用していません。
以前知り合った霊能者が詐欺師だったので、余計にそう思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

いえ・・・私的には問題は、友達が傲慢になったことより、霊や神様の問題でもなく、すぐ神様の名前を口にする霊能者のことです。

霊能経験があるなら、スピリチュアルに一歩を踏み入れた人が、何を言ったらどんな反応をするかとか、わかっていると思うんです。
友達は罠にハマってしまったような気がしています。
スピリチュアル1年生は、知識がありません。たとえ、間違った知識を持った霊能者が言ったことでも、真実だと思ってしまいます。

私が正しいとは言いませんが、スピリチュアルについて勉強する時は、ちゃんと人を選んだ方がいいと以前言われたことがありました。
冷静に考えれば間違っている、また感があれば違うことはわかると思うんですが、その判断すら失ってしまいました。

「魔に引っ張られている」と言うのは、内容によってはそう判断されても仕方がないこともあると思います。

回答者様も騙されたことがあるんですね。「神様が~」と言う霊能者は注意ですね。

お礼日時:2009/09/09 23:06

テレパシーとサイコキネシスとかの分類に対応したように受動的か能動的か能力の違いが出てきますが、ある程度はトレーニングで能力の幅を拡げることができます。



一般的には、パワーの強い人は読んだり視ることが苦手な場合が多いですが基本的な意識の活動形態が放出で、尚且つ活性チャクラや感情と意識の嗜好によってのオーラの色なども情報の流入状況に影響するものでしょう。

神様というものについての考察は、例えばワンクッション置いて神道などでは霊格の高い巫女さんや神主の霊が手伝っている場合が多く、祀られているものは自然霊ベースにエネルギースポットのパワーと人間の意識、とか昔の族長などが祀られていたりしますが、そういった管理統制を行う役割は地上の生態系と精神の歩みを監視したり調整する目的で、地球に訪れた先進的な外惑星の者たちや、その子孫であったりします。

仏教系の神様に相当するものは、ヒンズー教の自然霊や象徴としての集合意識を変容させたものが多く、それに僧侶の意識エネルギーが積み重ねられて働きの設定が為されたものを主体に、聖人などの領域に至った者を讃えて祀るものや、人の意識の成長段階を示した象徴などもあります。
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さきの続きです。



神様と呼ばれる集合意識や意識体を活用する場合、有効な手段は思考の方向性を洞察して、同じ思いで同調して流用するか自分の純粋な意識状態に切り換えて同調する方法、意識の周波数を一時的に切り換えて感応させて活用する方法などがあります。

ただ、社会経験や意識工学の認識がない人は実質的な面に於いて、本人の為になれるまでの洞察力を養ったり、思考形態のありようを深みに誘えないと支離滅裂な人生を共に歩む形で、なんでも感情エネルギーでごまかして通し、結果がでなければ本人や先祖のせいで神様の采配によるものという結論に達しますが、教祖様の機嫌を少し損ねてしまったり、霊能者などに入金が少なく満足させられてなかったりの場合も見受けられます。

貴女がもしも、本当に大変な時に見捨てないでいてくれるような人かどうかが、信頼につながる理由になったりするシンプルな見方で、そのカテゴリーは関わるといい。分かち合うことの一つの形だと理解してください。

本を読んで、どんな風にも綺麗な言葉やファンタジーは演じられるけれど、何かを共に乗り越えて分かち合う喜びが祝福です。

神様は命そのものであり、源の恒星の中のプラズマでもある。生まれて来る前の光の記憶を思い出す小さな子供の言うデータなどから導き出した答えです(^-^)

更にその光の前の状態も、流れそのものも、現れる前の無も神様に相当するなら、その時点に於いて前の状態が神様とも言える。それらからは存在する全てが神であるとも取れるだろう。神を語れるのは、リアリティーを持った感覚だけでの体験だ。
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ところで、何でこういうことのコメント出す人は、いきり立って興奮しているのだろうね(^-^)



自分を基準に裁判でも毎日繰り返しているんだろうか・・

また、一人今日も嫌な人間が増えて明日も明後日も増え続けて、地球なんて終わったり、悪人なんていなくなっちゃえばいいね(^-^)

腹が減ってないと何を食べても美味しくない。錯覚だよ、必要を自分達で作っては演じる。

答えが自分にあれば、人はどうでもいいだろう。人んちの庭に草が生えたのが気に入らない。
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朝から吹き出して笑ってしまいました。


本当ですね。
いきり立って興奮してコメント書いてる人がいますね。
2回連続投稿して、なおおさまりきらないご様子。
そんなに自虐されなくてもよろしいのではないでしょうか。

>神様は一人の人生にアドバイスするかな?
してくれますよ。
ただ神様という概念が人それぞれ違うので、当然の疑問だと思います。
拝み屋さんや一代限りの新興宗教の多くで「神様」といえば
自分が到達しえた最高の存在。
もしくは神であることを名乗った存在のことを指すようです。
霊能者の顔つきを見て神々しい顔をしているか卑しい顔をしているかで
どんな神様なのか推し量ることができます。

神道の神様はたくさんいらっしゃいます。
その他多神教の宗教をあわせると・・・どれだけいらっしゃるのでしょうね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …

ちなみにこの方も ネ申 と呼ばれてましたね。
http://tashiromasashi.seesaa.net/

ぶっちゃけてしまうと、神様がそう仰られたと言ってしまえば
それで通ってしまう商売が横行しているということです。
イOチキであろうがキチOイであろうが。


かなり否定的な書き方をしましたが、信仰している立場で申し上げると
神様は求めたことに応じて下さいます。
お手配をいただいたことに気づき感謝し更に努力をする。
真心、誠心を持って人に接し、神に誠を捧げればきっと応えていただけます。
鏡に映ったその姿は笑顔で元気はつらつか。
陰鬱で元気がなく誰にも好かれないような顔か。
簡単なようですが神様との距離のバロメータになります。
笑顔でいつもにこやかな人の方がツイてます。
人と話をしているとき、相手の顔をよく見てください。
自分の心がそこに映し出されています。
言葉もそうです。
人に対して言ったつもりが鏡に映った自分へのメッセージ
であることがよくあります。
会話はキャッチボールです。
もし相手から悪い球ばかり投げられたら投げ返す球種を変えるか
同じような悪球を投げ返さない。
これで縁が変わることがよくあります。

信じきっている人にとやかく言っても聞いてくれません。
熱が冷めるのを待つか、友人の良い面でお付き合いすると良いと思います。
悪い面で無理して付き合うとそのうち染まってしまいますよ。
神様の話題が出たらさりげなく変えるか、時計を見て用事があるからと逃げましょう。
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この回答へのお礼

何度もありがとうございます。

何を神と判断するかによって違ってきますよね。
神とするものの範囲が広ければ、人間が接することが出来る神が存在することになりますし・・・。
”神を名乗る存在”が「神」とするなら、その判断はあまりに短絡的過ぎるような気もします。
そこに問題があるから、惑わされる人がいるんでしょうね。

本当に・・・信じすぎていて話を聞いてはくれませんので、友達の熱が落ち着くまで待つことにします。

お礼日時:2009/09/11 21:42

1、霊視、霊聴などを発達させる部分が個々に分かれており、それぞれ部分的に発達出来るものらしいですね。

何かが良ければ全部良しという仕組みではないようです。
 
2、表面的な言葉だけで決めつけられるものではありません。
「神様が~」
という時、多くの場合は確かに嘘でしょう。

 しかし、ごく稀に自らの守護霊の高級な波動を感じて、それを神様と呼んでいる人が居ると思います(神様といっても日本では八百万ですから、人間より上なら何でも神様なんでしょう。イエスとか、地震を起こす自然霊とかになってくると現世から見るのは無理の様です)。どうやって悪徳商売の人と本物を見分けたらいいでしょうか。その人が現世利益的なことを述べているかどうかが鍵になります。人間は現世で苦しい思いをして修行をするために生まれてきたと思うのです。それを高級な世界では分かっていると思います。その高級な世界のことを伝えるにおいてはその世界の感覚のことを述べなければなりません。

 だから、現世における結果を目的とすることを、何か一つでも述べてしまった人物は、「尻からキツネの尻尾が出た」と気づいて早々に離れるのです。霊性進化に繋がることしか述べていない人物なら、耳を傾けておく価値はあると思います。
 あと、法外な金銭の要求をするかどうかも判断材料ですね。それ自体現世利益に対する執着ですから。

 でもね、そもそも霊能者になにか頼もうとする他力本願、依存心は所詮低い波動の者ですから、それなりの相手にしか会えないかも知れませんね。痛い目に遭って修行させようという守護霊の導きでしょう。騙される方は高級を感じるセンスを磨かねばならないということでしょうね。
 本物に会わせる修行もあることでしょうけどね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
霊視、霊聴など部分的に発達出来るから、修行があるんでしょうね。

「ごく稀に自らの守護霊の高級な波動を感じて、それを神様と呼んでいる人が居る」

これの判断が確かじゃないから、何でも神様になってしまうんでしょうね。「神」とは何か、どんな存在か・・・基本的なものが間違っているのかもしれません。
 思い出しましたが、以前、霊と神を同じものだと言っていた人がいました。その違いがわからない人が意外と多いのかもしれません。

類は友を呼ぶ・・・ですね。同じ波動、波長の人を集めた結果なのかもしれません。友達はこの人から離れないと気づきも得られないんですね。

お礼日時:2009/09/11 22:08

こんにちは。



1.は、私は、肯定も否定もしないので、回答はしません。

2.
>すぐに「神様が~」とか言う人は怪しいと思うのですが、どう思いますか?

言葉は言葉だけなんだろうと思います。白い蛇を神様の化身という人もいれば、宗教家の一人を現人神という人もいます。見えるものならまだしも、見えないもので、他人と本当の共有化できないものでは、少なくとも私には分かりません。

私たちの脳は、未だに原因が解明されていない共振現象があるそうです。医学的(大脳生理学)に現象は認められています。それが、幽霊を見る人がいれば、見せる人がいる、というのです。人と人との間には、言語を介さないイメージが伝わるそうです。

「神」というのも、誰も実態を知らないものを持ち出してくるから、調べようがありません。それは聖書時代でも同じだと思います。おまけに抽象概念を持ち出されたら、文句のつけようもありませんが、もしも、他人に見せられているとすれば、多くの人たちは、それで信じ込んでしまいます。言葉は同じでも、人によって、その人のフィルターを通したものであり、いろんな形があって、それが「神」だというなら、幻覚と変わりません。

しょせん、私たちは、みな盲目で、何か自分の中に感じるものを「神」と名づけただけに過ぎないものだと思います。信者のほとんどは、「裸の王様」の民衆と同じで、王様は服を着ている、と思うようにしているわけです。そのうち、感化されて見えるのかもしれません。ご友人も、誰かに影響されて信じているのであって、目が覚めれば気が付くかもしれません。

古事記では、「神は(独神に成りまして)身を隠したまいき」というように、私たちには、神は、直接かかわらないものだと思います。八百万の神の神道のほとんどは、為政者の象徴化とアニミズムと密教の守護仏が組み合わさったものです。

有名なキリスト教学者の中には、キリスト教の神というのは、本来は、人間の理想形だといいます。そうすると、神というのは、イメージに現れる姿とは似ても似つかないものになりそうです。それに、霊的にしろ見えるものは、神ではないことになってしまいます。これが、現代の信仰の姿かもしれません。

見えるから信じる、見えないから信じないというようなものではないと思うのです。霊的能力とかまったく関係のないところにこそ「神」はいるということになります。これは、無神論・無霊魂主義の仏教専門家(禅家)とも合致します。禅の言葉には、「釈迦に逢うたら、釈迦を殺せ」という物騒な言葉もあります。

>「人間が見える霊的存在の範囲は限られていると思いますし、聞いています。その範囲には神はありません。」

私もそのように理解しています。私は心霊主義者(今は、スピリチュアリストとか、オカルティストと呼ぶらしい)ではありませんが同感です。日本の宗教関係者で、「神は人の五感には掛からぬ」という言葉もあります。しょせん、私たちは、感度のあまりよくないラジオのようなもので、絶対生命や絶対心真理というようなものは感知できない、とも言います。

いずれにしても、心霊主義は、隠花植物で太陽の下では枯れてしまうものだったはずです。存在は否定しないけれども、得たいが知れません。現代は、社会的不安が、人の心に影を作って、隠花植物がはびこらせるものだと思います。これは、占いとも違いますし、正しい信仰とも違います。せっかく、私たちの社会はカルトを追い出したと思ったのに、再び、台頭する気配もあります。困った現象には違いなさそうです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「神は、直接かかわらないものだと思います」
私も同じく思います。たまに神様や天使の生まれ変わりだという人がいますが、名乗らないと思うんです。それこそ秘密事項だと思うので。名乗って敬われるのが目的じゃないはずですから。

 そういうトラップに引っかかる人が出てしまうほど、世の中が不安定と言うことなのかもしれません。友達も弱っていたところにつけ込まれたのかもしれませんが・・・今は、距離を置いて様子を見ることにします。

お礼日時:2009/09/11 22:15

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