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質問させてください。

標準語と共通語の違いって、簡単に言うと・・・・・

標準語は、硬い言葉で東京の言葉とも言われるが、ほとんど使われていない。
共通語は、普段使っている言葉で、方言も含めて誰でもわかる言葉。
     ↑ ↑ ↑
   これって正しいですか?

例えば・・・
昨日、家に先生がいらっしゃいました。 (標準語)
=でも使われていない言葉ではないから標準語じゃないのかも?
昨日、家に先生がおいでなさった。 (共通語)
=方言ではあるけど誰が聞いても、言っている意味はわかる。
   ↑ 
あまりいい例えではない。

標準語t共通語が混乱しています。

どなたか、例文で両者の違いを教えてください。

A 回答 (6件)

そのような定義はありませんし、意の解釈も間違っています。

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まず 日本に標準語と言う規定はありません。


いわゆる標準語は共通語と捉えるべきです。
今 テレビやラジオ また教科書に使われている言葉は共通語です。
幕末から明治の初期、例えば薩摩と佐竹の武士が会話をしようとしてもお互いの方言が理解できず漢文により筆談でコミュニケーションを図ったとか他の藩同士でもオランダ語により会話したといった漫画のような事がたくさんったそうです。
その不便を解消すべく工夫されたのが今使われている共通語の基礎になったのだそうです。
つまり いろんな地方の方言の翻訳と通訳をするものが共通語です。アナタの挙げられている例文はどちらも共通語ですが、丁寧語と謙譲語の違いというか誤用のように思えます。
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「ドイツに出張したとき、僕はドイツ語をしゃべれず、相手は日本語をしゃべれないので英語を共通語として使いました。


と言う意味として共通語ということばを理解しています。

なので、共通語って前後関係がないと具体例が示せないのではないでしょうか。

ギャル語と深夜アニメ語の話者が意思の疎通を果たすために共通語として、正調べらんめいをつかうこともあるでしょうし。
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その解釈は間違っています。

まず、「共通語」「標準語」さらには「公用語」については、広辞苑などに詳しい語義が書いてあるので、そちらをご参照ください。

簡単に言うと、日本における「共通語」は事実上「標準語」です。標準語は東京方言に基づいてはいますが、東京方言とイコールではありません。

「昨日、家に先生がいらっしゃいました」「昨日、家に先生が来た」は、ともに標準語です。

「昨日さ、家に先生が来たんだよね」は標準語ではありません。

「昨日、家に先生がおいでなさった」は標準語でも共通語でもありません。

ところで、質問者さんは、このサイトを利用し始めて間もないと思うのですが、他にも締め切っていないご質問をいくつかお持ちですよね。締め切りを急ぐ必要はありませんが、各ご回答について、何らかの反応を皆さん期待されているのではないかと思います。また、反応を書いてくだされば、質問者さんの意図が伝わり、今後のご質問に対しても、より的確な回答がつきやすいと思います。 
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こちら(

http://okwave.jp/qa5261445.html)にも回答いたしました。そのまま転記します。

方言は、地域で古くから用いられていることば。普段着のことば。
共通語は、日本のどの地域でも通用することば。よそゆきのことば。
標準語は、共通語のアクセントや発音、意味、表記のしかたなどを人為的に統一したもの。制服のことば。

方言:「こわい」
共通語:「おそろしい」「つかれた」
標準語:「お/そろし\い」「つ/かれ\た」(例としてアクセント)
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 たとえば、「高速道路を無料化」という政策を、経済を活性化させる画期的な名案とみるか、他の交通機関従事者の生活を脅かすとんでもない悪い方策とみるかみたいな、同じものについて、異なる立場から行う異なるとらえ方ってありますよね。



 共通語と標準語っていうのも、「共通語では『○○』というが、標準語では『××』という」というような言い方・言葉自体の違いではなくて、方言のように理解できる人が限られる言葉ではなくて、国民みんなが理解できるような言葉をどう呼ぶか、どいういうものと考えるかっていう、見方・とらえ方の違いだと思う。実体はおんなじ。学説によって「首都高速も含める/含めない」みたいな細かい違いはあるかもしれないけど。(ここらは国語学専攻じゃないので、細かいとこはパス!)


 ちょっと長いけど、「Wikipedia」の「標準語」の項目の「日本の場合」から一部を以下に引用します。

太平洋戦争以後は国家的営為としての標準語政策は行われなくなり、また各地の方言を見直す動きが現れたり国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした[3]。そのような中「共通語」という用語が登場し[4]、これまで標準語と呼ばれてきたものは共通語と言い換えられるようになった。国語学の世界では共通語は「現実であり、自然の状態」、標準語は「理想であり、人為的につくられるもの」と定義され区別された。そのため、意識としての標準語は現在も続いているが、国語学的な意味での標準語は現代の日本には存在しない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%99%E6%BA%96% …


 で、かつての「標準語」は東京辺りで使われている言葉が基本ということになってたわけですね。


 「標準」っていう言葉を使うと、標準じゃないものは、規格外・規格外れっていう感じがつきまとってしまう。それを避けようっていうのが「共通語」という言い方。
 具体的には、「標準語」というとらえ方の裏には、方言は、よくない言葉、使ってはだめな言葉だっていう考え方が潜んでしまう。
 だから、学校でうっかり使ってしまうと、「私は、先生の教えに背いて方言を使ってしまった、愚かな生徒です」という意味を込めた木の札(ふだ)を首からかけさせられて、みせしめにされちゃようなことが実際に起こる。

これも「Wikipedia」の「方言札」のURL挙げときます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E8%A8%80% …
ほかにも、いろんな言及があるから「方言札 沖縄」で「ぐぐって」みてください。
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