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ドイツが植民地政策に乗り出さなかった理由は?

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  • 質問者:oxford
  • 投稿日時:2003/04/26 09:06
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ポルトガル、オランダ、イギリス、フランスなどが植民地を得るのに必死だったときにドイツが植民地政策に乗り出さなかったのは何故ですか? 後で乗り出してきて「モロッコが欲しい」と言って喧嘩になって第一次世界大戦が始まった…んでしたっけ???

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No.3ベストアンサー20pt

  • 回答者:aminouchi
  • 回答日時:2003/04/29 16:44

oxfordxさんは植民地獲得を競争した時代(年代)を混同していませんでしょうか。大雑把に説明いたしますと・・

あげられた4国が植民地獲得競争を行ったのはいわゆる大航海時代であり、ポルトガルがアフリカ沿岸などに植民地を獲得したのは15世紀末から16世紀にかけてです。その後少し遅れてオランダ・イギリス・フランスが海外に出ていって植民地争いをしたのは16~17世紀です。そこで植民地の基本的な線引きがなされていますし、その時にはドイツという国は存在せず、神聖ローマ帝国がありました。この神聖ローマ帝国は名目的な存在であって実質的にはオーストリアやハノーヴァーなどの領邦国家の集合体でありました。さらに言えば1618~48年のドイツ三十年戦争によって国内は荒廃していましたから、とても海外進出をおこなう余裕はありませんでした。

さて、19世紀に入ってイギリス・フランスなどが産業革命の進展から新しい植民地を求め始め、いわゆる帝国主義政策を1870年代から始めます。しかし、ドイツ帝国は普仏戦争によって1871年に成立するわけで宰相ビスマルクの方針もあって海外進出を控えて国内の産業育成を優先します(この辺の事情については#2の方の回答を読んで下さい)。

1888年に初代皇帝ヴィルヘルム一世が死にその孫のヴィルヘルム二世(正確には100日だけ在位して死んだ皇帝が間にいます)が即位、ビスマルクが90年に引退したこととドイツ産業の発展を背景としてドイツは海外植民地獲得競争に参加していきます。

モロッコ事件などはその帝国主義政策の一つの現れです。そして第一次大戦はこうしたヨーロッパ列強による帝国主義政策がぶつかりあった結果発生しましたが、そのきっかけは1914年のサライェヴォ事件です。これが4年以上も続く大戦争に繋がるとは誰も予想していなかったでしょうね。

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この回答へのお礼

ああ、なるほど!
ドイツ帝国に出来るまではずっと神聖ローマ帝国だったんですね。三十年戦争などは知っていたのですが19世紀の終わりまでには治まっていたのかな、と思っていました。ドイツに詳しい教授の世界史を取ったのですが、いきなり第一次大戦のきっかけの話(モロッコの取り合い)から始まったのでなんでドイツはそれまでに植民地を得なかったんだろうと不思議に思っていました。謎が解けました。
ありがとうございました。

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No.2ベストアンサー10pt

  • 回答者:kazuji-i
  • 回答日時:2003/04/26 21:58

前の方に補足したいと思います。

ドイツが植民地獲得に遅れた最大の要因は、
統一が遅かったことです。
そして当時の宰相がビスマルクであったためです。
彼は第一に他の列強との摩擦、第二に植民地統治にかかる出費を避けたかったのです。
それが1884年以降、植民地獲得に乗り出したのにはいくつかの理由があります。
第一にただでさえ遅れていたのに、今行動を起こさなければ他国に利するから。
第二に当時、イギリスやフランスが新たな拡大を果たしており、国際環境がドイツに好都合であったから。
第三に植民地獲得によって、国内政治の問題点から国民の目を外に逸らすことができるから。
第四にビスマルクの友人であり、植民地獲得に経済利害を有するディスコント・ゲゼルシャフト(銀行の名前)のハンゼマンの強い要求。

モロッコについて。
モロッコはアフリカ大陸の中で、20世紀になっても一応独立を維持していた数少ない国の一つでした。
しかし、フランスが強い利害関係と影響力を持っていました。
そこドイツが横入りしてきたのです。
その結果モロッコ事件が起きました。
ちなみに第一次(1905年)と第二次(1911年)があります。
第一次世界大戦が起きたのには色々な理由が考えられますが、モロッコ事件によるドイツとフランスの対立関係の悪化も理由の一つといえるでしょう。

参考URLはドイツ語で、しかも考え方に問題ありのページですが、
絵や写真もあり、参考になります。

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この回答への補足

今、必死に読んでます。もうしばらくお待ち下さい。m(__)m

この回答へのお礼

最大の原因は統一が遅かったことなんですね。
第一次世界大戦の結果を考えるとビスマルクの見解の方が正しかったんですね、きっと。

URLの方読んでみたのですが掘れば掘るほどページが出てきます。
なので途中で写真だけ見るだけに切り替えました。(笑)
でも後で必ず読みます。
ただ、Kiautschouのところは面白いので読んでみました。
日本がKiautschouを手放せよ、とドイツに迫ったんですね。まあ。
この写真は中国なのにまるでヨーロッパの国みたいですね。
ありがとうございました。

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ドイツが出遅れたのはスペインやイギリスなどに較べて統一国家作りが遅かったことと第一次大戦に敗れた事が大きいと思います。日本も徳川政府の鎖国政策により海外に目が向かず明治になってようやくロシア、中国と戦って領土を拡張しています。

ドイツは植民地政策に乗り出さなかったのではなく、出遅れによりおいしいところは殆んど残っていなかったという事でしょう。でも植民地は持っていましたよ。

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この回答へのお礼

なるほど、統一国家作りが遅かったことが原因だったんですね。
URL読んでみました。
植民地を持っていたのは知っていたのですが、中国にもあったとは知りませんでした。
想像できません。いつか訪れてみたいです。
あと、植民地と郵便局という組み合わせが面白いですね。
ありがとうございました。

  
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