No.1
- 回答日時:
縄文の人を沖縄や北海道などに追い払ったり、国津神という古族を制覇・服属・和合させたからかなぁ。
そういう人たちではないでしょうか、その人たちのご先祖って?つまり天津神とそれについてきた渡来人ではないですか?
何処から来たか分りませんが。
何回にも渡って縄文以前から、縄文の方も含めて幾層をなして渡来してきているようですよ。
環太平洋の海岸伝いや、オホーツクの方から、朝鮮や山東の半島から。
だからって、朝鮮人がきたとか、それが本国にはならないのですが、つまり道筋として。
渡来以前は源日本人はいたか?いたと存じます。心性や言語を観察するといました。
そういう源日本人と天津神群が多分混じっちゃった。そういう先祖が平安というか、朝廷貴族ではないかなぁ。
この回答への補足
ちょっと飛び過ぎではないでしょうか?
それにしても、日本文化の源流とも云える平安朝時代の由来に皆様方のご関心がないとは・・・意外でした。
No.4
- 回答日時:
要するに平安貴族の前身は奈良~大和朝廷を作った人々で、その人たちは原住日本人を武力で征服したり追い払った(朝鮮?)人だったということですよ。
口の悪い人に言わせれば、豪族とは武力による泥棒で、貴族とは制度による泥棒・・・というところでしょうか。
そうした片鱗は奈良朝あたりまで残っているかと思います。
例えば、長屋王の乱における藤原四兄弟のやりようなどは、愚連隊そのものとも言える行為ですよね。
この回答への補足
陰険・悪辣な闘争が行われたであろうことは想像に難くありません。
何が”上流”だ、という気がします。
(現代でも、権力者やお金持ちは、みんなそういう手段でのし上がった人たちです。(-_-;))
しかし、ウイキも調べてみましたが、渡来人が原住民を追い払った、という記述はどこにもありません。
歴史の隠蔽(聖徳太子の焚書など)が行われて、本当のことはわからなくなってしまっているのでしょうか?
No.5
- 回答日時:
平安初期の上流貴族の大部分は、古墳時代~奈良時代辺りで大和朝廷の支配下に入った地方豪族だったと思います。
(という訳で功績と言うのであれば、大和朝廷へ権力を幾らかを譲渡した。)
ただ、平安時代も中期に成ると下記の新興貴族が上流を占めるようになります。
・藤原氏(中臣鎌足が中大兄皇子を支えて大化の改新を果した)
・源氏・平氏・清原氏(皇族の臣籍降下)
・橘氏(県犬養三千代が軽皇子(後の文武天皇)の乳母を務め、その後は後宮で権勢を振るい藤原氏の覇権の確立を援けた)
・菅原氏(古人[後の菅原古人]が遣唐使に随って唐に渡り、帰国後は文章博士・大学頭を歴任し、侍読を務め学問畑での発展に尽くした)
中期から末期になると武家の台頭で、貴族として源氏や平氏が抜け貴族の大部分が藤原氏に成って行くのですが…。
中下級貴族だと朝廷への功労や上級貴族の家令や地方荘園の管理などで成った例も有るようですが…。
この回答への補足
すみません。
論点の大半が、平安以降に置かれているようですが、わたしの質問は、
”平安貴族の由来”をお尋ねしているので、その点をお忘れなく・・・
No.6
- 回答日時:
ご論評か補足をお願いできないでしょうか?
1. 飛鳥、奈良時代の貴族の出自とその貴族が平安貴族へ展開したのか、その展開はどのような様相であったか、という問いではいかがでしょうか?
2. それにしても飛鳥奈良ではなく、むしろそれを飛ばして平安時代へともっていったのは、平安文化つまり、その担い手ということだからでしょうか?
3. 功績に焦点を搾り、現出と展開にしなかった意図もあるのでしょうね?
4. 私は、朝廷についてきている、この貴族というのもさることながら、府・市内、そして畿内に拠点している人たち、神官その他のそもそもの遠い源流を見ると面白い事が見えてくるように存じますが。
No.7
- 回答日時:
No.4です。
ヨーロッパでケルト以前の文明がよくわからないみたいに、日本の古代史もかなり謎です。
一応古事記、日本書紀というものがありますが、当然、当時、歴史学といった考えはありませんので、大和政権の正当性を主張するものとなっています。
私は特に古代史に強い訳ではないのですが、ある程度の歴史好きとしての常識の範囲でお話させていただくだけですが・・・。
大和政権が、出雲や九州、それに四国の王国をどのように併呑していったのかは、ほとんどわかってないようです。多少はわかるのが東国でしょうか。
当然、武力による征服でしょう。
また、そもそも大和政権の中核となる皇族や豪族の出身も議論のあるところです。
皇室騎馬民族説というのもあります。ある時期から古墳埋蔵物に大量の馬具が出てくるのです。でも、ペアともいうべき去勢術がほとんど伝わってないなどでの反論も大きいです。
他にも、神功皇后の三韓征伐というのは、実は逆に、朝鮮(任那?)の勢力が日本を征服していく様を置き換えたものだ、といった説もあるようです。
他にも近江王朝にフィクサーのように現れる渡来人、というよりモロ大陸人のカゲとか、どうも変なことがありありです。
さらに、疑問に思った方いませんか?なんで聖徳太子の頃って、みんなあんなに朝鮮語が話せるの?!
仮に天才の太子が直接高句麗僧の話を聞けちゃうのは特別としても、大王や豪族連も話しちゃってますよね。
あんまり言ってるとコワイから止めますけど・・・やっぱ、○○人だよ、きっと。
その方々が平安貴族のご先祖です。
近衛家とかにはなんか伝わってるんじゃないかなあ~。
一般に、歴史が公開されるのは国家が滅亡したときです。冷戦下の真実は現在ソ連の資料で明らかになったりしてます。
日本は万世一系の神国ですからねえ・・・
この回答への補足
重ねて丁寧なご回答有難うございます。
古代史は謎、ということですか。
しかし(わたしは)、平安時代のことがあれほどはっきりと(?)伝えられているのに、そのわずか数百年前のことが突然わからなくなっている、という点に疑問を感じるのです。
文字(記録)のこともあるでしょうが、大規模な焚書が行われたため、すべてが闇に葬られたのか・・・
実際のところ何があったのでしょうね?
No.8ベストアンサー
- 回答日時:
連続ですみません。
私は専門家とかでなくこの時代に詳しいわけでもないのですが、歴史常識として書いてます。
日本史で歴史を客観的に扱おうとの試みは、江戸時代の「大日本史」がそれこそ徳川にあるまじき内容で編纂されるまでは、個々の政権の正当性を主張するためのものでした。
だから、歴史学では様々な一次資料を比較して真実に迫ろうとしているのです。
例えば藤原道長で言えば大鏡に栄華物語、御堂関白記、小右記に各地の資料などを裏付けて本当らしい話を再構築しているわけです。
そんなにはっきりと残っているわけではありません。
例の「望月の歌」も藤原実資の個人日記「小右記」にケッて感じで記述があって、なんとか後世に残っただけです。
沢山の非藤原氏系皇子はなぜ死んだのか、応天門はなぜ焼けたの?井上内親王は本当に企みをしていたのか・・・記録じゃわかりません。
平安時代になったからって、どんな謎があるのか奈良以前よりは明解に見えますが、それはあまり知らない、気付かないだけで、結構あるのだと思います。
だって、ここ100年だってわからない(公表されてない?)こといっぱいでしょ?
例えば3大事件、下山、三鷹、松川事件があります。
あと100年でわかるのか、1000年かかる、またはそれでも駄目なのか、まだわかりません。
今生きている時代だって(だからこそ?!)わからないのに、歴史はまだまだ未知だらけ、ってことです。
何度も書いちゃうけれど、歴史が明かされる一つの条件は、その政体が滅亡することなのです。
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