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長年の疑問について、誰かお教え下さい。
「戦争」という行動は、人間の生態において、生物学的には何と位置づけられるものなのですか?

※わたしは、平和主義者ですし、科学には素人ですので、皆目理解できませんが、人間を知ることは、自分を知ることになるので、どうかご回答下さい。

A 回答 (8件)

長い投稿をしたら、「アクセスが集中しています」と出て消えてしまいました。

。。

ミームのこと、利己的遺伝子のこと、利他的行動のことを書きました。
ご興味あるのではないかと思います。ウィキペディアでご覧になってみてください。

戦争については、速く遠く正確な輸送と移動と植民が、戦争自体よりもむしろ人間の欲求するところで、
その速度と効率を高めるエネルギーの開発、その障害となるものへの物理的な破壊の技術の発展がともなうのではないかと思いました。
4で応答いただいた「モテ」を超えて、精子的ばら撒き行動を、何かミーム的に進化する文明機構から考えてみることができるのではないでしょうか。
これは、肥大した大脳が、思考を共有したり、思想を押し付けたりするということに関わると思います。それは社会システムを形成する力だけれども、記憶や情報を有効に保存し、かつ有機的に関連付けて膨らまし、広げていく欲求だとみなすこともできそうです。

あとは、人間の情報と記憶を、最強のウィルスから引きだせるようになるのかもしれないという話。こちらは、4でいただいた面白い応答を受けて、ウィルスの仕分けというわけで。
ウィルスの突然変異は追い風状態ですし、あながち空想ではないかもしれないのが恐いところです。情報と記憶をウィルスに託して人類は滅んでしまう?!

書く気力が取り戻せなくて申し訳ありませんでした。下記にミームにかかわる参考URLを添えておきます。社会学に引き寄せてしまうとミームは不毛な概念ですが、SFのような柔軟な視点で未来の遺伝学につなげていく余地はまだまだあるものだと思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E5%B7%B1% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E4%BB%96% …
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この回答へのお礼

貴重なご回答を、ありがとう存じます。お話したいことが山ほどあるのですが、わたしの子供時代のある長い経験を振り返ると、かなりミームは、信憑性を感じました。話を要約すると、感情の伝染が、ある環境下で驚く程の勢いで起こったのです。それは、誰にも止められそうにない勢いでした。
ただ、ミームは、その個人の中で強い影響力のある人物の持つものが有力なようで、更に多くの個人が影響を受ける同一人物の「鶴の一声」であれば、途端にその一声が、前有力ミームを一気にひっくり返っしてしまうことも伺えました。
(サンプルが必要な方には、証言もご提供します。お声かけ下さい。)
もしも、ミームの正体が明らかになれば、戦争犠牲者や自殺児童が減ると期待します。
資料のご提供に感謝申し上げます。

お礼日時:2010/04/24 08:26

No6です


頭悪いので難しい事は判りませんが
最後の二つは
不老不死の薬を求める事は昔からありますね、特に権力者には多いいようでしたね≪実際に有ったら領土問題が発生して居たでしょう≫
餌の量によって種の数を調整するのは自然界では多いいですね、確かネズミでは有ったと思います
ただこれは自然に出産などを減らすのであって、殺し合いでは有りませんが
昔のナチスドイツの、ユダヤ人の大虐殺もこの中には居るのかな?
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この回答へのお礼

ご回答を、再び、ありがとう存じます。
大量虐殺は、繰り返される歴史の典型例ですよね。そうすると、人間の習性?と疑いたくなります。
でも、これは統計と照らし合わせて見なければ、どのようなタイミングでそれが起きているのか、説明がつきませんね。スペシャリストがいらっしゃらないと、わたしも、常に推測です。
専門的に解明されることを望みます。

お礼日時:2010/04/23 17:58

戦争にも色々ありますが


その内領土紛争は動物も有りますね≪縄張り争いですね≫
ただその他の、宗教戦争、イデオロギーの違いによる、戦争は人間が思考能力を付けて敵対する宗教やイデオロギーをせん滅するのは人間だけですね
答えになったかな?
ただ人間のように相手が死ぬまでやるのは動物ではほとんど無いですね≪結果的に死ぬことは有りますが≫
少なくとも人間が道具を使えるようにならなかったら、大量虐殺は無かったですね

この回答への補足

ご回答を寄せ下さって、ありがとう存じます。わたしも、今のように害の大きな戦争は、道具に問題があると共感しました。
その後、改めて考えると、思想(宗教・政治・その他全ての人の考えを総じて)による紛争は、思考の縄張り争いとも言えますよね?
しかし、他の方にも申し上げたのですが、子をなすことを放棄した人に、何故縄張りが必要なのかが、謎です。種の存続の必要がないとしながらも、別の人間に思想的に遺伝子を継承しようとしていますよね?そうすると、思想=人間が生き残る方法論、とも言えると思うのですが、人間が思考力を高め、肉体的機能性を弱めた為に、この方法論が遺伝子と共に重視されたのだと言えますか?簡単な例では、殆どの宗教教義の大前提は善行を勧めて、悪行を禁止しています。それは人間の個体数の維持の為の知恵とも取れます。
そこまで掘り下げると、人は、遺伝子の継承の為に別の遺伝子を滅することが前提にあるようにも、取られます。
そうなれば、人は、死なない遺伝子を求めているのでしょうか?
それとも、必要以上に数が増えない為のメカニズムでしょうか?

補足日時:2010/04/23 14:07
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no3です。


生物学的に、生物の欲求は1つです。即ち、自己の遺伝子をより多く残す事。
(まあ、欲求とは言いましたが、遺伝子の性質とでも言った方が的確かもしれません。)
そのためには、メスあるいはオスとくっつく必要があるので、もてたい=性欲があり、
メスあるいはオスとくっつくにはそもそも長く生きている方が遭遇率も高いため
生命維持=食欲、物欲、などがあります。
まあ、そういう意味ではもてたいという欲求は仰る通り生物の最も根源的欲求に近いです。

ただし人間の場合これが必ずしも当てはまらないのがやっかいです。
生物は、大方遺伝子の操り人形ですが、人間はどうやら少し性能の悪い操り人形に
なってしまったようです。
この先、この不出来な操り人形が、操者である遺伝子の意に反し暴走し自滅することも
大いに考えられるでしょう。

閑話休題、人間の行動を分析するときに、私のように単純に生物学だけで
原理主義的にとらえようとする人と、社会・文化学を絡めて考察する人がいます。
前者と後者はおそらく一生分かりあうことは無いはずです。
前者は後者を、単なる生物学から派生した些細な学問にこだわっていると内心思っている
でしょうし、後者は後者で、前者の考察を自然主義的誤謬だと批判するでしょう。

ですので、そもそも、単純に生物学だけで考えるのか、他の学問も混ぜて考えるのかで、
答えは大きく変わってくると思います。
個人的には、生物学だけで考える方が単純で好きですが、これは好みの問題です。
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この回答へのお礼

再び解りやすいご説明を、ありがとう存じました。
わたしは、「宇宙自然において、万物は皆平等である」という思想にのっとって、人間を知るには欠かせない学問が、生物学だと思っています。
人間を他の生物より崇高なものとする考えを重んじるならば、社会や歴史、文化を詳しく研究することが重視されてきますが、わたしの学ぶ分野において(児童文学)、人と動物が会話する場面は少くなく、動物と人の格差が、非常に曖昧な作品を読んでいると、「人間は別格」という見方を、一度疑わなければ、説明がいかない部分が出てきます。
その為、長い間、人と他の動物の生物学的な違いに、少なからず興味を持っていました。
しかし、今回の質問で、例えば「マイク、良い家を建てたね」というセリフがあったとして、マイクが人間であった時の家に対する美意識と、ビーバーであった時の美意識を、同次元で考えられるようになりましたし、人間の戦争の問題点は、手段にあるのだと理解しました。
つまり、今やボタンひとつで町が1つ壊滅してしまうような、痛みの少ない兵器が主流に使われていることが、まず問題ではないのかと、わたしは、思い始めています。
勿論、戦争はあって欲しくはないのですが、それが、より悲しい事態を引き起こしているということを感じました。
生物として、人間が不完全なものとするか、高等とするかは、人により考え方はそれぞれですが、その違いを、大切にし、この場で、お寄せ頂いた全てのご意見を参考にさせて頂きながら、より人の心の安穏を祈って、わたし自信、精進して参りたいと存じます。
お付き合い、ありがとう存じました。

お礼日時:2010/04/22 14:12

わたしも生態については素人ですが興味を持っている問題です。


人間と戦争は、E.O.ウィルソンの提唱した社会生物学の視点から、考察できるのではないかとされた問題だと思います。
しかし、結局答えは出ていないようです。
蟻やミツバチの生態を記述するには社会生物学は有用ですが、人間の個体は複雑な価値判断で行動しますから、生態の記述となると難しいですね。
非常に単純に考えれば、種の利益になるためにはむしろ種の利益と反するように見えても血縁コロニーの利益を優先させ、
そのことによって、種のうちで強い血縁コロニーを拡大し存続させるという遺伝子の企みがあると言えそうなところですが、
人間は、種が滅亡する規模の兵器を作って戦争しますので、いかなる遺伝子にも利益となる行動を取っているとは言えません。
生物学からは少し離れるかもしれませんが、人間における所有と侵略の欲求は、言語能力と密接にむすびついています。
そこが他の生物と異なる点でしょう。これは、大脳の発達とりわけ前頭葉の発達によって得られた能力であることがわかっています。
古代文明から発見されている石版のくさび形文字には、土地や財産の所有を主張しているものが多いです。
所有を主張し、他人と自分の領域をはっきりさせ、顕示することを、人間は書字によって「発明」したわけです。
このことは、交換価値を生み出したことにもつながっていきます。
発達した前頭葉を使って、言語をあやつって成果を再認することや、交換価値を生み出して交換すること、衝動を制御すること自体に、人間はゲーム的快楽を見出してきたと言えます。
それは、歴史なるものをつくったり、過去や未来の観念を持ったりする行為の本質に触れるものだと思います。
人間の闘争本能には、遺伝子上の要求に加えて、前頭葉によるこのようなゲーム的快楽が関与しており、
知恵が知恵を楽しめば楽しむほど、見ることの時空の広がりを持てば持つほど、
種の自滅も免れないような不思議な行動を、人間は、取ることができるようになったのでしょうね。

この回答への補足

解りやすいご回答、ありがとう存じます。
他の自分の質問スレッドでも発言したことですが、「モテたい」という欲求は、生物の共通の欲求だと思うのですが、人間が、所有すること、台頭すること、名声を得ること等は、突き詰めると「モテたい」欲求の為せる技ではないかとも、わたしには思えるのですが、これについては、どう思われますか?
「モテたい」ということは、つまり繁殖行動を促す欲求ですよね?
ただ、ご回答頂いたようなヒトの特性もある訳ですから、子をなすことを拒絶している宗教者の闘争は、「暴力による議事」であり、「議事」というゲームということが言える気がしました。
また、生物学とは離れてしまいますがご容赦下さい。このまま温暖化し、氷河期がやって来た時に人が存続するのはかなり困難だと思うのですが、人が矛盾した脳を与えられたこと、他の生物にまで影響を及ぼすような戦争を繰り返してきたこと、その数が増え続けたにも関わらず、結果的に消滅することが予測されることを踏まえると、ヒトは、より強い他の生物の遺伝子の仕分けの為に存在しているようにも見えるのですが、いかがでしょうか?

補足日時:2010/04/19 09:57
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まず第一に、国家間、民族間で行われる戦争は、集団対集団の様相を呈していますが、生物学の主流では、集団ごとの利益を考えて行動する生物はいません(群淘汰の否定)。

あくまでも、個体個体が己の利益になるように動くというのが主流的考え方です。集団とは、同じような方向性、目的をもった個体の集まりであり、共通利益のために一時的に連結しているにすぎません。故に、生物学的にいえば、戦争は、自己利益の実現のための個体たちの戦い、ただし、共通方向性を持った者同士が連結しての戦い、となります。

しかし、現実問題として、人間の戦争は、個体淘汰をベースとした単純な生物学では語りきれない部分があります。互恵的利他主義などを絡ませればまだなんとか生物学の範疇でいけそうですが、究極的には文化社会的背景を考えざるを得ないでしょう。

いってみれば、ライオンの雄が雌をめぐって戦うのも戦争です。
ハゼの縄張り争いも戦争ですし、サルのグループ間同士の戦いはまさに
人間の戦争に似ています。

人間の戦争の特徴は、個体同士ではなく共通利益を通じて連結した群同士の戦いであること、そして、時には本来の目的である自己の利益よりも、
群の(軍の)トップなどに忠誠を誓うなどという変な行為で行き過ぎた互恵的利他主義を発揮してしまうことでしょう。

この回答への補足

ご回答、ありがとう存じます。
共感致しました。
ここで確認ですが、生物の「戦争」の根底にある一番の目的は、種の保存にあると思うのですが、
解りやすく噛み砕くと、全ての生き物は「モテたい」という欲求を持っていますよね?
「権威」・「権力」・「肉体的能力」というものを持つ者は、より多く固体遺伝子を次の世代に残すことが出来るという約束が、自然界にはあると思うのですが、人間も大切な誰かや土地を守ったり、同じ思想の人間を増やそうとする(共感してくる人間を増やす)目的は、突き詰めると「モテたい」欲求の為せるものではないかと、わたしは、感じられるのです。しかし専門的には、これは的外れでしょうか?
ただ、子をなすことを拒絶している宗教者の闘争は、これでは説明がつかず、子をなすことを拒絶すること自体が、他の生物ではないと思われますので、この行動は、正にご回答にあった人間特有の個体の連結による戦争であると、わたしは、理解したのですが、誤解があれば、訂正をお願いします。

補足日時:2010/04/19 09:32
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素人ですが、、、、。



戦争はヒトが個体でできるものじゃなくて、集団を形成したのちに、きわめてコントール効かせて(敵前逃亡などしないように)進める社会的行為じゃないですか。

だから、生物学的ってのは位置づけられないんじゃないかな。
つまり、生物学領域の分析対象ではなく、社会学領域の分析対象だとおもう。

無理やりこじつければ、集団所属の維持、かな。
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勝手に自分の感じを申しますと、自己防衛反応かと思います。

これはどんな生物にもあるかと思います。

ある国が侵略してくれば、侵略された国の人たちは奴隷になる可能性(=経済的にきわめて不利になる可能性、現代では。)がたとえばあります。

この回答への補足

ご回答、ありがとう存じます。
わたしも、それもひとつあると感じています。
ただ、「戦争」というのに、わたし個人は、とっても複雑かつ、もっと動物的な目的も感じています。
ひとつは、「種の保存競争のための闘争」です。猿の群れには、ボス争いがあります。人間が猿の仲間なので、その要素も関わってくるのでしょうか。
また、人道に反する大量虐殺ですが、折々で、繰り返しているところを見ると、まさに一番動物的な部分で、数を自らコントロールしているようにも、見えなくはありません。
戦争を正当化するつもりはありませんが、今、戦争が全く無くなると、人口が急激に増え、食糧需要が高まります。そうなれば、必然と他の生態系に影響を与えます。
ですから、調和を保つために、「共食い」を集団でしているようにもとれます。プランクトンも、雌だけになったりして、自分たちから数をコントロールするというので、可能性として考えられます。

こういう観点から、戦争を見てみると、終わらない理由が新たに解るのではないかと思うのです。
終わらない理由を知ることは、終わらせる方法の第一歩につながるのだと思い、質問されて頂きました。
長文失礼致しました。

補足日時:2010/04/18 00:04
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