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続日本紀の現代語訳わかる方…
発亥、散位従三位石上臣家成薨、左大臣贈従位麻呂之孫、
正六位東人之子也、才芸無取、格勤公、薨時年八十三、

だれかわかりませんか??

A 回答 (6件)

続日本紀の現代語訳は本になってでています。


http://www.amazon.co.jp/%E7%B6%9A%E6%97%A5%E6%9C …
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みずのといの年、役職はなかったが従三位(じゅさんみ)


の官位をもつ、石上(いそのかみ)の臣(おみ)家成が、
おなくなりになった。
左大臣をつとめ、なくなられたのちに従一位を贈られた石上
の麻呂(まろ)の孫で、正(しょう)六位石上の東人の子で
ある。
才能、文芸にはこれという取りえが無かったが、公務には
いたって勤勉であった。なくなられた時のお年は八十三才
であった。

癸(みずのと)亥(い)は干支(えと)による年代表示法       
発でなく上が正字。

家成はいえなりだが、東人は読み方不明、あずまびとが普通
だが

贈従一位の一が原文には落ちている。 生前正二位で死後
あがった。

これを機に勉強して下さい。
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こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

癸亥・・・みずのといの年に・・・(発ではなく癸・・・みずのと・・・と言います)。西暦年を60で割って3が余る年が癸亥の年となる。60年に一回巡って来ます。
散位・・・さんに・・・散位は散官ともいい位のみを持っていて官職(役目)を持たないもののことをいう。
従三位・・・じゅさんみ
石上臣・・・いしがみしん・・・石上家に仕える
家成・・・いえなり・・・いえなりと言う人が
薨・・・こう・・・律令制で、皇族または三位以上の貴族の死去をいう語。
左大臣贈従位・・・さだいじんぞうじゅうい・・・左大臣の次の位を授けられた。(追贈された)。
麻呂之孫・・・まろのまご・・・私の孫であり
正六位東人之子也・・・しょう六位のあずまびとの子なり。
才芸無取・・・さいげいむしゅ・・・才能や芸事(和歌などを詠んだりすることに)長けている。(並ぶものがいない)。
格勤公・・・かくきんこう・・・格別勤めに対してはまじめでした。
薨時年八十三・・・こうじねん八十三歳

(まとめると)
癸亥の年に、従三位という位しか持っていない石上家に仕える家成という人が亡くなりました。
そこで左大臣に次ぐ位が追贈されました。私の孫であり、正六位の東人の子どもにあたります。
才能や芸事では他に並ぶ者がいないくらいで、格別勤めに対してはまじめでした。
亡くなったのは83歳でした。

とでもなるのでしょうか・・・。
83歳で麻呂(私)の孫というからには、麻呂(この文章を書いた人)は120歳位まで生きたのでしょうか???
疑問は残りますが、訳としては、上記のようになります。
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No.2の方のお答えが正確ですので、回答する必要はないのですが、


「散位従三位石上臣家成薨」の部分だけ補足させていただきます。

「官職はないが位階が従三位である石上の臣家成が亡くなられた。」

官位は官職と位階を合わせた言い方というだけの指摘です。蛇足だったとは思いますが。
年齢を考えれば退官したため散位となったのでしょう。
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転写文は「続日本紀」じゃなく「日本後紀」巻十二延暦廿三年六月癸亥《廿》からですよね?



御質問のうち「癸亥」の表記が紀年ではなく、干支による紀日であることを除けば、
No.2のPinhole-09さんが回答されている様子ですね^^

石上家成(いそのかみ の いえなり)<養老6(722)年~延暦23年6月20日(804年8月3日)>
左大臣「石上麻呂」の孫で正六位上「石上東人」の子。官位は従三位・宮内卿。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%B8%8A% …
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No.2です。


本問の干支の「みずのと い」は年でなく日ですね。
日本書紀でも日は干支表記でした。

804年は「みずのと い」でないので、おかしいとは
思っていましたが。
それに804年は「続日本紀」の編纂範囲外でした。

 dayone さんは博学ですね。
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