
※歴史に疎い者の素朴な興味の質問です。
海外の国王が
配下の者に良いように操られていた歴史にお詳しい方、
・どういうパターン(即位と政治)が有ったのか
・どういう結末で傀儡状態が終わったのか
・続いたならその長さについて
という点を、知ってる範囲で構いませんので
色々教えて頂けませんでしょうか?
贅沢を言えば、
・傀儡とまで言えるか微妙な王制 や
・傀儡とはほど遠い王制 や
・世界各地の王制の地域差
という他の例との比較を交えて教えて頂けますと幸いです。
やたら範囲の広い質問で申し訳ないですが、
どうかよろしくお願い致します。
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
中国史で言えば
初代皇帝
これはだいたい傀儡でない。というか、傀儡としていた前皇帝から禅譲を受けるというのが多いパターン
二代目以降では、幼少での即位の場合、母親方の親族か、宦官などの傀儡になる。
幼少でなくても、最初から無能を見込んで即位させられた場合など、基本的に傀儡になる。
王になる
王になるためには血のカリスマが必要です、基本的に。前王の血族でないとなれなので、王は多かれ少なかれ、支援者の力があって初めて王になれる。あるいは無能でも王になれる。
なので、初代王以外は、その王の資質によって、だれもが傀儡になる可能性が存在する。
>傀儡としていた前皇帝から禅譲を受けるというのが
なるほど、そういう事もあるのですね。
色々なパターンがある と。 参考になります。ご回答ありがとうございます。

No.9
- 回答日時:
乱心や病気で幽閉で思い出しましたが、15世紀~16世紀頃に生きたスペイン女王フアナもそうでした。
精神を病み、父王に幽閉されます。
あ、そうそうこの女王というか王女の両親はレコンキスタに成功したカトリック両王でした。
当時はカスティーリャとアラゴンの連合王国で、母イサベルがカスティーリャ女王、父フェルナンドがアラゴン王でした。
母イサベル女王が亡くなると父はカスティーリャ王の地位を失い(夫で共同統治だったため)、娘のフアナがカスティーリャ女王として即位しました。
フアナはもともと情緒不安定な所があったのですが夫フィリップが病死するといっそう不安定になり、政務が出来なくなったため、父王(アラゴン王)が摂政になります。フアナは城に幽閉された。
40年間幽閉されていたそうです。父の死去後はフアナの息子が代理で王様になりましたが、フアナ本人は退位をこばんていたとのこと。その城で生涯を終えました。
他には、
こちらは本を読んでおらず良く知らないのですが、16世紀イングランドにジェーン・グレイという9日間の女王と呼ばれる人がいます。父親や親族から担ぎ上げられて自分が知らない間にあれよあれよと女王にされたがすぐ失脚、処刑という、可哀想な感じです。
フランスの宰相リシュリューは何だか名前が有名ですが(三銃士に出てくるのかな)、ルイ13世の時代は王の実母や宰相が権力を握っていたようです。
お返事大変遅れましたが、ご回答ありがとうございました。
この様なエピソードも有るのですね。
とても参考になります。 ありがとうございます。

No.8
- 回答日時:
統治システムが完成すると国王は単なるお飾りになり、自己主張すると「乱心した」として臣下に押し込め(幽閉されて毒殺)られるのが通例です。
海外はよく知りませんが、たとえば徳川幕府では、8代吉宗は就任に関して条件を付け、統治権を取り戻しましたが、息子の代になると老中が政治を行い、将軍はそれを追認すると言うだけの存在になります。
これは徳川氏に限らず、鎌倉将軍も3代実朝が暗殺されて源氏が絶えると公家が将軍になりますが、北条氏と対立すると強制的に隠居させられ、京都に送還されてしまいます。
中国でも清の西太后の支配が有名で、光緒帝は実験を奪われ毒殺されたといううわさもあります。
そう言えば秦の始皇帝も当初は呂不韋の傀儡としてBC246年に即位し、BC238年にやっと親政を取り戻していますから、幼君も危ないです。
>「乱心した」として臣下に押し込め(幽閉されて毒殺)
>られるのが通例です。
権力の中での個人なんてちっぽけなものなのですね。
恐ろしいものです。
ご回答ありがとうございました。
学校の授業で見えない世界の断片が見えてくる気がします。
No.6
- 回答日時:
「配下の者に良いように操られていた歴史」という言葉を見て、まっさきに思いついたのはフランス国王シャルル6世です。
彼は即位後しばらくして精神の病を患ってしまい、正常な時とそうでない時があったたため、弟や親戚を含む側近や妻にいいようにされた面があります。これが英仏百年戦争の真っ只中だったので、国内は混乱しました。挙句にイギリス王室に娘を嫁がせ、その夫たる英国王ヘンリー5世と、二人の間にできた王子を英仏両国の王位継承者にするという条約にまで調印してしまいます。
ところがヘンリー5世が、シャルル6世より先に亡くなってしまいます。
その後シャルル6世亡き後、息子のシャルル7世と、その元に馳せ参じたジャンヌ・ダルクの活躍により最終的にはフランスが勝利して、百年戦争に幕を閉じます。
詳しくはこちらをどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%B9%B4% …
それから同じフランスでも時代を遡って、フランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世の時代も臣下や母后が政治の実権を握っていました。
その後のブルボン王朝でも、確かルイ15世の、特に若い時代は伯父さんか誰かが実権を握っていた時期があったかと思います。
No.4
- 回答日時:
>海外の国王が
配下の者に良いように操られていた歴史
マリーアントワネットの夫であるルイ16世
(傀儡とまで言えるか微妙な王制。政治より、趣味の鍵づくりの方に没頭していた。王妃のアントワネットは、国民の貧困さが理解できず、家臣が、「国民はパンも無く飢えています。」と言うと、「パンが無ければ、お菓子を食べれば良いではなの」と言い返した。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A41 …
ロシアのピョトール3世(妻はエカチェリーナ2世)(ピョトール3世の趣味は、女と鉛の兵隊で遊ぶことで、政治がつかさどれるほどの能力がなく、妻のエカチェリーナ2世が国の政治を担った。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A7% …
ドイツバイエルン国王ルードビッヒ2世(神聖ローマ時代で、戦争をしなかった唯一の王。国税をワーグナーの音楽と城を建てることに費やし、政治にはほとんどかかわらなかった。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC% …
初の海外のご回答ありがとうございます。
斜め読みですが3つのWikiに目を通してみました。
どれも何やら背後に生々しい人間感情が有るようですね。
何が真実なのか、史実がいまいち錯綜しているようですが…。
勉強になりました。 ご回答感謝致します。
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