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質問なんですが、
・日本軍の参謀本部、軍令部はどこまでの軍事単位にまで、指令を出せるのですか??
・作戦〔真珠湾攻撃やマレー半島攻略など〕はどこから発令されて、だれが作戦や侵攻計画を考えているのですか?
・日本に、陸軍総司令部や海軍総司令部はありましたか?
・方面軍や、軍、師団などに参謀部は設置されていますか??
・大本営陸軍部、と言うのは、いわゆる陸軍総司令部の事ですか??〔海軍も〕
・統合参謀本部と、大本営は言葉は違えど、同じ意味ですよね??
よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

軍令部、参謀本部は作戦計画は立てますが、通常、部隊を直接命令指揮する事はありません。


海軍の軍令部の場合、作戦計画の命令を出す場合、連合艦隊司令長官、鎮守府司令長官、警備府司令長官などの司令長官クラスに対し、命令を出します。
例えばミッドウェー海戦の時、軍令部から出された「大海指九十四号」では、指揮官と使用兵力について次のような指示になっています。
指揮官・・連合艦隊司令長官
兵力・・・・連合艦隊の大部
もう一つ例をあげると・・「大海令三十一号」では、連合艦隊司令長官と第二航空艦隊司令長官に対し・・
「飛行第7戦隊及び飛行第98戦隊を第二航空艦隊司令長官の指揮下に入れる」という指示を出しています。
つまり軍令部では作戦計画を立て戦隊、艦隊などの使用兵力を決め大筋での使用方法の指示を出しますが、それは司令長官宛です。命令を出す部隊単位としては軍令部の命令では大隊や戦隊、艦隊などです。
また作戦が始まれば、戦場では現場の指揮官が部隊を指揮するので、通常、軍令部や参謀本部が部隊に命令を出す事はありません。

基本的には作戦は軍令部、参謀本部が立てますが、部隊から計画の提案も受けます。
例えば真珠湾奇襲作戦は連合艦隊司令部から軍令部に提案されたものです。
日米開戦必至となり、軍令部の参謀はマレーなどへの南方侵攻作戦の計画を練り上げていました。そこに連合艦隊司令部から真珠湾奇襲作戦の提案を受け、議論の末、採用となりました。
真珠湾奇襲作戦の場合、山本五十六連合艦隊司令長官がその作戦構想を思い付き、参謀に研究させ軍令部への提案となり、軍令部の参謀たちが提案された作戦を検討し、反対意見もあったものの最終的には軍令部総長の許可がおり実行となりました。
ちなみに軍令部の組織では第一部第一課という部署が作戦を担当しており、ここに配属された参謀たちが作戦を練り上げます。また連合艦隊司令部内にも参謀がいるので、こちらでも独自の作戦案を練り上げ軍令部に提案します。
時には作戦について軍令部と連合艦隊司令部で衝突が起こったりもしています。
陸軍でも例えばインパール作戦などは第15軍司令官が作戦構想を描き上部の、ビルマ方面軍、南方総軍、そして最終的に参謀本部の承認を受けて決行されました。
司令官、司令長官が作戦構想を立て、参謀がその細部を研究するという事がよく見られますし、作戦自体を参謀が立案する場合も見受けられます。
海軍は軍令部、陸軍は参謀本部の承認と許可がなければ、作戦は決行されません。
作戦の発令に関しては軍令部、参謀本部からで軍令部の場合、天皇の代わりに軍令部総長が「大海令」(大本営海軍部命令)を出し、さらに「大海令」に基づいて、もう少し細かな指示を示した「大海指」という命令を下します。参謀本部の場合は「大陸命」です。
これは全軍の最高指揮官は天皇だからです。

方面軍や軍、師団に参謀部はありました。

大本営陸軍部はいわゆる陸軍総司令部の事です。海軍も同じです。

統合参謀本部と大本営は、まあ同じと言えます。
ただし、細かい部分について言えば完全に一致しているという訳ではありません。そもそも統合参謀本部にしても、例えばアメリカの場合でも、よく組織が改変されています。第二次大戦中の組織と現在の組織でも、全く同じとは言えません。どこの国のいつの時代の統合参謀本部と大本営を比べるのか・・そういう問題もありますが、細かい事を言わず大きく見れば、大本営は統合参謀本部に相当すると言えます。
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございました。
昔と今では全然組織も役割も違うから、昔のものを今のものに置き換えるのは、難しいですね。ほんとにご丁寧な回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/01/12 22:23

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