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死刑に賛成と、死刑制度反対の人達に意見を求めます。

以下は私の考えを書きます。



※死刑は刑事上での自己破産。


※死刑は日本の誇る文化の極み。



※死刑があって困るひとはいるが、死刑がなくて困るひとはその数百倍。


これらの理由により、私は死刑に賛成です。


※1、刑事上での自己破産とは、人の命を一つ殺めれば、自分の命一つで、救われるが、二つの命を殺めれば、自分の命一つで、どうあっても責任をとることが出来ない。
刑事上での破産者に死刑をかすことにより、償えるはずのない、命の免責をうける機会を与えられる。最後の手段。 「死刑囚は死刑執行まで、助かりたいと嘆き、恩赦を求める手紙を大臣に出す。しかし恩赦が認められることはほぼ無い」



※2、死刑は江戸時代から続く、人として死ぬことができる唯一の道。切腹は残された家族を守り、人として死ぬことができる唯一の道。当然犯罪者として死んだ者の家族らも負の遺産を相続させられてしまう。すなわち方法は違えど、死刑は 残された者達のためのせめてもの社会的な救済処置。



※3、異常者、その異常な性質故に自分自身、もしくは社会が被害を被ることになる。

死刑がなければ、当然のことながら、罪と罸の予測の均衡が崩れ、これまで犯罪に手を染めなかった者も犯罪に走るようになってしまう。
犯罪とフラストレーションは密接な関わりがあり、 殺人を犯せば死刑になるという鉄の掟をなきものにしてしまえば、犯罪に至るハードルも低くなってしまう。 犯罪によって、人生を犯される者が著しく増加するのである。



皆さんはどう思いますか。死刑に賛成、もしくは反対、の意見を明確にして、理由を教えてください。

A 回答 (5件)

 死刑存廃論の議論を見ていると、すべからく「有罪判決を受けた者は、すべて真犯人である」との前提でものを考えているように見受けられます。


 しかし、この問題は、「(真犯人の)犯罪者は刑罰で命を奪うべきか」(実体法の問題)の前に、「有罪判決を受けた者は、本当に真犯人なのか」(訴訟法の問題)を考えねばなりません。なぜなら、冤罪の場合、実体法の議論は、その前提を失うからです。
 私は、訴訟法上の理由から、死刑には反対です。
 なぜなら、冤罪の場合、死刑は執行されたら取り返しが付かないからです。そして、現在の司法制度は、冤罪を生みだす危険を内包している、と言わざるを得ません。(具体的な現行訴訟制度の問題点を詳述することは、字数が少なすぎて、できません。ぜひ、ご自分で勉強なさって下さい)
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この回答へのお礼

たしかにやってないことを証明するのは難しいですからね。

冤罪者を死刑にするのはあっちゃいけませんね。でも実際には、冤罪で処刑された人もいるんですよね。


でも冤罪は過去の話だと思いました。今の裁判では冤罪なんかそうそう起こらないとおもいます。

お礼日時:2011/02/02 17:57

 死刑に興味があるようなら、ぜひ書物を数冊読んでみることをお勧めします。

私事ですが、私は大学の法学部に所属しているので、嫌になるほど死刑存廃論はやりました。
 しかし、あなたの意見を見る限りでは、あまり理性的ではありません。まず大前提として、死刑は復讐制度ではありません。伝統であるから許されるのであれば、それはあまりにも発展というものを否定する考え方です。死刑の犯罪抑止力についても、日本において、死刑が廃止されていない以上、あくまで予測の範囲です。世論がYESというからYESというのであれば、ヒットラーの大量虐殺は正しき政策だと肯定されます。
 私は死刑によって得られる利益はないと思います。復讐制度に賛同することはできません。遺族は理性的には行動できないと思います。それも事実です。しかし、人はより理性的な行動を規範とするべきだと思います。
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この回答へのお礼

理性的な行動とは、やはり日本のルールに従順になれということでしょうか。
死刑は無利益な行為だというのは私もそう思いました。
死刑か無期懲役か。生きるか死ぬかですもんね。ありがとうございます。

お礼日時:2011/02/01 01:14

私も死刑賛成派ですが、その理論には反対ですね。




>刑事上での自己破産とは、人の命を一つ殺めれば、自分の命一つで、救われるが、二つの命を殺めれば、自分の命一つで、どうあっても責任をとることが出来ない。

数の問題ではないです。

命一つでも死刑にはなり得るし、もっといえば誰も死んでいない内乱罪だって死刑の対象です。
逆に命を二つ奪っても、緊急避難や情状酌量でたいした罪にならないこともある。


「命を命で償う」というのは感情論であり刑罰にふさわしくない。

法律に必要なのは「社会治安を守ること」だけ。

更正の余地が無い人間を社会に戻せば国民に危険が及ぶわけで、
かといって終身刑にすると更正の余地がない人間を税金で養うことになり
社会的な合理性が損なわれる。

だから死刑は必要。


>※2、死刑は江戸時代から続く、人として死ぬことができる唯一の道。

犬を殴っただけで死刑になってた江戸時代と比較されてもw


>死刑がなければ、当然のことながら、罪と罸の予測の均衡が崩れ、これまで犯罪に手を染めなかった者も犯罪に走るようになってしまう。

自殺者年間3万人以上の国でそんなこと言っても説得力無いですよ。

死を恐れている人はそう多くなく、
「死刑になるために犯罪をする」ということも十分考えられます。

むしろ長期の懲役刑で「死ねない」ほうが恐ろしいと考えている人が多数でしょう。


しかし前述した通り、国民の税金で死ぬまで刑務所で養えば経済性が損なわれます。

だから死刑は必要。
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この回答へのお礼

自殺者は自分のことを死刑にしちゃった人達ですね。何だか可哀想で涙がでますね。ありがとうございます

お礼日時:2011/02/01 01:08

反対。



死ぬ一瞬だけ苦しんだら
終わりなんて。
いつ執行されるかの恐怖や
その一瞬の苦しみよりも、
死にきれないようなギリギリな
生き地獄の方がいいと思う。

まぁ今の日本だと
人権がどうたらって言って
反対されるだろうけど。

人権人権言うなら、
なんで囚人は名前でなく番号で
呼ばれるんでしょうね。

回答じゃなくてすいません。
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この回答へのお礼

確かに。殺人を犯した者に同等の罸を与えるならば、死刑よりも殺人刑が妥当かもしれません。

お礼日時:2011/02/01 01:05

死刑は反対です。


・人が人を殺す事は、如何なる理由をつけようとも許されない。
・死刑の有無による犯罪抑止効果は認められない。(以前弁護士より聞いた)
・死刑の賛否論議も良いが、それ以上に、再犯防止や更正などに重きを置くべき。また、なぜ、そういった犯罪に至ったかを解決できない限り、再犯や同様の犯罪は減少せず(力や恐怖には限界がある)発生し、被害者も非被害者も不幸となる。より、人類の幸福追求に役く立つ事を考えるべき。
また、同時に、被害者及びその家族のケアについても同様に行うべき。

>罪と罸の予測の均衡が崩れ、これまで犯罪に手を染めなかった者も犯罪に走るようになってしまう。
犯罪とフラストレーションは密接な関わりがあり、 殺人を犯せば死刑になるという鉄の掟をなきものにしてしまえば、犯罪に至るハードルも低くなってしまう。 犯罪によって、人生を犯される者が著しく増加するのである。
この論理は、どういった資料から引用されていますか?

>※死刑は日本の誇る文化の極み。
どこの国にも様々な文化はありますが、代えるべき必要のある文化もあると思います。
>当然犯罪者として死んだ者の家族らも負の遺産を相続させられてしまう。
また、死刑の有無に関わらず、負の遺産を相続する事に違いはありません。死刑となろうがなるまいが、近くにその家族が居れば避けるのは日本の文化だと思います。
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この回答へのお礼

なるほどですね。確かに人が人を裁くことは出来ないですね。全知全能の神様くらいしかできないです。 ありがとうございます。

お礼日時:2011/02/01 01:03

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