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服装の乱れってなんでしょうか。ファッショナブルでいいじゃないですか。
髪の毛を染めてはいけない理由はなんでしょうか。髪の毛が茶色だと何がいけないんです?


教師「誰だって、服装や髪の毛の色が一番大切なことじゃないのは分かってる。でも、人間を一瞬見ただけでは、その人が『良い人間』なのか『悪い人間』なのか分からない。だから、最初にみんな、その人の服装や外見を見て評価しようとする。自分の根を評価してもらうためにはまず、外見をよくしないといけない。」

→では、身だしなみを整えて、自分の根まで評価された後なら、俗にいう「だらしない格好」をしてもいいのでしょうか?


※私の服装はしっかりしてます(笑。ヤンキーでも反抗期の少年って訳でもありません。ただ、毎朝、校門で服装のチェックをしている先生の気持ちをしりたくなったわけです。

正直、國母和宏選手が服装が乱れていると世間で責めたてられても、実力があればそれでいいと思います。外見や格好ではなくて、その人が一生かけて積み上げていくものの方が遥かに重いと思うからです。

ちなみに僕は国会議員が金髪でも真面目に国を動かしてくれるならそれでもかまわないと思います。受験や就職で髪の毛や異常なまでも細かい身だしなみで減点されるのも納得いきません。

「金髪はヤンキーが多い、(性格的に)不良や非行に走る人間は髪を染めていることが多い→金髪の人間は不合格」
との考え方は
「○○人はなまけている人が多い→不合格にしろ」
とどこが違うのですか。どちらも表面しか評価してない。ある種の差別的見解とも思います。

もちろん、変えられるものと変えられないものとで違いはあるでしょうが、

皆さんはどう思いますか?
高校生の甘い考え方でしょうか。間違っているなら一喝願います。
穴だらけの屁理屈だってこともちゃんと承知しております。
乱文失礼しました。

A 回答 (17件中1~10件)

先生の言っていることは一理あります。

ただ意味は深いですね。

マナーを守ることは集団社会における文化的背景というものが関わっています。
日本でダメな格好が海外でダメとは限らないし、その逆も然りですね。
何でダメなの?に対して「そういう文化だから」としか言えないものもあります。
例えばご飯にお箸を立ててはいけないとか。

例に挙げたお箸を立ててはいけないのは仏教的な慣習に基づく規範ですが、「俺はキリスト教徒だから関係ねぇし、別に仏教を否定してるわけじゃねぇし」という自分なりのポリシーでご飯に箸を突き立てつつ食事をしていたら、食事を共にする相手が仏教徒なら違和感があったり不快に感じたりしますよね?
これはマナーを守らない人に対する不快もありますが、もっと重要なのは「周囲に漂う雰囲気を不快にしてしまう」ことなのです。

人間は一人では生きていません。
集団で生活し、社会を築くことで生活基盤を構築しています。
マナーというのは個々の人間に対する戒めではありますが、マナーを守ることは個々人を対象とした評価尺度の一つというものではなく、集団全体を維持してゆくための統一ルールのようなものです。ちょっと言い方を変えれば全体に合わせるために一人一人が譲歩する思いやりに近いものですね。

はみ出すということは個性である半面、社会的規律(やわらかく言えばその国の慣習や風土)を乱すことになります。時としてそれは集団生活全体に対して影響を及ぼすこともあります。勘違いしてはいけないのが「乱している本人がどう見られるか」などは全体に与える影響からみれば瑣末なことなのです。

今、世界で震災に見舞われた日本人の規律の正しさがとても高い評価を受けていますよね。「暴動が起きない」と。
これが集団生活における規律を守るということの大きな効果です。

学校生活における髪型、服装などは「守らなくたって日本が崩壊するわけじゃないじゃん」と思うかもしれません。確かにそうですし、ルールがあろうがなかろうが学業に影響がないものですよね。
でも、なぜ守らなければいけないかといえば、そのどうでも良い校律を守ることが「規範に則った社会人になるためのトレーニング」だからです。
あなたはまだ学生ですから社会に対する重大な責任を抱えてはいません。ですが、いずれはどこで生きてゆくことになろうと一人の成人として、権利と当時に責任も抱えて生きてゆくことになります。
その中には「なんで俺までこんなこと…」とか「こういうのは苦手だなぁ」なんてものもあるでしょう。でもあなた一人だけの組織ではないしあなただけのための社会ではないので、我慢しなければならない時も多々あります。
これが我慢できないような大人では信頼されないし仕事も任せられない。となればご本人も世の中でうまくやっていけない。そんな人が沢山増えたらどんな社会になるか…想像できますよね?

そうならないために学校という集団生活の場で「皆で合わせましょう」というルールを作ってマナーを身につけるのです。ルール内容そのものは大して意味がないように感じられるかもしれませんが、『相手に合わせる』『全体で統一する』『個ではなく全体を一つとして捉えて動く』ことを体で覚えることができます。経験を積ませるための実践教育ですね。
髪型・服装…些細なことばかりやらされているように見えますが、だからこそ簡単にできる課題ではないですか。高校生ならだれでもできる課題をクリアできないのなら減点対象になっても仕方がないですよね(しかも意識的に放棄するならそれは試験放棄と同じです)

同様に考え方次第の部分もありますが「オリンピックに出られる程度の努力をしてきたなら、身だしなみ合わせるくらいできて当たり前でしょ。それすらできないんならその程度の努力だったんでしょ」という見方もされてまた然りなのです(これは選手の扱いに対する視点の一つですし、バッシングに対してはまた別の価値観も働いています)

今のあなたはまだ「何でこんなことやってんだろう?」とか「いちいちウザいなぁ」で良いと思いますよ。大事なのはそれでも我慢して規律に合わせることですから。
大人になったら、制約の中でやりくりする器用さも身につけます。


小学生の頃「なんで学校を休んではいけないの?家で勉強すれば同じなのに?」と質問した子がいました。
先生は「大人になったら我慢してでも会社に行かなくてはならないし、社会や家族を支えるためには気分で休んだりできない。だから今のうちに我慢してでもやることを覚えるんだよ。勉強内容ではなく、学校に通い続けることが大切なんだ。」と言っていたのを今でも覚えています。

恩師と生徒のやりとりが私の教育に対する考え方を大きく変えてくれた気がします。
私の回答のルーツです。
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この回答へのお礼

日本は昔から団体として足並みをそろえて行動することに長けてきた文明です。
江戸時代の五人組の制度をとってみてもそうですよね。

だからこそ、みんなで「正しい」ことを統一化して規格化して、それを守ることで皆で場を乱さずにやりくりするのでしょう。それは日本人の良さであり、日本人らしさです。

外見、服装にとらわれないアメリカの良さとは正反対の良さです。

一方、私たちがグローバル化した世界を生きねばならないならば、日本人としての良さを保存したまま、外見にはこだわらないアメリカ的な良さも日本は取り入れていってもいいのではないかと思いました。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/08 22:12

No.4です。

お礼ありがとうございます。

>服装がしっかりして、成績がしっかりしていれば「君は○○高校の鏡だ」とか言
っている人間の気が理解できないんです。結局、「髪の毛が黒い=正義」みたい
な考え方に支配されているだけなのかなと思ったりもします。

服装なんかは同窓会(いわゆるOB、OG)の人の目なんかもあって、変な格好の母校生を見ると、中には苦情の電話する人もいると聞きます。ひとつはその対策のためもあるでしょうね。でも結局常識とか、マナーだとかって多数決なんですよね。多くの人がそれを正義・良いものと考えているものが世の中の正義と考えられちゃうもんなんです、いいか悪いかは別としても。
一方で学校の先生は生徒を親から「預かって」いるわけです。もちろん親の中にも考えの違う人はいるでしょうし、生徒でも違和感を持つ人はいるでしょう。でも預かっている以上、世間の「常識」にあったもの、評価を下げてしまわない格好というのをさせるのもひとつの役割でもあるわけです。そんなの自分で判断できる、高校では自由にしたいと言っても、皆が皆判断できるともわからない。中には親さえ判断できないところさえあったりします。
でもこうやって「管理される」「自由が制限される」って高校の頃は私自身よく思えない面もありました。でも大学であまりにも自由で、管理されていない、自由にやりなさい、みたいになると、今度はやるもやらないも自己責任なんです。勉強するもしないも勝手だが、しなかったことで進級できなくても知りませんみたいな。自由と引き換えにそういうことがすべて自己責任とも言えます。これって楽なようで実は結構大変なことなんですよ。よくも悪くももっと管理してくれて、責任も先生や大学・学校が負ってくれてるほうが楽と言えば楽と私は今は思ってます。

例えてみれば会社で服装・格好も自由だし、仕事のやり方・働く時間・開始時間も自由、でもそれによって被ったいかなる不利益もすべてあなたの自己責任だと言われてるとしたらどうでしょう?服装も会社がある程度定めてくれて、やり方も会社の方針とかそういう目安があってある程度縛られてもすべて自己責任になるよりはずいぶん楽に思えると思うんです。
まあ髪の色がそれとどう関係するのかというと困りますが、結局、それ自体が不利益を被ることがないとは言えない世の中だからある程度そういう縛りをもうけて、「守る」というか、逆に、その学校指定の格好で仮に受験などで何らかの不利益を被ったとしたら、それはあなたの責任ではなく、学校の責任だろうと、まあそんな感じですかね。そういうのが嫌なら多数派を変えるしかないんです。多数派が変われば困らないように学校の先生は多数派に合わせて指導なり管理なりするようになると思います。
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>「染髪=悪ではないが、そう見られても仕方がないんだぞ。

」ということですね。

私の分かり難い回答から見事に要点だけ「」抜き出しています。

そのとおり。と言うかもう、ご質問者さんのほうが私よりきちんとした論を持てているように感じました。

お礼、ありがとうございました。
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髪染め禁止は私立の中学くらいですよ!



俺の中学や周りの中学、先生も茶髪いますよ
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この回答へのお礼

違います。
高速の厳しい私立高校では全面的に禁止する高校も多いのです。
私の高校の場合は、地毛が黒でない場合、届け出用紙を提出することを強いられるほどです。

それに今、問題としているのは、「禁止されているか否か」ではなく、社会的に茶髪が認められない理由を質問しているのです。題意を取り違えないでください。

お礼日時:2011/05/08 18:32

>髪の毛が茶色だと何がいけないんです?



日本人に茶髪は似合わないから。

佐々木希ぐらいだったら、淡い茶色も似合うけど、
金髪はまず辞めたほうがいい。

金髪が似合う日本人なんて、まずいないから。
真っ黒が実は一番似合ったりするんです。

“自己主張”もいいけれど、
「果たして本当に自分に似合うかどうか?」もよく考えてね♪
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この回答へのお礼

似合わないから、「やめたほうが良い」はまだしも、
似合わないということは禁止する理由にはなりません。

お礼日時:2011/04/25 23:59

うちの息子2人(大学生)は1ヶ月ほど前に会った時には緑と銀の頭になっていました。



私自身、大学生の時に水色に染めてた(高校時代は茶髪止まり(笑))こともありますが当時から私が思っていて息子達にも伝えたのは「(大多数の)人と違う自分のファッションにこだわれば、それは当然人に理解されない。髪を染めれば必ず損をする。損をする覚悟を持ってでなければこだわるな。」でした。

なんだかんだと理屈言っても世間に認められないと中学生でも知っているでしょう。

知っていてやっておいて「外見で判断するな!」は、日本と国交が無い軍事政権下の国に密かに行って写真を撮り回った結果、スパイ容疑で身柄拘束されてから「人権侵害だ!」と叫ぶくらいの無茶だと思います。

>受験や就職で髪の毛や異常なまでも細かい身だしなみで減点されるのも納得いきません。

高校以上の受験の場合、『当校に相応しいかどうか』を判断することは当たり前にすべきことです。

ご質問者さんも石斧を担ぎ(石と棒なので銃刀法では取り締まり難いですね。)動物の毛皮を身にまとった口の周りや手が血まみれ(にしか見えない)人が後の席では落ち着いて受験できないのではないですか?

私なら「教室に入る前にせめて石斧は取り上げろよ!」と思うでしょうね。

そもそも、その時点での学力という表面的なもので判断するのが受験ですから・・・。


偏見や差別を持ち出す論が私は苦手なんです。

「さあ、偏見に満ちた目で見られ差別されるゾ!」くらいの覚悟を持ってから髪染めるべきではないでしょうか。

うちの息子達は「お父さんの言うとおり、やっぱり〇〇のバイト無理だった」と笑って報告してくれました。
これが「外見だけで判断しやがって!」なんてグチグチ言ってたら鬱陶しいので殴ってやるところです。(笑)

髪染める側からの回答でした。
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。

>>ご質問者さんも石斧を担ぎ(石と棒なので銃刀法では取り締まり難いですね。)動物の毛皮を身にまとった口の周りや手が血まみれ(にしか見えない)人が後の席では落ち着いて受験できない

この一節にものすごい説得力を感じます。
わざわざ好き好んで奇抜なことをするわけですから、その代償もしっかりと認識しないといけないということですね。

「染髪=悪ではないが、そう見られても仕方がないんだぞ。」ということですね。

お礼日時:2011/05/08 18:37

こんにちわ。



 私の息子が癖っ毛で自毛が茶色なんです、来年高校受験・・・
担任の先生からもしかしたら黒く染めさせる事になるかも知れない・・
ストレートあてさせるかも知れないってついこの間の家庭訪問で言われました。

 染めては駄目って校則に書かれていても 茶色から黒に染めるのは良い。
パーマは駄目って校則に書かれていても 癖っ毛をまっすぐにするのは良い・・

結局 面接官 初対面の人への印象を考えてなんだろうな・・・って思いましたよ・・

 駄目って言われている校則を見た目を真面目?に見せる為に校則を破らせる・・
なんだかな~~です(笑)
 それでも 高校受験に不利にならないのならば、親として校則違反でもさせるでしょうね・・

 貴方の意見一喝する気ないですよ・・・
高校受験の為に校則を破っても良いって言う屁理屈もある位なんですから・・・
 外見を真面目にするために 先生自ら校則破りなさいって言う位なんですからね・・・
結局外見なんだと私は思います。
 初対面だと外見を見ますからね、内面を重視するには長い付き合いが必要ですしね。
息子は入学した時に生活指導の先生にも目を付けられ怒られ 私が癖っ毛と地毛ですって書いて持たせ、それでも信じてくれないので小さいころの写真も持たせた位ですから(笑)
 
だからこそ逆に初対面の方に対しては真面目に見える外見って大事なのかも知れないですよ。
 その人の中身を知らないからね。
 
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髪を黄色や赤に染めると聞けば、イソップ寓話を思い出します。



あるカラスが、孔雀(くじゃく)のように美しくなりたいと思い、孔雀が落とした羽根を身にくっつけた。(しかし、カーと鳴いたために正体がばれた)

なんと浅はかなカラスだと思いませんか?

日本人が髪を黄色や赤に染めるのも同様です。似合いません。かっこいいと思っている人は色彩のセンスが悪い可能性があります。

ただ、そのセンスの悪さを自己表現の手段とすることはできますが、高校生でしたらやめておいたほうが無難です。
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

センスが悪い、似合わない、・・・
どうしてそれが社会的に認められない理由になるのですか。

それにまだ金髪が似合わないというのならば納得いかなくもありませんが、茶髪は「似合わない」とは言い切れないのではないでしょうか。仮にmotamihoさんが「似合わない」と思っても、「似合う」と考える人だっていると思います。「似合う」「似合わない」は主観であって、年代・世代・地域などによって意見が分かれたりもしますし、そんな主観的要素で判断するのは浅はかであるような気がします。

高校現代社会の参考書の中でも、「1980年代に現れた茶髪(チャパツ)は、当初は不良、非行というイメージをもたれたが、現在では、ヘアカラーとして日本人のファッションの一部として定着している」との記述をみたことがあります。(シグマベスト 理解しやすい現代社会/文英堂)

時代とともに移り変わる「似合う」かどうかの基準での判断はいかがなものでしょうか

お礼日時:2011/05/08 20:49

社会的に「染めてはいけない」とルールはありませんし、白髪を黒く染めている高齢の会社員を指して「あれはいけない」などと言う人はいませんよね。

(会社の業績が悪化した時、みんなの気分を一新するんだと言って金髪に染めて出社してきた部長がいる会社の話も聞いたことがあります。)

世の中、外観で人を判断する (少なくとも第一印象として) 場合が非常に多いのは確かですが、困ったことにその印象を固定してしまって、第一印象以降の印象で第一印象を変更し辛い人が多いのも確かなようです。

私は海外生活 (多民族国家のアメリカ) が長かったことから外観や話し方で人を判断しない癖が付いているのですが、日本では圧倒的多数の人が外観で人を判断しようとするので私の考え方は「変わり者」と受け取られがちです。(実際、面接で根掘り葉掘り聞くことなく、数人の面接者の中からやる気と多少の経験がある長髪の若者を即決で部下に雇うと表明し「後はおいおい仕込むから帰っていいよ。では私は仕事に戻ります。」と言ったら、同席していた他の面接官達から「それはないだろ!」とか「勘弁してよ!」などブーイングの嵐を受けたことがあります。・・・それでも部下にしましたが(笑)・・・別に長髪でもラフな格好でも問題のない仕事を与えたのですが、その後、営業を行わせるようになった時には調髪させて背広を着せたのですが、本人は長めの調髪で折り合いをつけたようで、なかなかカッコイイ背広姿になっていました。)

ただし、日本人のファッションとしての金髪化には私は抵抗があります。
海外で金髪碧眼白肌の人達を見慣れていることから金髪なのに黒い目で黄色人種の肌色と肢体ではカッコイイともカワイイとも思えず、奇異に映ります。

ちなみに、金髪 (ブロンド) とまでいかない栗色の髪の毛は (ブロンド) ほど珍重されないありきたりの色でしたから、わざわざ髪の毛を傷めてまで栗色に染めている人を見ても「髪質を軽く見せるのは遠目だけであって、通勤通学ラッシュの電車内では髪質がばれているし、目と肌の色が合わないんだけどなあ」と思ってしまいます。

ファッションと言い切るのであればアニメのように緑や青の髪の毛 (或いは銀毛) でも良い筈なのに、金色や栗色に拘るのは「他人 (或いは白人) を真似するだけで自分自身のファッションを確立していない」ようにも見えます。

流行にとらわれずに自分自身のスタイルを確立しているのであれば、どんな格好でもファッションと認められるものですが、ファッション雑誌に振り回されたり人真似をしているとしか思えぬ格好は「自分自身を確立していなくて他に振り回され易いだろうから責任感に問題あるかも」という第一印象を持つかもしれません。(他と迎合しているだけで自分だけの拘りみたいなものが見えない場合も同じです)

ちなみに道路工事や大工などの仕事をする人は若者のみならず 50 代の人に至るまで金髪や栗髪の人を多く見かけます。

工事現場では土埃や木屑で髪の毛が栗色になってしまうことも多いことから初めから金髪や栗髪に染めておくことで汚れが目立たないようにしているわけで、似合うに合わないとは別次元の話であり、或る意味プロに徹するその姿はカッコイイとも思います。(若い大工さんで金髪にしている人を見ても「仕事のない時はミュージシャンだったりするのかな」などとは思わず「仕事の都合で金髪にしているのだな」と納得してしまいます)

だから高校生ぐらいの人が金髪に染めているのを見ても「ミュージシャンに憧れているのかな」とは思わず「大工さんや道路工事夫になりたいと表明しているのかな」などと思ってしまいます。

自分のライフ・スタイルを確実に説明できる (例えば仕事で必用などという理由ならば簡単ですね。最初に紹介した部長さんも理由がはっきりしています。) であればどんな格好でも全く構わないと思いますが、それができないのであれば当たり障りのない格好をする以外に他との軋轢を防ぐ手段はなく、校則で決められているのであれば校則を変えない限り校則に従うのが社会のルールですね。
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そもそも、ヤンキーって社会的に良いイメージでないことは確かです


実際に、人に迷惑かけたりしてるんだすから
あとヤンキーってヤクザの予備軍みたいなものですからね
実際にヤクザのメンバーなんて、殆どがヤンキーあがりでしょ
そこでヤンキーファッションの定番が髪を染めるという行為ですよね
つまり、髪を染めると社会的に良いイメージを持たれる事が無いという発想から来てると思われます。
当然ながら、その様な生徒を沢山受け入れてたら、学校が社会的に叩きに合い
学校のイメージダウンにもつながります。
其れを回避する為に、頭髪・服装のチェックがあるんですよね
つまり、生徒自身の為ではなくて学校の名誉の為に行なってるというのが本音です。
ただし先生の言ってる事も一理ありますね
人間は如何しても外見から入ってしまいますからね
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
でも、今はヤンキー以外にも髪の毛を染めている人なんていくらでもいますよね。


そろそろ、外見から入ってしまう習慣を考え直そうと考えだす人が増えてもいい頃だとは思いませんか。

お礼日時:2011/05/08 21:59

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