天使と悪魔選手権

2011.8.13TBSのニュースキャスターで、高野山で1弘法大師のために食事を1200年前から運び続けているとの紹介がありました。 ( http://www.tbs.co.jp/jouhou7/index-j.html の2011年8月13日の放送内容にはないのです。 私の記憶違いかもしれません。 でも、テレビで見たのは確かです )
なお、現在でも弘法大師御廟の前に食事やお茶をお供えしているのは確からしいのです。 あちらこちらに説明があり、動画でも、パンフレットにもあります。
http://www.st.rim.or.jp/~success/haru_kouyasan_y …
ここにも「朝食の儀は、わずか十分たらずの儀式であるが、これが千二百年の間、欠かさず継続されてきたことに畏敬の念を感じざるを得ない。」とあります。
http://www4.ocn.ne.jp/~yamamtso/newpage45.htm (その他の参考)
http://wadaphoto.jp/japan/koya3.htm (燈籠堂の後方、奥の院の最奥に御廟)
 
高野山は無住になっていた期間があります。
http://www.koyasan.or.jp/shingonshu/history.html
正暦5年(994年)にも寺院ことごとく焼失して済むに僧坊なく、供養するに堂塔なき状態になっています長保3年(1001年)~長和5年(1016年)の16年間は全く住僧なしの状態でした。 それから1000年も経過していません。
 
真言宗も、分裂だけでなく、盛衰があり、高野山そのものがほとんど廃寺、東寺も廃れた時期があります。 おそらく、何度かは、朝食の儀は絶えていたはずです。
 
報道番組でも、現状に関しては事実の存否を確認の上報道するのでしょう。
 
その報道対象が祭りや行事などの場合、歴史的説明を加えることが多いと思いますが、その際、観光的説明であって事実と異なると推定される場合でも、そうしたことは気にせずに、いかにも歴史的事実であるように報道してしまうものでしょうか。
 
かりに、どこかの外注先が編集してきた材料であっても、事前あるいは放送後に、正確で適正な報道であったのかをチェックすることはないのでしょうか。
報道内容や説明の事実検証などでは、放送局としてはしないものなのでしょうか。 

A 回答 (4件)

テレビ局で報道番組の制作の経験がある者です。



ご指摘の件は、「プロデューサーやデスクに、このことに気づく人がいるかどうか」で決まってきます。

歴史番組なら、質問者さんのおっしゃるような考証をしっかり行うと思います。
しかし、ニュース番組の場合、そこまで細かい考証を行っているヒマはありませんし、手間をかける予算もありません。
しかし、コメント原稿を事前に読むデスクやプロデューサーの中に、ご指摘のような知識がある人がいれば、話は違います。とはいえ、オンエアも迫っているし、取材対象の機嫌を損ねて信頼関係を失うことも避けなければなりません。

ではどうするか。
原稿に手を入れ、「千二百年の間、一時期を除いてほぼ毎日・・・」といった「正しくはないかもしれないが、ウソとはいえないコメント」に書き換えるのです。
今回は、TBSの番組担当者の中に、そのような歴史に詳しい人がいなかったから、ご指摘のようなことが起きたのでしょう。もっとも、いくら知識量の多いテレビ局員とはいえ、そこまで歴史の知識がある人はそう多くないと思いますが。

この回答への補足

ありがとうございます。
個々の寺社や伝統行事の知識を大量に有していることなどは無理な要求だと思います。 歴史研究の番組でなければ、詳細なチェックや異論、学会常識をいちいち調べるまでには及ばないのではないかと思います。 
しかし、ニュースや報道番組を担当しているならば、行事や祭事の由来、著名な歴史上の人物の地方での活動の伝承などは事実とは異なることが多いということは常識として持っていると思いたいです。 その常識、常識的判断力があれば、報道側の解説は異なるだろうと思うし、事実の報道と、当事者が喧伝している言い伝えを分けた扱いをするように、放送局はチェックしないのかと、今回の番組を見て感じたのです。
取材クルーでも、突発事故現場の取材ではないのですから、予備的な知識を取得して現地に行ったのであれば、建物が1200年も前からものではないことも分かったはずです。 高野山が公表している高野山の年表にも衰退や全焼などが掲載されています。 
http://www.koyasan.or.jp/shingonshu/history.html
「御衣替(おころもがえ)」についても高野山は「これ以来、今日にいたるまで毎年三月二十一日、御衣替の儀式が行われております。」との説明文にしています。この文でも、御衣替の儀式は毎年三月二十一日との記述であり、『これ以来、今日にいたるまで毎年欠くことなく連続して』と読める表現は避けて記述しています。
http://www.koyasan.or.jp/shingonshu/about/koboda …
 
取材クルーにしても、編集サイドの人にしても、また、「コメント原稿を事前に読むデスクやプロデューサー」がおられるならば、『1200年間続いている』という局側コメントは削除するか、局側コメントを入れるのであれば『高野山の伝統行事を』というような表現に入れ替えるとか、考えないものなのかと思う次第です。
 
これは高野山の行事、宗教行事、祭事だけのことではなくて、領土や支配権、文化などに関する歴史的な説明全般に関するものです。 ニュース番組や報道番組であっても、公的な性格の強い放送のニュース番組や報道番組の担当ならば、個々の知識量ではなくて、常識的な判断と自制が必要なのではないかと思います。
 
伝統やずーっと昔の伝統や歴史のことだけでなく、病気の流行や事故、災害などの報道でも、放射能・放射線や化学物質含有量などの報道でも同様です。 第一報ではともかく、続報、詳報、解説と進む中では、限られた情報源からのネタを横に流すことだけに終始するのではなくて、スタッフを抱えた機関として常識的なチェックや検証をして、その上で、削除したり、当事者の言い分そのままでなく、局としてのコメントに表現を変更して放送する配慮が必要だと思います。
 
テレビ局員が頭が良くても、放送局に膨大な情報蓄積があっても、個々の細かいことについてそれをチェックできることは期待しないし、期待するのは気の毒です。膨大な知識量を期待するのではなくて、報道に関わるものとしての常識的判断力、おかしさを感じるセンスのことが問題だと思っています。

補足日時:2011/08/16 09:50
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 あなた自身で「はず」で結論づけていますが、これも確かな証拠があってではないでしょう?


 過去の記述が文献に残っていたとしてそれが必ず時も正しい物とは限りません。あえて書かなかった可能性だってあります。記録に残らない形で、別の形で続けられていたのかもしれません。
 
 取材で高野山から話を聞かれているでしょう。高野山としては続いていたというほうが良いわけですからね。その方が心理的にすごいと思われますからね。

 それに高野山から「間違っています」と言われても居ないのでしょう?
 そのように伝わっています。で来ているはずです。だから問題が無いと思いますが。


 実際には止まっていたかもしれませんが、確証がないですからね。止まったとしたら弘法大師様からのお腹が空いたという声が聞こえたなんてエピソードが残ってそうですがね。

 僧侶以外の農民とかの信者の方が細々と続けていたと。一日二日は止まった可能性はあるかもしれんが、あまりにも長い期間止まるとその行為が無くなる可能性も高くなりますからね。復活ということなら、やっぱりそのあたりも記録に残っている可能性もあるでしょうね。
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おっしゃる事は、ごもっとも。


揚げ足取りには 感じません。

こんな時節ネタ位、マトモにやれよ と 言いたいところ。

マスコミは 信じない。その姿勢が大事です。
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そんな細かいことを言えば歴史的なことはすべて報道できなくなりますよ(笑)。


「弘法大師のために食事を1200年前から運び続けている」と「伝えられている」という話でしょう。
仮に無住や荒廃の時期なかったとしても「1日と欠かさず」なんて確認のしようもありません。
また、「江戸時代から続く旧家で第○代目の当主」という場合、いちいち古文書を確認して確認しなければ報道できないことにもなります。
ちょっと揚げ足取りに近いです。

この回答への補足

確かにどこまで確認するのか、確認したことがもともとまがい物ではないかをどう確認するのかというと、大変なことです。
 
しかし、報道番組で「江戸時代から続く旧家で第○代目の当主」とコメントする場合、その家が江戸期以前から同地方にあった家であるかどうかとか、大正期に開拓団で当地に来たが家としては○○家の本家筋であるとか、なにか確認すべきでしょう。
 
同様に、「1日と欠かさず」なんて取材源が話すのならともかく、アナウンサー(というのかな)が「1200年間1日と欠かさず続けられてきた」というのは、言うにあたって「そりゃ怪しい。『地元の○○さんのお話では1200年間1日と欠かさず続けられてきたそうです』という程度のことは言うべきだ」と思わないのでしょうか。 
宗教的なことに限らず、伝統行事などは、もともと「そういうことになっている」という建前論というか教義のようなものが多いので、それを否定して回る必要などないし、失礼だと思いますが、『報道番組の中で、事実報道と、伝聞報道とを、それなりに』区別すべきだし、報道番組の視聴者は、信者ばかりではなくて、幼い子も、歴史の勉強をしている子も、受験勉強の学生もいるのですから、内容を判断すれば事実でなく『言い伝えである』ことはわかるはずだというのは、おかしいと思います。
 
「いちいち古文書を確認して、確認しなければ報道できない」というのも、程度の問題でしょう。 一般人が観光でパンフレットを見てその記載を鵜呑みにして、土産話にするのと、報道機関が取材させてその内容を報道するのとは同じにはならないでしょう。 取材源の話だけ聞いてくるのではなくて、その寺やその地方の簡単な歴史チェック程度はしないと、神話や伝説も、奇妙な説も、誇張した与太話も、一方的な見解も、そのまま、報道機関の見解であるように流れてしまいます。 義経伝説、徐福伝説何でも、取材源の主張を報道機関の解説のように入れていいということはないと思います。
 
あくまで程度の問題です。 どう見ても常識的には怪しいお話は、報道機関の解説の中では、取り上げないか、取り上げる場合は「、、、○○さんはと誇り高くおっしゃっています」とかいうべきことのように思うのです。 物語、伝説の紹介ではなくて、報道ニュース番組の中の解説ということを、考えて欲しいと思います。
 
「揚げ足取りに近い」とは私は思っていません。

補足日時:2011/08/15 19:17
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