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生活保護制度が存在する理由がよくわかりません。
例えば他の権利と比較して、(役所なり国家の目線として)
参政権なら、
二十歳以上なら選挙権(投票権)を差し上げます。被選挙権がある年齢なら選挙に立候補しても構いません。役所はこれらの権利の行使を保障しますし、貴方がその権利を放棄しても行使しても、全く個人の自由です。

教育なら、
全ての国民はその能力に応じて等しく教育を受ける権利が有ります。役所は貴方(義務教育年齢の子女)が公立学校に入学することを拒みませんし、私立学校を選択するのもまた個人の自由です。もし貴方の保護者の能力に問題があって貴方が義務教育を受けられない状態ならば、貴方を児童施設に保護する施策も取れます。貴方が親と良く話し合った上で、今の日本の教育に疑問を持ち、教育を受ける権利を放棄し、エジソンのように個別の教育を受ける道を選ぶ、というならそれもありです。我々は貴方のクビに縄を掛けて学校に引っ張って行くことはしません。

というように、権利というのは行使も放棄も自由、ということになっています。
ならば、生活保護制度が存在する理由がよくわかりません。
すべての国民は健康的で文化的な最低限度の生活をする権利を有する、というのは憲法で保証されているわけですが、それを国家なり、役所がサポートするのはその権利の追求が阻害された時に初めてしゃしゃり出る事であって、その権利の追求をしようというアクションを起こしもしない人には、役所は手出しする必要はないのでは?

具体的には、幸福追求のために、金銭を得るために、就職しようとした。そしたら出身地のことなどでことごとく断られた。そうしたら国家は『就職の際に、性別、年齢、出身地、その他の理由を持って差別的な扱いをしては成らない』という法律を作るべきだし、(そして実際に作られた)、就職できたとしても余りにも低賃金、悪列な労働条件で、とても生活していけない人が多いならば政治家は『職場における最低賃金、最低の職場衛生、安全確認に関する法律』などを作って労働者を守るべきです。(そしてそれ等の法律が実際に出来た)

最低限度の生活をする権利を有する、国家はこれを保障する、というのは前述のようなことを指すのであって、『お金が無いなら役所がお金をあげましょう』というのは余りにもその場しのぎというか、場当たり的というか、対処療法的な後先のことを考えない、大所高所と正反対の施策であると思います。

一体、生活保護制度とは何のために存在するのでしょうか?
モチロン、目の前に飢えてしにそうな人がいるのを目にして、それに手を差し伸べることがイケナイ、と思っているわけではありませんがね。

法律や政治に精通した方、おねがいします。

A 回答 (13件中1~10件)

>その権利の追求をしようというアクションを起こしもしない人には、役所は手出しする必要はないのでは?



そう思います。レッセフェールの考え方で、昔からありますね。自殺したい人には妨害されずに自殺できる場所を提供してあげた方が自由(=人権)が向上します。

日本の問題は、世界ではキリスト教会や仏教寺院が担う社会福祉の部分まで、日本人の税金で行政がやろうとすることですね。
本来、行政は、キリスト教会や仏教寺院がやる社会福祉を後方支援し(=障害となる法律なども改正し)、行政は行政でなければならないことだけに専念すればよいです。そうすれば今の様な巨額の地方財政の赤字は回避できたし、子孫に借金返済を押しつけることもなかったと思います。

もし、キリスト教会や仏教寺院が生活保護活動をするばあいには、現金支給では無く、食糧と衣料品の支給そして一時的な住居(=集団生活)の提供にとどまるでしょう。そうすれば、パチンコ屋が生活保護費で儲けるなどいう愚かなことは起きませんね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

宗教にそれをやらせるとまたそれを隠れ蓑にして、被保護者の権利を食い物にする連中が出てきますからね。
現在すでに貧困ビジネスが問題化していますが、それを宗教法人の独占業務にされてしまう事になりかねないわけで。

死にたい人には死なせてあげる、ってのは賛成できなくもありません。
自殺したいけど勇気がないから、死刑になりそうな犯罪を犯す、というばかものがいますが、きちんとした手続きの元に安楽死させてあげればいいのに、とおもったりもします。(変かな~)

お礼日時:2012/01/27 13:39

健康で働けて収入を得ているあなたにいくら説明しても無駄でしょう。



世の中には働きたくても体を壊して働けない人もいるのです。
そのほか色々な理由で収入を得られない人がいるのです。
東日本の大震災で生活保護がなかったら何人の人が亡くなったか想像つきますか?


そういう人たちに「死ね」と言っているのと同じ事なのです。

質問とぶれましたら容赦ください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
天災で家や仕事を失った人を見捨てろ、とはいってません。
ただ、長年生活保護を受けていて『もうなんにも仕事をしなくても、ずっとお国が金をくれるから、あーこりゃ楽ちん、楽ちん。どれ生活保護費でパチンコでもやろうっと』
という人にはいつまでもお金をあげるのはどうなの? そもそも就職制度や労働者の権利整備などをきちんとやらずに(あ、モチロン全然やってないとはいいませんよ)とりあえず仕事にあぶれた連中にはカネ渡しておけばいいだろ、と、目の前の問題を対処療法的にかたずける手法は問題点は全く無いと言い切れるものなのかな、とね。

お礼日時:2012/01/27 13:47

質問者さんが、質問の最後の段落に記載されていますが、


貧困を理由として、餓死や凍死が起きることを防止するためです。

札幌市で、今月、貧困でガス代を払えない40代姉妹が凍死しました。
生活保護を受給していた場合には、凍死は防げました。

2011年1月、大阪で60代の姉妹が貧困で餓死しています。
大阪市役所が生活保護の受給を拒否した結果とされています。

何れも現代日本で起きている信じられない現実です。

生活保護制度がない場合には、餓死、凍死が増えることは確実です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
信じられないような出来事ですね。

お礼日時:2012/01/27 13:59

>一体、生活保護制度とは何のために存在するのでしょうか?


モチロン、目の前に飢えてしにそうな人がいるのを目にして、それに手を差し伸べることがイケナイ、と思っているわけではありませんがね。

わかってるじゃん。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

うん、わかってるよ。

お礼日時:2012/01/27 14:00

昔のヨーロッパなどは王立の救貧院などというものがあって貧しい人たちが入所していたみたいですが、これをやるのは非常に費用がかかるんですよ。

入所した人の衣食住にかかる経費はもとより、職員の給料なども負担になりますからね。そこでお金を渡すという方法が生まれたんだと思います。ただお金を渡すだけなので、運営経費が全然かからないということですね。

考え方としてはNO,1さんのが一番的を得ているのではないかなと思います。現金支給だとそれを当てにする産業が生まれたりして厄介ですので、衣食住にかかわる現物支給を行って、とりあえず死なないようにする、という方法が理想的じゃないかなと私も思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
まあ、生活困窮者と言っても今の時代じゃそれなりに贅沢を知ってるからな。
食い物に現物給付しても、
口に合わない
年寄りには食えない
アレルギーがある
とか言われそうだしね。

お礼日時:2012/01/27 17:29

>すべての国民は健康的で文化的な最低限度の生活をする権利を有する


これが元来の文面ですよ。
あなたの解釈はすべての国民は健康的で文化的な最低限度の生活を”追求”する権利を有する、になっていませんか?
あなたの解釈が憲法の文面からずれているのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
追求する、が入っただけでそんなに意味がかわるもんかね?
ニポンゴ、ムズカシアルネ!

お礼日時:2012/01/27 17:31

端的に言えば憲法25条と生活保護法があるから存在します。



そして誤解なさっているようですが25条の生存権はもう一項あります。

第二十五条
1. すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2. 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

ということで国が「社会福祉と社会保障の向上・増進」をしなきゃならないわけですね。

また福祉や保障は「困っている人を助けるため」だけに存在するわけではないです。
簡単にいえば『北斗の拳』な世界を防ぐためでもあるわけで、
一見「困っている人」だけが生活保護の恩恵を受けているように見えますが、
実のところちゃんと全体に対しても影響を与えてるんですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私は誤解してるんですね。
北斗の拳という漫画は詳しい内容を知りません。
具体的には生活保護を受けていない人にとってどんなところにメリットがあるのですか?

お礼日時:2012/01/27 17:59

国家という大所高所からみた場合ということですよね。



理由の一番は「生活の安定していない人々を放置すると、社会の安定が損なわれるから」というものです。

また日本は先進国の中では、かなり自立主義のほうであり、以外にもアメリカなどのほうが干渉主義だといえます。これらの干渉主義のことをパターナリズムといいます。

パターナリズムの典型的なものは、自動車のシートベルトや最近義務化になった住宅用火災警報機のような例でしょう。

この例に挙げた二つとも、義務を果たさなかったとしても(シートベルトをつけない、警報機を設置しない)不利益を受けるのは義務者であって、他の人にはほとんど関係ないことです。

しかし、社会の仕組み上これら放置しないでおせっかいを焼くことによって、社会全体が利益を受けるなら強制するというのがパターナリズムの本質と言えます。

シートベルト締める事で事故死者が減るなら、自動車メーカーは他の安全装置の開発に時間がかけられますし、病院のベッドも保険もコストを削減できます。
アメリカやヨーロッパなどではこれらの政策を日本に先んずること10年から20年であり、日本はほぼどのようなテーマであっても、パターナリズム的政策は遅いほうだといえます。

外国で幼児を車に放置してパチンコしようものなら、確実に両親は逮捕され場合よっては保護監督資格なし(親として落第)と裁判で決定されれば、強制的に子供は養子に出されることもありえるのです。

生活保護もこれと同じです。もっとも日本の場合、行政は積極的に介入するとはいえません。民生委員などもいますがこれらの方々の活動範囲は「元々生活困難が予想される」配偶者が無くなったひとり老人とか、障害者が対象です。
仕事が無くなって生活できないとか、旦那と離婚して子供と母親だけでは生活できなくなった、というような新たな生活困難者は自分で役所に行って相談する必要があるのです。
この点、他の先進国は日本以上に積極的に助けているのが普通です。

さて、生活保護の方式に対してはまだまだ改善の余地があるとして(現金給付じゃなくて、食事券の給付にするとか)生活保護制度が出来た具体的理由についてです。

これはひとつは先ほど書いたように治安問題と直結する内容であり、それが嵩じるとイデオロギー問題にまで発展するので、生活保護などの社会保護政策がとられるようになったという経緯があります。


そもそも現代のような「貧困者」や「生活困難者」というのは仕事が出来ない、したくても仕事がもらえない、だからお金が無くて困窮する、ということでもあります。
これは資本主義が隅々まで行き渡った結果、生活=お金を稼ぐ、ということになったからです。
逆に言えば、水と耕作地が確保できる離島のようなところなら、自分で畑を耕せば生活は可能、ということと表裏一体でもあります(そのかわり電気器具はないですし、医療も受けられません)

しかし世捨て人のような方式でなく、社会に居場所を見つける以上は「お金を稼ぐ」というのは絶対条件になってしまいます。

産業革命以降、農村(自給自足で完結する共同体)から出て労働者になった人々は、老齢になったり怪我や病気で仕事ができなくなると、そのまま打ち捨てられて困窮するのが普通だった時代がありました。
こうなるとスラム街ができることになり、スラムは貧困と犯罪そして麻薬などの問題が発生します。これらを放置すると健全な社会発展が阻害され、普通にお金を稼いで生活している人々の安全を脅かすことにもなりかねない事態になります。

また実際に清朝時代の中国の貧民屈であったアヘン屈の一掃対策からアヘン戦争は発生していますし、フランス革命も最近の「ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street)」も生活困窮から発生しており、前者は革命による変革、後者は大統領選挙の混迷という影響をもたらしています。
過去にはこれがイデオロギー闘争につながり、ソビエト革命にまで発展したこともあるわけで、生活貧困者をそのまま放置することは社会の安定を阻害する、ということであり、だからこそ社会の安定のために大所高所から見て生活保護政策を実行してるわけです。

つまり生活保護の利益をうえるのは保護された困窮者だけでなく、結局社会にいる私やあなたのような人の利益につながるため、このような政策がとられているといえます。

もちろん、方法については様々な議論があります。お金を渡すのは理解できない部分もあります。しかし、方法をかえることはあってもいいでしょうが、生活保護政策そのものは必要だといえると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
大変良く解りました。

つまり生活困窮者達が集団結束してイデオロギー運動などを起こし始めると厄介だから、手厚く保護する振りをして、生活資金という名の飴と言うか、口止め料というか、ソコソコのモノを与えておけば大人しくしてるだろう、という理解でよろしいですね。

なるほど、生活保護施策はそこまで見据えたものだったのか。資本主義体制の為政者の考えって奥が深いですね。
こりゃ細かいとこまでは中学高校で教えないわけだ。

日本から近くて遠いあそこの国が、暴れ出すと厄介だから食糧とか与えているのと大差ないわけですね。
どちらも資本主義政治運営のための必要経費ってことで。

お礼日時:2012/01/27 18:12

#1です。



>現在すでに貧困ビジネスが問題化していますが、それを宗教法人の独占業務にされてしまう事になりかねないわけで。

そうはなりません。

現状、生活保護給付として現金支給するが故に、其の現金に群がるビジネスができてしまうのです。
世界広しといえども、教会や寺院で現金をばら撒くことは有りません。生きるための食糧と衣料と限られた期間のシェルターをていきょうするだけです。パチンコしたければ自分で現金を稼ぐしかありません。また自分で現金を稼ぐようになったら、パチンコ屋で使ってしまう人も減ると思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
真面目に弱者救済をしている宗教法人ならそんなことしないでしょう。
上野の公園で食料配布をしているとこみたいな真面目な実績のあるところなんかはね。

私が危惧したのは、ただでさえ現在宗教法人は無税であることを悪用して脱税の隠れ蓑にする奴らが多い上に、
『宗教法人が弱者救済を目的とするならそれにかかる事業についても、無税とする。』
というような法律改正がなされた場合、現在貧困ビジネスをやって弱者を食い物にしている連中がこぞって宗教法人の申請を出してきて、
無職者をかき集めて人夫だしをして親受けからの賃金は一切個人には渡さない、
渡さないから労働所得がない、
だから生活保護費を受給させる、
その生活保護費もピンハネ、
全額ピンハネしちゃうとまずいからわずかばかりを渡すけど、そのわずかな生活保護費も寄付の名目で巻き上げる、
宗教法人だからこの過程で得た貧困ビジネスの経営者の利益はぜんぶ無税です。やったぜ!坊主丸儲け!!
などという一度入ったら死ぬまで食い物にされる恐ろしいタコ部屋を設立されかねない、
と、いいたかったのです。

お礼日時:2012/01/27 18:34

1,権利には色々な種類の権利があります。


質問者さんは自由権と社会権参、政権を混同しています。

自由権→国民が、国家から束縛されない権利。
参政権→国民が、国政に参加する権利。
社会権→国民が、国家に請求する権利。

2,権利は、放棄も行使も自由、という訳ではありません。
  放棄できる権利もあるし、放棄できない権利もあります。

参政権→行使も放棄も自由ではありません。
    行使すべきで、放棄してはいけません。
    ただ、それを強制していないだけです。

教育権→権利を有するのは子供です。親や国家は
    その権利を保障する為の義務を負っています。
    だから、義務教育を受けさせない親は義務違反です。
    そういう親には説得しますが、違反しても
    強い強制まではやらない、というだけです。

3,社会権においては、国民が権利者で国家が義務を負っています。

だから、国家は義務を果たす為に色々やる訳です。
権利者からの申請を待ってやる場合もあるし、
国家の方から、しゃしゃり出る場合もあります。
そういう方法論の違いがあるだけです。

4,で、生活保護は何の為にあるか、といえば。
個人の尊厳を全うするためであり、社会を安定
させる為です。
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