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私の亡くなったお爺さんの写真にある
記章です。
こちらは
位を表す記章でしょうか。海軍か、
陸軍か教えて頂きたいです。
できたら位まで教えていただけるとありがたいです。
よろしくお願いいたします。

https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-e …

「大戦中の胸章、肩章について」の質問画像

A 回答 (3件)

最初と2回目の回答者です。

またちょっと書きます。
新しい写真、拝見しました。帽子からしても間違いなく陸軍軍属の肖像ですね。このデザインの肩章は昭和15年(1940年)8月に制定され、昭和18年(1943年)10月には別のデザインの肩章が制定されています。ただし制定されてすぐに末端までが新しい肩章に変更するのは困難なので昭和19年(1944年)の中頃までは使われていたかもしれません。写真を撮影した時期はその期間内ということになるでしょう。

左手で刀の柄を握っておられますが、軍属は高等官から雇員まで帯刀していたとのことなので、これだけでは判断できません。しかしながら、その左手の上方、肘の少し上に色が変わったような何かが付いているように見えますね。少ししか見えませんが、これこそが臂章(ひしょう)である可能性は非常に高いと思います。臂章だとすれば一等から四等までの何等かはわかりませんが判任官(軍人でいう下士官クラス)です。

軍属の仕事は多岐にわたるようですが、高等官は非常に少なく、士官学校や幼年学校などの学科教官とか軍需産業関連の会社の重役や上級技師などの例があるみたいです。その一方で雇員や、それよりも格下の傭人(雇員が会社でいう平社員なら傭人はアルバイトか契約社員ぐらいだと思います)だと給仕といって雑用やメッセンジャーボーイ的な仕事をする人や、単純労働的な仕事の人もいたようです。ただし雇員より上の判任官なら、何らかの技術か能力を持っていた人と見るべきでしょう。

kiyobyさんの祖父殿の写真、アゴから首にかけての脂肪の乗りぐあいから推測して二十代半ばから三十代半ばぐらいに見えますが、その年齢であるならば、軍属になる前に民間で何かの仕事をしていた可能性もありますね(もちろん昔から長いこと軍属であったという可能性だってあるかもしれませんが)。民間で従事していた仕事の技術に関連した軍属となるのは、ありがちなことです。たとえば電気関連のメーカーに勤めていた技師が軍に派遣されて高性能無線機の整備・修理や保守をするとか、機械関連でエンジンや補器などを扱うとか、民間で建築・土木関係の仕事をしていて陸軍の施設の設計・施工に携わるとか、占領地の運営関連や農業政策だってありえるかもしれません・・・あくまでも例ですが。まあ、民間で何か仕事をされていたことがわかるなら、ヒントになるかもしれないということです。

尚武集団はフィリピン方面ですよね。マッカーサーは第二次大戦前まではフィリピンでまるで王様のような生活をしていたので、日本軍が攻めてきていったん追い出されたことを個人的に恨みに思い、必要以上に徹底的に日本軍を攻撃したようです。靖国ということは祖父殿はそこで戦死されたのですか。私の父の兄、つまり伯父も海軍でフィリピンの海に沈みました。軍隊の縁の下の力持ちだった軍属に敬意を表し、冥福をお祈りします。
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最初の回答者と同じ者です。

 すいません、下の答えはまったくの大間違いでした。

この写真の制服は「陸軍生徒」でも将校や兵隊などの軍人でもなく、「陸軍軍属」のものでほぼ間違いないと思われます。軍属とは軍人ではないですが、軍隊の中で軍人なみの規律で働く、軍人と民間人の中間のような職業です(戦闘行為はしません)。全員ではないけれど、軍隊に必要な何らかの技術を持っていた人が少なくなかったようです。軍属は陸軍と海軍の両方に存在しましたが、この写真は陸軍の軍属でしょう。

軍属も軍人の階級のように、いくつかのランクにわかれていて上から「高等官」、「判任官」、「雇員」とあり、高等官(軍人ならば将校クラス)や判任官(軍人ならば下士官クラス)は、それぞれ一等、二等、三等・・・などとさらに細かく等級があったようです。雇員はごく一般的な軍属で人数も一番多い兵隊クラスです。

肩に星ひとつというのは判任官か雇員のどちらかで、胸章ともども星の色で区別されますがモノクロ写真ですから星の色の区別がつきにくいですね。ただし判任官なら左腕にも臂章(ひしょう)という山型の線がつき、その線の数で一等、二等、三等・・・と判るようになっています。写真館などで撮影すると、撮影される人物が判任官であるならば(雇員より少しエライので)気を利かせて左腕の臂章が見えるようなポーズで撮ってくれる可能性が高いはずですが、絶対ではありません。もし左腕の部分がはっきり見えて何も付いていなければ雇員ですし、よく見えなければ判任官の可能性もあります。

写真のものは「陸軍軍属」の「雇員」または「判任官」の制服についた肩章および胸章であると思われます。詳しくは以下のURLを参考にしてください。失礼しました。

http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C010017928 …

この回答への補足

ご返信が遅くなった事を深くお詫びいたします。

いろいろ調べて頂きありがとうございます。
わたくしのほうもいろいろ調べた結果、軍属ということは
わかりましたが何をしていたのかというところまでは調べるにいたりませんでした。

情報が少なすぎるとのご指摘に写真をアップしようと思ったのですが、
故人とはいえ個人情報なので顔だけは隠してアップさせて頂きます。
軍属のほとんどが雇員であったとのことなので、
おそらくは雇員で間違いないかと思います。

お時間がございますときご確認ください。
https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-e …

(靖国書庫の方は雇員は整備員から通信員からとにかく多岐にわたる職を担っていたらしく
何をやっていたのか調べることは困難とのお話でした。さらに尚武集団という大戦で
一番戦死者が多かった部隊に属していたようで、調べるには限界だと悟りました)

少し時間を置いてからお礼を入れさせて頂きます。ありがとうございました。

補足日時:2012/07/07 21:20
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写真を拝見しました。

まず結論からいいますと、どちらも階級章ではないはずです。
大きい方の写真は人物の左肩(向かって右側の肩)の部分でしょう。肩章ですけれど、こういうデザインのエポーレット(肩の所の布、いわゆる肩章)をつけるのは将兵の軍服ではなく「陸軍生徒」の制服以外に私は知りません。海軍の陸戦隊士官の軍服にも似たようなエポーレットをつけたものがあったようですが、質感(早い話が硬さ)も違うようだし、そもそも階級章がちがいます。時代によってデザインが違う場合がありますが、85%ぐらいの自信度で「陸軍生徒」の制服だと思います。全体写真ならもっと分かるんですけどね・・・。

「陸軍生徒」とは何か。陸軍の下士官や将校になるために陸軍の学校で教育を受ける者の総称です。具体的にいうと陸軍幼年学校、陸軍予科士官学校、陸軍経理学校予科の生徒、あるいは陸軍少年飛行兵、陸軍少年戦車兵、陸軍少年通信兵などなどですね。こうした「陸軍生徒」には始めは軍人の階級はまだありません、ですから階級章もついていません。陸軍予科士官学校や陸軍経理学校予科の生徒(幼年学校生徒を含めてこれらは特に「将校生徒」といいます)は卒業とともに「士官候補生」に任じられて軍人としての階級が与えられますし、陸軍少年飛行兵なども教育の課程が進んでいくと正式に兵隊として上等兵になります。そうすればエポーレットはそのままで階級章をエリにつけます。その場合の階級章はお馴染みのデザインのやつです。写真のエポーレットに乗っかっている星のようなものは階級章ではなく「飾り」というと言い過ぎですか、五芒星は陸軍の象徴で軍帽や略帽の正面にも付いていますね。

「陸軍生徒」はその教育課程を修了すれば下士官(士官候補生に進む幼年学校、予科士官学校、経理学校予科の将校生徒は近い将来に将校)になるわけで、一般の兵隊よりはエリートと言ってもよく、当時の少年たちの憧れだったようです。

申し訳ありませんが、kiyobyさんが提供してくれる情報が少なすぎます。写真もこんな部分アップだけでは・・・。もう少し情報があれば、もっと正確なことがわかってくるでしょう。小さい方の写真の星が連なっているのは何の印か、私も興味があるところです。
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