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陸軍士官学校(明治期)を卒業し、陸大には入らなかった場合、一般論としてどの階級あたりまで出世できたのですか。

ご存知の方、教えてください。

A 回答 (5件)

 こちらでも失礼します。


 一般論として聯隊長までと考えてよろしいかと思います。歩兵科で大佐、騎兵科で中佐です。
 陸軍大学は「陸軍大学条例」で、その目的を設立当初には「将来の参謀職に堪ゆべき者を養成」と定められていました。その後、条例は数度改正され、
「高等兵学を教授し、将来参謀官、高等司令部副官及び教官に充つるを目的とし並に高等職務に堪ゆべき学事上の基礎を修習せしむ」(明治19年改正)
「高等兵術を教授し、参謀其他枢要の職務に充つべき者、または高等指揮官となるべき者を養成する」(明治24年改正)
「高等用兵に関する学術を修めしめ、併せて軍事研究に須要なる諸科の学識を増進せしむる所とす」(明治29年改正)
と、一貫して高等用兵を教え、参謀官、高等指揮官を養成することを目的としていたからでしょう。
 実際、陸大未卒業者の将官昇進は、平時では1%に満たなかったそうです。ちなみに、陸大卒業生は、その内少将昇進80%弱 中将50%強 大将10%強だそうです。
 また、士官学校の卒業成績がその後の昇進のスピードに係ってきますが、陸大を卒業すると、過去の成績に関わらず自動的に士官学校卒業時の成績序列の上位に位置し、その期の進級時期に来ると未卒業者を追い越して一斉に進級したそうです。
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>因みに、陸軍士官学校出身で、歩兵科且つ無天で大将となった者は、皇族の梨本宮殿下以外いない。

無天組の将官進出率は平時に於いては1%内外であった(但し砲、工兵科で砲工学校高等科を卒業した者は、天保銭とほぼ同様の扱いを受けた)。逆に天保銭は卒業と同時に、過去の順位如何に関らず一斉に同期の右翼に列し、進級期に達すれば無天組を取り残して一斉に前進してゆく。彼等は同期の無天組のみならず、前期、前前期の無天組をも突き抜けて進級した。陸大卒業者で大将に達したのは全体の10%強、これに中将を合わすと 50%強、さらに少将を加えれば70%強となる。佐官以下に終わった30%弱の大半は戦死、病死、事故死或は事件を起こしての予備役入りであった。つまり陸大を卒業した者は、余程のことがない限り将官となったのである。

参考URL:http://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/kangun/sch …
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基本的に大佐までは行けたと聞いたことがあります。


軍拡の時期と軍縮の時期ではポストの数も違っていたようですが、そこまで行けば田舎の村長よりもはるかに上の扱いですね。
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 陸軍大学校に入学できたのは,陸軍士官学校を卒業した者の約2割だったそうです。

残りの8割は陸軍大学校には入学できなかったようで,太平洋戦争前ですと,大尉から大佐までの間の階級で退役(予備役入り)したそうです。
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太平洋戦争が始まると将官の数も多数必要になったので無天(陸軍大学卒業でない将校)でも将官になる例が多くなりましたが、それ以前は無天であれば将官になるのはかなり困難でした。


それと、同じ陸軍大学卒業者でも幼年学校卒業者と一般の中学校出身者には明らかに差があり、陸軍中枢部の要職は幼年学校-士官学校-陸軍大学校のコースを経たものにほぼ独占されていました。
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